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名前

「……何を言っているのですか?」


 河内愛理さん改めて、河内近衛さんから帰ってきたのは戸惑いの言葉だった。言葉だけではなく、表情も戸惑い一色だ。


「目の前にいる河内愛理さんが別人で、本当は河内近衛さんだった。こう考えるだけで事件は一瞬で解決したよ。当然だよね。だって河内愛理さんが犯人ではないって前提がそもそもとして成立しなくなるんだから。密室の謎なんて考える必要もなくなる」


 河内愛理さんを殺害後に、普通に美術室から出て鍵を使って施錠すればいいのだから。それだけで密室は完成してしまう。


「……だから何を言っているのですか!?」


 お嬢様らしからぬ叫び声だった。そして初めて聞く大声だった。でも、そのはずなのに叫び声には違和感がなかった。普段から叫んでいるようなヒステリックさが声によくなじんでいるのだ。


「ずっと違和感があったんだ。君の行動には」


 僕は彼女の目を見ながら話す。


「河内愛理って人間は生粋のお嬢様だ。それなのに、そのはずなのに君は最初から家事が得意だった。炊事洗濯、あらゆる家事を手馴れていた」

「……お嬢様だからと言って、家事ができないなんて考えは時代遅れです」

「違和感は他にもあるよ。君の話だ。君が自分を語る時、つまりは河内愛理さんについて語る時にいつもどこか話がふわふわしていた。まるで第三者視点から河内愛理さんを語っているみたいな曖昧さがあったんだ。反対に君が河内近衛さんについて語る時は、自分を語っているような臨場感や感情が伝わってきた」

「……自分自身のことは、自分が一番理解できない。そう言っていたのはあなたじゃないですか」

「そうだね。でも、僕が言っているのは視点の話だ。君の視点は、いつも河内近衛さんの視点だった」


 彼女の反論の言葉をかき消すように、僕は話を続ける。


「それに違和感は他にもある。川田さんたちとの会話だ。僕は川口さんたちを呼び止めるために『河内』さんの名前をもちいた。共通の話題として、『河内』さんの名前を口にしたんだ。二人は狙い通り足を止めてくれたよ。そして嫌悪と怒りの表情を浮かべていた。その時は当然の反応だと思ったよ。だって河内さんは容疑者なんだからね。でも、その後に僕が『河内愛理』さんの名前を出したんだ。そしたら二人は嫌悪や怒りの反応を見せなかった。むしろ尊敬しているような口ぶりさえあったんだ。つまり二人は『河内』に対する嫌悪があったってことだ。でも、その時点での僕は『河内』に対する嫌悪が何なのか僕さっぱりわからなかったし、違和感しかなかった」


 僕は唇をひとなめして続ける。


「その違和感が明確に確信に変わったのは、二人の名前を聞いた時だった」


 僕は思い出しながら話す。


「川田真昼と川津愛。それが二人の名前だった。そしてそれに付随して、二人はこんなエピソードを語ってくれたんだ」


 僕は川田さんのツンツンとした口調を真似る。


「入学式の直後とか新学年の時とかって、席が名前順でしょ。だから私たちはいつも席が前後だったのよ。でも、御園学園では、あの二人が私たちの間に挟まっていた。それで自然と最初のほうは話す機会が多かったのよ。……別に私が話したかったわけじゃないんだからね」


 確かこんな感じだったはずだ。


「それの何がおかしいんですか?」

「君からしたらおかしくないだろうね。でも、僕からすれば違和感でしかなかった。だって僕は近衛が名字だって思っていたんだから。それなのに川田さんと川津さんの間に近衛さんがいた。どう考えても変だろ。名前順になっていない。だから僕はこう考えたんだ。ひょっとして近衛さんは、名字ではなく名前なんじゃないかって。そしてそう考えると、自ずと近衛さんの苗字も導き出される。川田と川津。『た』と『つ』の間には『ち』しかない。つまり河内近衛だってね」

「……別に同じ苗字の可能性もあるではないですか」

「そうだね。同じ苗字って可能性もあるよ。川田近衛、川津近衛。どちらも不自然ではない。

でも、今回に関してはあり得ないんだ。だって名字が同じ場合は名前で席が決まるんだから。川田近衛の場合、川田真昼さんよりも後ろの席になるのはおかしい。名前順で言えば前の席にならなきゃいけない。それでは川田真昼さんと川津愛さんの間に挟まっていたって話に矛盾が生じてしまう。だからこの時点で川田近衛って可能性は消える。残る可能性は、河内と川津のどちらかだ」


 僕は一つ息を吐き続ける。


「愛理と近衛。名前順で言えば、近衛は後ろになる。つまり近衛さんは河内だろうと川津だろうと、川津さんの前の席になるわけだ。そして川津さんの名前は愛。これよりも前に来る名前は『あ』だけを使った名前しかない。もしくは同姓同名しかない。でも、残念ながら日本に『あ』だけしか使用しない名前はないし、同姓同名なら川田さんたちがそのことについて触れていたはずだ。だけど、そんな素振りはなかった。それに河内と考えたほうが、しっくりくるんだよ。あの二人が最初に河内の名前に反応した時の嫌悪や憎悪の感情がね」


