本当の私を、匿して、護って
ありのままでいい、なんて、耳触りが良いだけのフワフワした“綺麗事”だよね。
だって、この世界は“素の私”をそのまま受け入れてくれるほど優しくない。
ありのままの私がトロトロした鈍臭い人間だと、普通に厭な顔をされる。
ありのままの私が周りをイライラさせれば、虐めの標的にされることもある。
世間なんて、まだまだ全然“ありのままのその人”を受け止め切れるほど、器が深くも心が柔軟でもないんだ。
ありのままでいたいなら、誰にも見つからない孤独な場所で、ひっそり自分を解き放つしかない。
だけど今の私には、独りで生きられるだけの財も、孤独に耐えられるだけの心も無い。
だから、人の中で生きるしかない私は、自分を詐る。
本当の私を匿して、違う私を作って演じる。
仕方ないよね。
だって本当の私はたぶん、他人に好かれる人間じゃないから。
本当の私は、他人と喋るのが嫌いだ。
だって、私は自分に自信が無いから。
それに他人は、ちょっと弱みを見せるとすぐ馬鹿にして虐めてくるから。
……少なくとも、私はそうされたから。
未だに、心の底にトラウマがあって、ビクビクしてしまう。
ひとりぼっちになりたくないから、頑張って他人と会話する。
だけど、いつ素の私がバレないかと、常にドキドキしている。
本当の私を知られてしまったら、また何か悪いことが起こるんじゃないかと、いつも心がザワザワして落ち着かない。
必死に恐怖を隠して、平気そうに振る舞う。
だけど、そんな怖がりな気持ちさえ見透かされてしまうんじゃないかと、ヒヤヒヤしっ放しで、余計に恐ろしい。
自分でも分かってる。
こんな陰気でウジウジした人間、虐めの標的にはされても、クラスの人気者になんてなれない。
高望みなんて、最初からしてない。
誰かから特別に好かれようなんて思わない。
だけどせめて、誰からも攻撃されず、平穏無事に生きていたい。それだけなんだ。
詐りの私は“周り”を観察する。そして、それに合わせる。
空気を読んで“その場に求められる人間”に擬態する。
誰かがケラケラ笑うなら、私も同じようにケラケラ笑う。
プリプリ怒りだすなら、一緒にプリプリ怒ってみせる。
共感は大事だ。
周りと同じ感情でいられないと、仲間認定から外されて虐められかねない。
本当の私の感情がどうかなんて、関係ない。
だって皆が求めているのは、多様性より“気の合う友達”なんだ。
“気持ちの方向性が違ってもつき合える”なんて、そんな高度な友情を育める人間、この辺じゃ探しても見つからない。
うっかり“反対の気持ち”を表して敵視されないよう、いつも慎重に周りの出方を窺う。
周りに流されるばかりで、中身も自分も無い、詐りの私。
その場その場を凌ぐためだけの仮初の人格は、ブレブレで安定しない。
こんな実の無い“偽物”で人づき合いすることに、後ろめたさが無いわけじゃない。
本音も匿しているから、踏み込んだ関係も築けない。
だけど、本当の私なんて出せない。
だって、私はもう知ってしまった。
“本当の私”は、虐めの標的にされるような人間なのだと。
小学生のあの頃、私の中の何があの子たちの気に障ってしまったのか、未だに分からない。
そもそも、大した理由なんて無かったのかも知れない。
虐められた側が思うほど、虐めた側に篤い動機も重い感情もありはしない。
きっと、ほんの浅い“好き嫌い”で軽々しく攻撃対象を決めつけてくるんだ。
ほんの軽い憂さ晴らし気分で他人を虐めて、“飽きた”後には虐めた事実さえ簡単に忘れてしまえる。
あの子たちにとってそれは、大した出来事じゃないから。
こっちは胸の奥の深い所をズタズタにされているのに。
酷い話だ。
何が原因か結局分からないから、こっちはずっと怯え続けるしかない。
人間に虐待された犬か猫のように、ずっとプルプル震えている。
あの子たちは知りもしないだろう。
胸に植え付けられた恐怖は、世界の見え方さえ変えてしまう。
私を取り巻くこの世界は、もう、幼い頃のような優しくキラキラした世界じゃない。
だから私はあの頃から、ずっと私を匿して生きている。
この寒々しく残酷な世界から“本当の私”を匿う。
あの子たちのような“怖ろしい誰か”に、また見つかってしまわないように。
“詐りの私”を盾にして、誰からも見えないように匿すんだ。
恥ずかしいから“見せない”わけじゃない。
みっともないから“隠す”わけじゃない。
