殺人鬼お嬢様との生活
殺人鬼とは、尤も強い言葉なのかもしれない。
例えば僕は今、殺人鬼と同棲している。それも同級生を殺害し、現在進行形で指名手配されている本物の殺人鬼と。
ただ彼女は、殺人鬼という言葉だけで表すには勿体ないほどに魅力的で魅惑的な為人をしている。
日本有数の資産家の娘。日本屈指のお嬢様学校の生徒。昭和の女優を切り取って縫い合わせたような容姿。墨汁のような黒髪。白粉を埋め込んだような肌。品を煮詰めたような立ち振る舞い。人を引き付ける言葉。どれをとっても、強力な個性だし、強力な名刺になる言葉の羅列だ。
だけど、『殺人鬼』とついてしまえば、途端に意味をなさなくなる。
殺人鬼のお嬢様。
美人な殺人鬼。
品のある殺人鬼。
カリスマ性のある殺人鬼。
些細な違いはあるけど、結局のところ殺人鬼であることに変わりはない。
この通り『殺人鬼』とついてしまえば、どんな表現も、どんな偉い人物もただの殺人鬼となってしまい、意味をなさない。殺人鬼の前では、どんな言葉も無力ということだ。
「河内さんは、どう思う?」
餅は餅屋に。そんな安易な考えで、僕は新米とれたて、デビューしたての新人殺人鬼である河内愛理さんに質問をぶつけてみた。
「なぜそれをわたくしに訊くのですか?」
食器を洗う河内さんが、水道の水を止める。
「だって河内さんは殺人鬼なわけでしょ? それも同級生を殺した中々にファンキーで尖ってる上級殺人鬼。聞かなきゃ失礼でしょ」
「何度も言いますが、わたくしは殺していませんわ」
河内さんは、両手をタオルで拭い、ピンクのフリルがついたエプロンをとる。その姿はお母さんそのもので、懐かしい記憶が刺激される。まあ、そんな記憶は僕にないんだけど。
「犯人は、皆そういうんだよ」
「では、犯人でない場合、どのような言葉をもちいればよいのですか?」
次に河内さんは、掃除を始めた。雑巾を絞り、せっせと床を磨き始める。態勢のせいか、パンツがおはようしている。いや、今は夜だからこんばんはか。
僕が三日前に買ってあげたパンツだ。思えば、あの頃はなんて回想してみたけど、まだ出会って一週間も経ってないし、その間にあったことといえば変装した河内寺さんとともに日用品を買いに行っただけで変化は特にない。変わったのはパンツだけということだ。
「……私はパンツです」
「パンツ?」
「失敬。間違えました」
パンツのことで頭がいっぱいになってしまう。危ない危ない。
「私は犯人です」
「それでは、自白になってしまうではないですか」
「じゃあ、犯人じゃないです」
「だから何度もわたくしは、そう言っていますよ」
確かにその通りだ。パンツに脳みそが魅了されて、本能が強くなってしまっていた。
河内さんは猫が体を伸ばすような体制を挟み、ゆっくりと立ちあがった。そしてこちらへ振り替える。
今日初めて目が合った瞬間だった。
「河内愛理は、人を殺していませんわ」
首吊り死体のように揺らぎのない瞳だった。
「それとも、あなたにはわたくしが殺人鬼に見えますか」
「見えないね。うん。残念ながら殺人鬼には見えない」
誇ることではないが、僕は殺人鬼に敏感だ。人を殺した人間特有の空気というか雰囲気が何となく感じることができる。しかし、この一週間で経た結論は、河内さんはパンツともども白というものだった。本当に残念ながら、河内さんは殺人鬼ではないのだ。
ただ――
「でも、状況だけで見れば河内さんが殺人鬼扱いされるのは無理ないと思うんだよね」
事件を調べれば、河内さんが犯人であるとの結論に導かれてしまう。
「あなたにも道理があるということですか」
「逆にどうして河内さんが、自分の無罪をそこまで信じられるのかが不思議でしょうがないんだけど」
「自分の罪を自覚せずに生きていくほど、わたくしは弱くありませんわ」
「それだけじゃないでしょ。なにか根拠でもあるんじゃないの?」
「ええ、ありますわ」
「どんな?」
今は言えません。そんな答えが返ってくると思っていた。もう何度もしたやり取りだったからだ。そして最後には、答えが出ずに話は終わってしまうのが常だった。だから今回もそうなると僕はあきらめかけていたが、意外にも河内さんから変化を求めてきた。
