名前順って良くないよね
翌日、僕は学校に来ていた。御園学園ではなく、自分の通う何の変哲もない学校だ。
今は五時間目の授業で、国語の時間だった。昼食後の眠気と教師の個性を飲み込んだかのような声のせいで教室内にはほんわかとした空気が満ちていた。クラスメイトの多くが頭を上下に振り、眠気と戦っている。
僕もそのうちの一人で、先ほどから眠くて仕方がなかった。周りに人がいなければ今頃いびきをかいて爆睡していたに違いない。
かぶりを振り、睡魔と戦いながら考え事をする。
考えているのは、もちろん授業のことではなく事件についてだ。
事件の一番の謎は密室だ。
僕は河内愛理という人物が犯人でないと確信している。しかし河内さんの無実を証明するには密室の謎を解く必要がある。そしてこの密室がとにかく厄介なのだ。
まず一つ目の密室のドアだ。事件が起きた御園学園の美術室には出入り口が一つしかない。家で言う玄関に該当するドア。それだけが唯一の出入り口だ。事件当日、このドアは鍵がかけられていた。施錠するには専用の鍵が必要で、他の方法では施錠はできない。専用の鍵は一つだけのため、事実上鍵を持っていない人間に施錠は不可能ということになる。そして鍵を持っていたのは、河内さんだけ。つまり河内さんが犯人でないとの証明は、死体が鍵をかけたというトンデモ理論でも絞り出さない限りは不可能なわけだ。
……いや、そうでもないのか。例えば河内さんが美術室を出た後も、まだ近衛さんが生きていたとしよう。そして近衛さんが最後の力を振り絞って自らの手で内側から鍵をかけたのだ。この場合も、同じように密室が完成する。
自分で考えといてあれだが、これはないな。百歩譲って近衛さんが河内さんをかばうためにとった行動だとしても、結局のところ河内さんが殺人鬼であることには変わりがないのだから。河内さんが無罪という前提が崩れてしまう。
だとするなら、別に犯人がいる場合はどうだろうか。河内さんが美術室を出た後に、近衛さんは別の人物によって殺害されたのだ。そしてその別の人物は美術室に隠れて、ドアが外部から開けられるのを待ってしれっと何事もなかったかのように逃げた。これなら密室は完成するし、河内さんの言っていた別の人間の声が聞こえたという証言とも整合性が取れる。
ただこれも別の密室によって否定されてしまう。ドアによる密室のみならば、解決はするのだ。しかし今回の事件はもう一つの密室がある。人の目による密室だ。
事件現場の美術室に出入りするには、必ず二年一組の教室前を通る必要がある。そしてこの教室には事件当日、川田さんたちがいた。川田さんたちは、河内さんと近衛さん以外に美術室へ出入りする人間を見ていないと言っていた。別の人間が美術室へ出入りするには、川田さんたちの目を逃れなければならず、川田さんたちは、河内さんが美術室から出てから、警察が到着して死体が発見されるまでドアから目を離していない。つまりは、美術室のドアから出入りすることは事実上不可能ということになるのだ。仮に真犯人が河内さんたちよりも前に美術室に潜んでいたとしても、やはり出る方法がない。
しかも謎は他にもある。
河内さんが聞いた声。河内さんは美術室で自分たち以外の声を聞いたと言っていた。そしてその声は、泣いていたそうなのだ。僕はこれが真実だと疑っていないが、同時にあまりにも荒唐無稽だとも思っていた。密室によって別の人物が美術室に介在する余地はないからだ。しかも泣いていたというのが余計に謎をややこしくしている。なぜ泣いているのだ。泣くような出来事があったのか?
他にも腹が裂けた死体の謎もある。近衛さんの死因は背後から心臓をさされたことによるものだ。つまり背後からの一突きで、殺しは完了しているのだ。それなのになぜ犯人は殺害後に腹を割いたのだ? わざわざ腹を割くことに意味があるのだろうか?
「では、今日は七日なので出席番号七番の……」
教師の声で意識が強制的に戻される。何を隠そう僕は出席番号が七番なのだ。
気のない返事をしながら立ち上がり、教科書の一文を読む。内容なんて一切頭に入ってはこない。ただ文字を口にしているだけの音読だ。
読み終わったので座る。
そのころには、すっかり思考が散らばってしまっていた。
八つ当たりしたい気分だった。日付と出席番号に何の因果関係があるのさ。日付と出席番号を紐づけたら、番号が若い人間が不利になるってどうしてわからないんだよ。
そもそもとして、学校って場所は出席番号にこだわりすぎじゃないか。ただの名前に意味を与えすぎだ。しかも名前なんて変えられない定数みたいなものだ。こちらからすればどうしようもない。
まったく、本当に困ったものだよ。
……名前順?
その言葉が妙に引っかかった。壊れたラジカセのように頭の中で何度もループする。ノイズ交じりの言葉が、次第に輪郭を帯びていく。ループするごとに言葉は鮮明さを増していった。
二十回ほど繰り返すころには、違和感が消えていた。
「やっぱり河内愛理さんは、犯人ではない」
僕は自分だけにしか聞こえない声で、そう呟いた。