 二人は僕が口にした『河内』って言葉に嫌悪と憎悪を示した。しかしその後に、僕が『河内愛理』と言い直すと、嫌悪と憎悪は消えた。つまりは『河内』って言葉に反応したことになる。そして今回の事件において、嫌悪や憎悪を向けられるべきは容疑者だ。このことからも近衛さんの苗字が『河内』であると考えたほうが自然だろう。


「だから残るは消去法で残った河内近衛しかないんだよ」


 河内近衛さんは一度深く目を閉じて、目を開くと、一度頷いた。


「そうですわ。あなたの言う通り、近衛は名前。河内近衛が正しい名前ですわ。ですが、それがどうしたというのですか? わたくしが河内近衛であるという証左にはなりませんわよ」

「うん。その通りだ」


 そうだ。それだけでは僕が勘違いしていただけに過ぎない。僕が近衛を名字だと勘違いしていたことや、河内近衛が正しい名前であることも、目の前の人物が河内愛理ではなく河内近衛であることとは直接の関係はない。そう。直接の関係はないのだ。


「でも、君が言っていたじゃないか」

「私が?」

「近衛さんと仲良くなった経緯を聞いたときに『席が前でしたので自然と話すようになった』と」

「……ええ、言いましたわ」

「それはおかしいよ。不自然だ。だって席の順番は河内愛理さんが前で河内近衛さんが後ろ。君の言っていた席が前だったって言葉には矛盾が生じるんだよ。じゃあ、なぜそんな矛盾が生じたのか? 簡単なことだよ。君が無意識のうちに自分の記憶を投影していたからだ。自分が河内近衛だって記憶をね」

「そんなの……」


 河内近衛さんは、一瞬言葉に詰まったが、つばを飲み込むと再び言葉を発した。


「そんなのただの言い間違いですわ。ええ、そうですわ。そんなので私が河内近衛であると理由にはなりませんわよ」

「じゃあ、これはどう説明するの?」


 僕はそう言って、スマホを投げた。河内近衛さんは慌てふためき、お手玉をしながらスマホをキャッチした。そしてスマホに目を向けた。


 最初の反応は驚きだった。絵に描いたように目を見開いていた。次に何度か首を振っていた。続いて目を何度もこすっていた。まるで現実から目をそらしているかのようだった。


 スマホに写っているのは、今回の事件に関するものだ。そこには事件の被害者と容疑者の本名が記されている。容疑者は河内近衛。被害者は河内愛理と。


「……よくできた偽物ですわね」

「本物だよ」

「未成年犯罪では、名前がさらされることはありませんわ」


 確かにその通りだった。ほとんど不正なルートを使って手に入れた資料なのだから。世間一般には、彼女たちの名前は公表されていない。そしてそれこそが今回の事件をややこしくしている要因でもあった。


「次のページにスライドさせてみてよ」


 河内近衛さんは、訝しみながらも画面をスライドさせる。画面に映っているのは、一人の少女の写真だ。


「人間の目って怖いよね。見たいように物事を見るんだから」


 僕はそれからも等々と自分の体験談を交えながら錯覚ってやつの恐ろしさを語っていった。その間、河内近衛さんは目を細めるだけだった。


「ところで、その写真に写る人物、誰だと思う?」


 河内近衛さんが答えようとする前に僕は口を開いた。


「綺麗だよね。金髪に、外国人みたいに堀の深い顔。僕とは真逆だ」


 僕は答えを促すように河内近衛さんへ視線を向けた。


「映っているのは、私。河内愛理ですわ」

「そう、河内愛理さんだ。川田さんに無理言って写真を送ってもらったんだよ」


 僕はそこで咳払いをする。


「じゃあさ、今の君の姿はどうかな?」

「どうとは?」

「今の君はどんな姿をしているの?」

「そんなの今あなたが評した姿をしているんじゃないですか」

「本当に?」

「……何が言いたいのですか?」

「鏡に映る君は、本当に金色の髪をしているのかな?」


 僕は美術室にあった姿見へ視線を向ける。河内近衛さんも姿見へ視線を向けた。


「そんなの……」


 言葉は続かなかった。だから代わりに僕が続きの言葉を口にした。


「僕から見える君は、黒髪の女性だよ。長い黒髪で目を隠して、いつも少しだけうつむいていて、それでいてどことなく幸薄げな印象で、河内愛理さんとは正反対の姿をしている」


 河内近衛さんの反応はなかった。ただじっと目を見開き、鏡を見ていた。そして瞬きを忘れたかのように、ずっと目を開いている。次第にどんどんと瞳孔が開いていき、表情はキャンバスに描かれた絵を白く塗りつぶすように消えていった。


「ここにある絵も君が河内近衛だと教えてくれた道標の一つだよ」


 僕はそう言って、美術室の中央に置かれたキャンバスに触れた。描かれているのは、絵を描く黒髪の女性の後ろ姿だ。それ以外の特徴は何もない。どこにでもある絵だろう。でも、今の僕には、どんな絵よりも恐ろしく見えた。


「被害者は、この絵を描いているときに殺された。そして絵は自分の後ろ姿は描くことができない。いや、出来るけど河内愛理さんは絶対に描かないはずだ。つまりこの絵を描けるのは、被害者だけということになる」


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