4/4(完)
「……オレらって、何でこんな仲ええんやろ」
いきなり、ともやんがそんなことを言った。
「何でとかナイやろもう。ここまで来て」
仲良くなった後に聞かれても、そうなったからとしか言いようがない。
「たまに、実は生き別れた兄弟とかなんちゃうか思う」
「顔似てへん過ぎるやろ、二卵生か。どっちが兄キや」
「誕生日早いからオレかな。ともやとまなぶ」
「通信講座みたいやな」
ともやんからの返事は無かった。背中を向けていて、笑い声も聞こえない。
その背中を一度見て、天井に視線を戻す。
「竜一と竜二」
とだけ、言ってみた。
「……エドガーとマッシュ」
少し間があってから、返ってきた。
ともやんも、俺が何を狙っているのか分かっている。その事を確認し、俺はまた言う。
「バッシュとジャッジ」
「ダンとボビー……やったっけ」
ともやんもまた続けてきて、そこからは交互に、淡々と挙げるだけになる。
「崇雷と崇秀」
「王竜と王虎」
「孝昭と克昭」
「マリオとルイージ」
「トーマスとアーサー」
「アダムとイブ」
クイズの回答みたいに、共通点のある名前を、ひたすら挙げていく。それだけで理解できる。俺らの頭の中には、同じ知識が入っている。
「ユンヤン」
「あみまみ」
「まめつぶ」
「かつどん」
そこで、ともやんが吹き出した。短い笑い声に、いつからかずっと動いていなかった胸の奥の辺りが疼いた気がした。
「食いもんに変わっとぉやんけ」
向き直ったともやんは笑顔だった。俺は敢えて真面目な表情を作って説明する。
「ちゃうわ。あの、ほら、太鼓のやつあるやろ。赤と水色で、和太鼓に手生えとぉ……」
「えっ? 双子なん? そんな設定あんの?」
「らしいで。親は知らんけど」
そこで、またしてもともやんからのリアクションが無くなった。
初めから真剣な話がしたかったのだろう。俺も覚悟して肚を据える。
「……まあ実際、ホンマの兄弟より仲ええもんな」
間違いなく、ともやんとは、他の誰とも違う何かがあった。
ゲームをしている時も、それ以外の間でも、こんな風にずっと喋っていたいと思う。ボケツッコミも、ちょうどいい間合いで欲しいフレーズをくれるし、今のように何の前振りもなく始めたノリでも、すぐに理解して付き合える。そのテンポまで心地いい。
一緒にいるだけで、血の繋がった家族より落ち着くのだ。何より、お互いにそう感じているのが分かってしまう。
「他の人とはここまでならへんかったやん」
布団にこもった声が聞こえる。さっきの内緒話と違って、本当に言いにくいことを言う時、ともやんは口元を隠す癖がある。
「みんな結婚してもうたしな」
「彼女相手でも、やっぱ気ィ遣うやん」
ともやんが彼女と同棲しているのは知っている。
ただ、あまり話題に上がらないので、相手がどんな人なのかは詳しく知らない。年下で、看護系の仕事をしていると聞いた気がする。
「結婚とか絶対できへんねやろな、自分」
正直に言った。俺の家でともやんが自由にできるのは、気心の知れた俺しかいないからだ。
ともやんが布団から顔を出す。
「自分が願望ないからって余裕すぎへん?」
「プレッシャーかけて来る親もおれへんしな。こういう事できんようなるんやったら、ずっと独りでええわ」
俺に人並みの焦りがないのは、父親の背中を見ていたせいだろう。
死因は、今で言う過労だった。嫁と子供を養うためだったのか、出世したかったからかは分からない。どっちにしても、そのために死んでしまっては元も子もないと、俺は中坊なりに思ったものだ。
あくせく働いて、偉くなっても、死ぬ時は死ぬ。場合によっては家族を遺して。
それなら、わざわざ苦労する道なんか選ばず、衣食住だけ確保すればいい。余った部分で、自分の手が届く範囲の幸せや、好きな事をして生きればいい。そう考えるようになっていた。
「そこホンマ強いよなぁ」
ともやんはしみじみ言って、両腕を上に伸ばした。近くにあった漫画本の山に手が当たって、ちょっと避ける。
物で溢れそうなこの部屋で寝た女の人も、居るには居る。そういう時は掃除も少しまめにはしていた。だが、朝方まで、こんな風にだらだら喋って過ごす事はなかった。
ましてや誰かと家族になって、ともやんと時間を過ごせなくなるなら、俺はずっと独りでいい。
「なぁ、まなぶ? オレら男同士やなかったら、絶対結婚しとった思うんやけど」
そんなことを考えているのを見透かしたように、ともやんが言ってきた。
ボケで言っているのではない。ツッコミを求めるなら、もっと分かりやすい言い回しをしてくるからだ。
それに、普段は『お前』とか『自分』と呼び合っている俺を、わざわざ『まなぶ』と呼ぶのは、特別に思っている時しかない。
「それはそやろな。ほんで今頃、父親参観とか行っとぉで」
俺も、茶化さずに答えた。
格好を付けるとか、気を遣うとか、そういう人間としての社交性が発達する前に知り合った相手。なおかつ趣味も話も間も合って、何かがきっかけで離れても、何とかして一緒にいる時間を作りたいと思える相手。
三十六年も生きて、こんな特別な存在には、たった一人しか出会えなかった。むしろ、幼馴染であっただけラッキーなのかも知れない。
「まあ、男同士やったから、こんだけ仲良くなれたんやろけど」
自分から言い出したクセに、ともやんは自分でオチを付けた。
俺もすかさず言い返す。