「あなたが、わたくしの質問に誠実に答えてくださったならば答えますわ」
「質問?」
僕は首を傾げ、その質問とやらを促した。
「客観的にあの日のわたくしは、明らかに異様でしたわ」
あの日というのは、聞くまでもなく出会った日のことだろう。
確かに異様だった。だってあの時の河内さんは、ザクロをかじったように口元を真っ赤にし、血のスプリンクラーでも浴びたかのような格好をしていたのだから。どんな鈍感な人間でも一目でわかる異常だった。
「それなのに、あなたはわたくしを自宅へ招き、あまつさえわたくしが指名手配されていると知った後も匿うことを選んだ。初めは、鈍感な人間。あるいわ身代金目的かと思いました。しかしこの一週間、あなたと接してみて、鈍感でもなければ俗な人間でもないと感じました。だからこそ、わからないのです。あなたの目的は何なのですか? なぜわたくしを匿っているのですか?」
「僕が善人だからって答えじゃ満足できない?」
「善人ならば、見過ごすのが正義ですわ」
「見過ごせないほどの善人なんだよ」
「だとするなら、わたくしが指名手配されていると知った直後に、警察に突き出しているはず。それにあなたの言動は、初めからわたくしを指名手配犯だと知っていたように思えました」
河内さんがじっとこちらを見てくる。黒目が大きいせいか、障子に穴をあけて向こう側を除いたような気分にさせられる。
「少し前にさ、ギャルを誘拐したんだ」
「はい?」
河内さんが、お嬢様らしからぬ素っ頓狂な声を上げる。
「まあ、色々あってね。ギャルを誘拐したのさ」
「言い直されても、意味が分かりませんわ」
「だから次は、お嬢様を誘拐しようと思ったんだ」
「ますます意味が分かりませんわ。ですが、嘘ではないのでしょうね。尤も完全な本心でもないのでしょうけど」
こちらを見透かしているような言い回しに、表情だった。お嬢様にしても、ギャルにしても変なところで鋭いからやりづらい。
ここは正直に話すべきだな。僕はギャルを誘拐した時を重ねながら話す。
「気になることがあったんだよ」
「気になること?」
「事件が起きたのは、私立御園学園の美術室」
僕の明朗な語り口に、河内さんは困惑しながら頷いた。
「時刻は十八時過ぎ。被害者は学園に通う美術部の生徒。そして容疑者もまた学園に通う美術部の生徒」
容疑者の生徒は、言うまでもなく河内さんだ。世間では、名前まで明かされていないが、状況を加味すれば、間違いない。何より河内さん自身が認めているのだから。
「でも、調べてみるとさ、おかしなことがあるんだ」
僕は少しだけ真剣な口調で話を続ける。
「美術室は、事件当時、鍵がかかっていたそうなんだよ」
「教室に鍵がかかっているのは、おかしなことではないでしょう。むしろ自然なのでは?」
「いやいや、おかしいでしょ。だって美術室に鍵をかける方法は二つしかないんだよ。内側から鍵をかける方法と、外から鍵を使って閉める方法。この二つだけ。なのに、事件当時、美術室は鍵がかかっていた。一体誰が鍵をかけたっていうのさ? 死体? それはとても素敵で面白いけど、現実的ではないよね。もしくは誰かが外から鍵をかけたのか? これが一番自然だ」
僕はそこで言葉を区切り、西園寺さんをじっと見た。
「ところでさ、河内さんが持っていた鍵あるじゃん。あれって美術室の鍵だよね?」
河内さんはポケットに入っていた鍵を取り出す。
「よくわかりましたわね」
別に僕が探偵並みに鋭いとか洞察力があるとかではない。誰だって一目見ればわかるはずだ。だって、キーホルダーに美術室と書いてあるのだから。
「その鍵ってスペアがあったりする?」
「ないですわ。この鍵は特別なつくりをしているので、複製も不可能です」
「だとするなら、答えは一つしかないじゃん。美術室に鍵をかけれるのは、河内さんだけなんだから」
この事実が、河内さんを容疑者としている。
「それなのに、河内さんは犯行を否定している。それも絶対に自分は犯人じゃないとまで断言している。そして僕は、河内さんが犯人でないと確信している。おかしいよね。だってそれならどうやって鍵をかけたっていうんだよ?」
「なるほど。それがあなたが気になっていることですか?」
「端的に言えばそうだね」
