真犯人
満月のはずだった。美術から見える月は、雲に隠れて見えない。寡黙な化け物に身をやつすように姿を消してしまっていた。
「あの日も、満月だったんだよね」
僕は見えない月を見上げながらつぶやいた。
「知ってる? 月の模様が何に見るかって国によって違うんだってさ」
「それもまたお得意の嘘ですか?」
「嘘じゃないよ本当さ。日本ではお餅をつく兎。でも、ヨーロッパでは大きな鋏を持つカニだったり、アメリカだと横向きの女性やワニ、モンゴルに至っては犬に見えるそうだよ」
僕は視線を見えない月に向けたまま話を続ける。
「面白いよね。同じものを見ているはずなのに、国によって違うとらえ方をしているんだから。だけど、逆に言えばそれってただ同じフィルターを通せば、同じ見え方になっちゃうってことでもあると思うんだ。日本人は月が兎の形をしているってフィルターを通してみるから、兎の形に見えるってね。そしてそれは人も同じ。真実ってフィルターを通してみれば、どんな事象も同じ答えに辿り着く。人の思考を操ることだって可能ってわけだ」
「興味深い話ですね。でも、そんな話なら家ですればいいじゃないですか。わざわざこんな場所に呼び出した理由は何ですか?」
「端的に言えば、真犯人が分かったんだよ」
僕はあえて真犯人と強調した。
「それは……本当ですか?」
「本当だよ」
「……あなただと信じられません」
僕の信用は地に落ちているようだ。まあ、当然の話だけど。
僕は信じてもらうために柄にもない探偵を真似る。
「今回の事件における絶対的な事実は、河内愛理さんが犯人ではないということだ。この前提をもとにして事件を考える必要がある。でも、この事実をもとに事件を解決しようとしたときに、どうしてもぶち当たってしまう謎が出てくる」
咳ばらいを一度入れて、話を続ける。
「密室。それこそが今回の事件における最大に謎にして、絶対的な真実を揺らがす元凶だ。なにせ河内愛理さんが犯人でない場合、必ず別の犯人がいることになり、その犯人は外側から鍵をかけたことになるんだからね。ただ困ったことに、ドアを施錠するための鍵は一つしかなく、犯人がそれを使用することは不可能な状況だった。つまり犯人は、鍵を使わずにドアを施錠しなければならないわけだ。じゃあ、鍵を使わずにどうやってドアを閉めるのか。方法は三つ。一つは、他の出入り口から出る方法だ。ドアを使わなければそもそも鍵は開かないんだから、何のトリックも必要なく密室は完成する。一番手ごろで、楽な方法だろうね。でも、これは無理。今もこうして美術室にいるからわかるけど、人間一人が出入りできる場所はドアしかない。あの窓もあの窓も」
僕は言いながら天窓を指さす。
「人間が人間のままでくぐることなんて絶対にできない。この方法じゃ、密室は破れないわけだ」
僕は指をピースのようにする。
「二つ目は、何らかの方法で外側から鍵をかけた。それこそ糸を使ったりガムテープなどの小物を使うトリックが有名だね。でも、これも無理」
僕は可能性をつぶすように立てた二本指を親指で隠す。
「何度も検証したけど、美術室のドアはそう言ったトリックが通用しないほどに堅牢なドアだったからね。この方法でも密室は破れないわけだ」
僕は今度は指を三本立てる。