「ほな別に男同士でもええやんけ」
「せやな」
「何じゃコラ、ワレ、しばくぞ」
あっさりと認めた事に対して、きつ過ぎる口調で言った。ともやんも分かっているから、へへっと笑う。
お互いを受け入れているのが分かる。
「世の中何でも、なるようになっとぉねや。ダボが……」
「何ぼほどキレとぉねん」
欲しかったツッコミを貰い、俺も満足して笑う。
ともやんに言ったつもりだったが、俺自身にも言い聞かせた気分だった。
朝になれば、俺のこの特別な男は、彼女さんのいる名古屋の家に帰る。
そして自分の家なのに、他人と気を遣いながら、格好を付けながら、暮らしていく。俺には考えられない。
「……ずっとおったええのに」
何となく言うと、
「今ちょーどオレも同じこと考えてたわ」
そう返ってきた。『ちょーど』の部分を強調した、いつもの言い方だった。
「せやんな」
もう、わざわざ口に出して確認するまでもない。ともやんの頭の中は、手に取るように分かるのだから。
「その神戸支所、三宮の山側の方やねんけど。こっから通おかな」
「そうしぃ。空いとぉ部屋あるし。家主、俺やし」
両手を組んで、枕の下に入れながら、了承する。
自分が何を言っているのか、何をしようとしているのか、理解しているつもりだ。
それは、ともやんが俺に言って欲しいことであると同時に、俺も望んでいた事でもあった。まさか手が届くとは思っていなかったから、今の今まで、今のままでいいと諦めていたが。
ただし、こんな風にあっさりと望みが叶いかけているからと言って、手放しで喜んではいけない。
「彼女さんどうすんの?」
目を閉じて、少し顔を背けて聞いた。俺らは、何もしないまま歳を取りすぎていたのだ。
「そこなんよなぁ、うーん……」
ともやんはともやんなりに考え、悩んでいる。両手で顔を擦るのが聞こえる。
「そろそろ結婚しやな別れるー的なこと、前から言われとぉねんけど……」
「女の人は年齢制限あるからな」
「男も一緒やけどな、実のところ」
うっかりすると話が脱線しそうになる。
他愛ないことを延々と喋っていたいし、そんな生活もいずれ手に入るだろう。しかも、近い内に。
そうなるためにも、今ここで、目を背けてはいけないのだ。
「……別れたったええやん」
ついに言ってしまった。
ともやんは、セコい。いざと言う時に思い切りが悪くて、今だと言うところを逃して失敗してしまうのを、俺は知っている。今回も、そんな俺に背中を押させる気でいたのだ。
俺はそれも分かった上で、そうせざるを得なかった。
「結婚できへんの、ホンマは自分でも分かっとんちゃうんか。ズルズル伸ばしとん、あんま良うない思うで」
ともやんは、今夜は黙りがちだ。話の途中で寝るような男ではない。
ただ、こういう話の時にどんな顔をしているのかは、想像できなかった。何しろ俺とともやんが子供だった頃には、有り得なかった事が起きようとしているからだ。
顔を向けると、ともやんも俺を見ていた。
「……もし別れたら、付き合うてくれるか?」
掠れた声で聞かれ、俺は思わず手を伸ばしたくなった。
「ええよ、一緒に泣くわ。中学ン時みたいに」
「ちゃう。そうやなくて──」
実際に動いたのはともやんが先だった。
ゆっくりと手を伸ばし、枕の下に滑り込ませてくる。そのまま、俺の手を掴んできた。
「俺はヨコちゃん先輩やないで」と、いつもなら言っていただろう。
今は、それができなかった。この歳になって、初めて味わう感覚と空気があったのだ。
ガラにもなく、ドキドキしていた。
初めてホラーゲームを一緒にした夜の方が、ずっとドキドキしたし、もっとぴったりくっ付いていたのに。あの時は、お互いに気付かないふりをしたのだ。
そうなっても別に構わないのだと思えるほどの、人生における攻略法を、まだ知らなかったから。
自分が手を握りたいと思ったまさにそのタイミングで、手を握ってきた相手はいない。
恋愛もセックスも人並みに経験して来たのに、結局誰とも形にならなかったのは、今日のためだったのかも知れない。
「──か、彼女捨てるようなクソみたいな奴と、一緒なってくれるんかて、聞いとぉねや」
お互いに、顔を見られなかった。
ともやんの手は熱くて、震えていた。白熱してコントローラーを操作している時よりかすかにだが、俺には分かる。
どうやら、お互いに対するこの気持ちが何なのか、いよいよ認めなければいけない時が、俺らに来たらしい。あまりにも今更過ぎて、どんな顔をしていれば良いのかも分からなくなってしまった。
ともやんは、一旦腹を括ってしまえば、やる男だ。俺はそれを知っている。
彼女さんとの結婚には踏み切らずにいたこの男が、俺に対しては手を震わせながら聞いてきたのが、どれほどの覚悟か。その重要性を、痛いほど理解している。
枕の下から手を出して、握り返した。
「……当たり前やろ。それ待っとぉ俺の方がクソやねんから。目クソ鼻クソや」
反対方向に動いては、途中で止まっていた時間が、初めて進み出そうとしていた。
ともやんが俺の修理をして、俺はともやんの背中を押す。俺らは初めから、二人でいるべきだった。俺とともやんさえいれば、どんなステージでも、いつかはクリアできるのだから。
リセットではなく、コンティニューでもない。ここからは、ツープレイヤーモードのニューゲームに、挑んでいく事になりそうだ。