かけがえのない私だから“護る”んだ。
あの子たちは、私を“生きる価値がないもの”みたいに扱ってきた。
だけど、私はそうは思わない。
そう思わされて堪るものか。
あの子たちが、どんなにズケズケ悪口を言ってきたって、心の中で『あんた達の感想なんて求めてない』って反論してやる。
あんな子たちに、私の価値を決める権限があって堪るものか。
人間は結局、皆“自分”が可愛くて、他人のことは“自分の物語の脇役”くらいにしか見えていない。
だから平気で酷い扱いをしてくるし、自分勝手に相手の価値を決めつけてくる。
自分はどこにいても“主人公”で、いつでも尊重されるべき人間だと思っている。
全然気づいていないんだ。
そんな“自分”もまた、他の人間から見れば“人生の脇役”でしかないってことに。
人間の立場なんて、見る人次第でコロコロ変わる。
私から見たあの子たちは、最低の悪役で、敵役でしかない。
“物語”だったら、散々に人格を否定され、言動のいちいちを叩かれる“悪い人間の見本”のような役柄だ。
そんなことにも気づけないくらい鈍感だから、簡単に他人を虐めたりできるんだろうな。
マンガや小説やドラマの中なら、主人公が困難に陥った時には、必ず“救いの手”が差し伸べられる。
だけど、現実はそうじゃない。
人間なんて所詮、皆“自分”しか見えていなくて、他人の痛みになんてそうそう気づいてくれない。
他人に助けを求めることもできず、ギリギリの所で我慢している子になんて、余計に気づけるわけがない。
この世界って、本当に残酷だよね。
黙々と耐え忍ぶシンデレラで子どもに夢を見させておきながら、現実には助けてくれる魔法使いなんて一人もいないんだから。
誰も助けてくれないから、自分のことは自分で護らなきゃいけない――誰からも救ってもらえなかったあの時、そう気づいた。
力を持たない私にできる、唯一の防衛策は“私”を匿すことだった。
だけどこの頃、見えなくなることがある。
“本当の私”が、どんな人格だったのか……。
この頃、分からなくなることがある。
私は、何を匿して、何を表に出せばいいのか……。
“本当の私”と“詐りの私”が、私の中にグチャグチャに散らばって、どれが“私”か分からなくなることがある。
“偽物”を演じる時間の方が長くなって、何が本当か分からなくなる。
匿したのは、“私”を護りたかったからだ。
他の誰に嫌われても、他の誰から否定されても、私にとってはこの“私”だけが唯一無二だから、傷つかないよう護りたかった。
だけど、護りたかったはずの“本当の私”は、今もここにちゃんと居るんだろうか?
周りを真似するばかりのこの心は、いつの間にかスカスカの空っぽで、もう“自分”も何も失くなっているんじゃないか――そんな風にさえ思える。
私は、自分に自信が無い。
“自分”という存在がちゃんと在るのか、信じられない。
あの頃のことは、あれから一切、顔にも口にも出していない。
傷ついた心さえ匿してしまっているから、周りからは“もう立ち直ってピンピンしている”ように見えるかも知れない。
だけど、忘れたわけじゃない。
忘れられるわけがない。
あの時つけられた傷は、きっともう一生、消えることがないんだ。
あの虐めが無かったら、今頃どんな人生を送っていたのか、考えることがある。
考えるたびに、灼けつくような焦燥で胸がヒリヒリする。
きっと私は、人生で躓くたびに、あの最悪な日々を思い出す。
“詐りの私”に厭気が差すたび、“自分”を匿すことに胸が痛むたび、あのことさえ無かったら……と、堂々巡りの思いにグルグル苦しむ。
酷いよね。
どうして虐められた側ばかりが、こんなに長い間、苦しみ続けなきゃいけないんだろう。
虐められた経験の無い人には、分かりもしないだろう。
虐めが終わっても、痛みが終わるわけじゃない。
後遺症のようなトラウマは、長々と尾を引いて続く。
“私”を匿していたら、この傷にも気づいてもらえないままなんだろうな。
だけど、言いたくないし、見せたくない。
もう終わったことなのに、いつまでズルズル引きずってるの、なんて言われたら耐えられない。
傷を抱えながら、それを誰にも言えずに匿すのは、傷つきたくないからだ。
救われなくても、苦しいままでも――今はただただ、これ以上傷つきたくないだけなんだ。
Copyright(C) 2025 Mutsuki Tsugomori.All Right Reserved.