「三つ目は、そもそも出入りしない方法だ。今回の事件をややこしくしているのは、事件が起きた時間に出入りができない状況だったから。言い換えれば、事件が起きていない時間は出入りし放題だったわけだ。河内愛理さんたちがいない状況で美術室に入り込み、隠れ、扉が壊されてから外へ出る。今までの中で一番合理的で可能性が高い方法だ。まあ、これもいろいろと問題があるんだけどね。まず美術室へ入る方法。無人の美術室は鍵がかかっているはずだ。当然鍵を持っていない犯人が、入ることは出来ない。ただもしかしたら鍵を施錠し忘れていた可能性もある。犯人は美術へ入れたかもしれない。でも、これでもまだ問題がある。隠れていた理由だ。犯人が美術室に侵入してから隠れていたとして、その理由がわからない。殺害の計画があったとしても、そんな面倒な方法はとる必要はないはずだ。それこそ他殺体ではなく自殺に見せかけるほうが遥かに合理的だしね。まあ、でも、これも罪をかぶせたかったって可能性も考えることは出来る。それに合理的な理由だけで殺人は起きるわけではないからね。でも、これでもまだ問題がある。無理くり推理をしても、それでもまだ問題があるんだよ。二つ目の密室っていう大きな問題がね」
「二つ目の密室?」
そこで初めて驚いたような反応が返ってきた。そういえば、二つ目の密室に関しては説明していなかったな。
「そう。二つ目の密室だよ。実は昨日、僕は再度美術室を訪れたんだ」
「……よく入れましたわね」
「協力者のおかげだよ」
「協力者?」
「クレープ少女とマシュマロ少女だよ」
「なんですかその甘そうな名前」
「間違えた。川田真昼さんと川津愛さんだよ。知ってる?」
「席が近かったので、何度か会話はしました」
「彼女たちが案内してくれたんだ。まあ、その代償として御園学園の制服を着る羽目になったけどね」
「……見てみたかったですわね」
「貞〇を見ればいいよ。大体同じだから」
「ただ制服を着ただけで、日本ホラー界のスターと張り合えるって、どれだけですか……」
「話を戻すけど、その彼女たちこそが二つ目の密室なんだよ」
僕は芝居がかった口調で続ける。
「美術室の隣に教室があるのは知ってるだろ?」
「ええ。二年一組の教室ですわよね?」
「そう。事件当日、その教室には川田さんたちがいたんだ」
「それは……知りませんでしたわ」
「当然知っているだろうけど、美術室へ出入りするには二年一組の前を通る必要がある。そして二年一組から美術室のドアは丸見えだ。実際、川田さんたちは美術室へ入っていく河内さんと近衛さんの姿を確認しているそうだからね」
僕は少しだけ声を低くする。
「でも、それだけだった。その後に見たのは教室から血だらけで出てくる君だけだったんだ。君が教室から出てきて、ドアを壊し、死体発見をして、それから警察到着するまでの間、誰も美術室から出てきていないんだよ」
「……ですが、あなたの口ぶりでは、その問題も解決して、密室を破ったということですわよね?」
「破った? 違うよ。僕はそんな探偵みたいなことは出来ないよ。僕がしたのは、視点を変えただけさ。いや、フィルターを変えたって言ったほうがいいかな」
僕はいつも通りの軽薄で軽い声で話す。
「さっきした月の話と同じだよ。常識ってフィルターを通してしか僕は事件を見ていなかったんだ。殺人事件ってのは、死んだ人間が犠牲者で、生きている人間が犯人ってね。今回で言えば、河内愛理さんが容疑者。被害者は近衛さん。僕はずっとそう思っていたんだよ。だから見方を変えた。死んだ人間が犯人で、生きている人間が被害者」
「……死んだ人間が犯人で、生きている人間が被害者? そんなことあるわけがないじゃないですか。いくら私だって、そんな噓には騙されませんわよ」
「嘘じゃないよ。矛盾しているけど、不思議なことにこの考え方がすごくしっくり来たんだ。河内愛理さんが被害者で、近衛さんが犯人って」
「私はここにいるじゃないですか」
「いないよ。河内愛理さんは死んでいる」
「……それならここにいる私は何だっていうんですか? あなたにしか見えない幽霊だとでもいうのですか?」
「言わないよ。言う必要がないからね」
僕は一呼吸おいて、初めて今日彼女を見た。そして決定的な一言を告げた。
「だって君は河内近衛なんだから」