端的に言わなければ、もっといろいろな思惑があるし、邪念もあるけど。
河内さんは、目をつぶった。窓の外からは、酔っ払いの鼻歌が聞こえる。河内さんは、鼻から大きく息を吸って、口から吐き出した。それからもう一度深く深呼吸をして、目を開いた。
「あの日、確かにわたくしは近衛さんと美術室で会っていましたわ」
近衛とは、今回の事件で亡くなった生徒のことなのだろう。
「そこでいつものように一緒に絵をかき、たわいない話をし、その延長で口論になりましたが、すぐに仲直りをしました」
まるで犯人が自白するような語り口調だった。それなのに、河内さんは月の光を真っすぐに浴びていた。月ではなく、自分そのものが美しいとでもいうかのように。
「すべてが日常でした。ただ一つを除いて」
河内さんは、ゆっくりとした口調で続けた。
「あの日、あの場所には、わたくしたち以外にも人がいたのです」
「人?」
人という曖昧な表現が気になって、僕は口をはさんだ。
「姿、形は定かではありません。ですが、断言出来ますわ。あの時、わたくしたち以外に、もう一人別の人物がいたと」
瞬時に色々な疑問がわいてしまうほどに、不可解な話だった。僕は一つ一つの疑問を整理し、口に出していく。
「姿、形は定かでないのにどうして人がいたってわかるの? まさか気配を感じただけってわけじゃないよね?」
「声を聴いたのですわ。男性か女性。判別は尽きませんが、泣き声のようなものを聴きました」
「泣き声?」
「便宜上そう表現しましたが、それが本当に泣き声だったかはわかりませんわ」
「その声の主が犯人だと?」
「そうとしか考えられません」
にわかには信じられない話だった。人がいた。でも、姿かたちはわからない。影も見ていない。聞いたのは声だけ。それも泣き声のように聞こえただけ。どんな凄腕の弁護士でも弁護出来ないほどの主張だ。
これを信じるならば、美術室には第三者がいて、そいつは泣きながら近衛さんを殺害し、さらにどうやってか鍵をかけたということになる。こんなとんでも話を信じるぐらいなら、河内さんが犯人だと考えたほうがはるかに現実的だ。河内さんが、今まで口を閉ざしていたことも理解できる。
それなのに、僕はそれが嘘でないと思ってしまっている。実際に見ているからだ。河内さんが、その声とやらにおびえている姿を。それも一回や二回ではない。ほとんど毎日のようにうなされ、怯えている。
いつも気丈な河内さんが子供のように怖がっているのだ。それだけで、にわかには信じられない話が、少しだけ信じてみようと思えてしまう。
「その話の真偽は置いておくとしてさ」
今は考えても仕方がない。考えるだけの情報が足りないのだから。
「とりあえず、御園学園の美術室に行ってみない?」
「なぜ今の話を聞いてそうなるのですか?」
「今の話を聞いたら、そうとしかならないでしょ。実際に行ってみていろいろと調べてみたいって思うのは、自然な感情だよ。この時間なら、人もいないだろうし」
時刻はすでに二十一時近く。この時間なら、全寮制の学校とはいえ、校内に生徒はいないだろう。
「御園学園はセキュリティが厳しいですわ。人がいなくとも、外部から入るのは不可能です」
「それなら、河内さんはどうやって御園学園から出たの?」
「それは……」
事件直後の河内さんは、一目でわかるほどに異様な姿だった。当然、そんな河内さんが全寮制でセキュリティが厳しい御園学園から普通に出られるはずがない。つまり普通ではない方法を使って出たということだ。
「あなた、嫌な性格してますわね」
「大半の人間にとって、良い性格をしていないことは確かだよ」
「……それならわたくし相手には、良い性格になってほしいのですが」
「どういうこと?」
「わたくしの心情をおもんばかってほしいと言っているのです」
「はっきりと言ってほしいな」
「……親友を失った場所なのですから、戻りたくない。そう考えるわたくしの気持ちに配慮してほしいと言っているのです」
「なるほど。でも、その場所にもう親友はいないでしょ。美術室って名前がついたただの教室だよ」
「……過剰な好奇心は、猫をも殺しますよ」
「好奇心がなくとも、猫は死ぬよ」
河内さんはあきらめたように息を吐いた。