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一台のハードを取り出し、ウェットティッシュで拭いて、テレビに接続してみる。
使っていなれば捨てるようネーちゃんには言われたが、繋がらなくても、俺は置いておくつもりでいる。ここに住んでいるのは俺なのだから。
「こないだちょーどネットで動画見とったトコやわ」
後ろの定位置で、発泡酒の缶を開けて飲むのが聞こえた。冷蔵庫に常備している缶が何本だったか、家主の俺でも正確には把握していない。
「ワシらと同世代のおっさんがやっとんやて」
「人がやっとんの見ておもろいんかぁ? 自分でやらな意味ないんちゃうんか」
テレビの裏に手を突っ込みながら言い返す。三色ケーブルの差し込み口を探していた。赤と白が左右の音声、黄が映像信号だ。
しばらく手探りでやってみても、それらしい穴がなく、埒が明かない。
それを見ていたともやんが言ってくる。
「何しとん?」
「待ちや」
俺は説明もせず、テレビを台ごと動かして側面から覗き込む。裏に溜まっている綿埃は見ない事にする。
「ずっと待っとぉで」
ともやんは律儀に返してくる。また笑ってしまった。
お前も手伝えと言う気も起きない。いつも接続するのは俺で、ともやんはあの位置で待っている。
きちんと目で見て確認すると、ケーブルの差し込み口はテレビの裏ではなく、側面にあった。
最近は一気に電化製品や電子機器に疎くなった気がする。ブラウン管から薄型の液晶テレビになった頃は、こんな風になるとは思いもしなかった。
体勢を正座に変えて、ケーブルを右手に持ち変える。
「あっ、おい! 嘘やろ!」
また独り言を叫んでしまった。ともやんもまた律儀に反応する。
「えっ、どないした?」
俺は三色ケーブルを持ったまま、問題の部分を指差した。ともやんは缶を持ったまま、俺の隣に来て覗き込む。
このテレビには、赤白黄色の円形の差し込み口がついていなかった。
音声と映像の信号をまとめて送るHDMI端子の差し込み口しかない。ケーブルの断線以前の問題だ。物理的に、接続不可能なのだ。
「はあー?」
納得いかなそうな声を上げたのはともやんだった。
しゃがんだ体勢で寄りかかってくる。俺も力が抜けて、その場に腰を下ろした。
「買い換える時何にも気にしてへんかったなぁ。まさかこんなん発掘する思わんで……」
「確かに、それもそやなぁ」
ともやんも切なそうに言って、酒を一口飲む。
あれだけ熱中した自分たちでさえ、存在を忘れていたくらいなのだ。
「もうこのゲームする人おるとか、想定されてへんねやろなぁ。さらで売っとんのなんか見いひんもん……」
好きだった物が、時代の流れで淘汰されていく。こういう事があると、すごく歳をとったように感じる。
行き場を失った三色ケーブルは、外側のゴムが変色していたし、内側も少し錆びていて、自分そのものみたいだった。
俺とともやんは、ちょうど日本にテレビゲームが普及して、急速に進化した頃に生まれた。ゲームと一緒に成長してきた。
グラフィックは2Dドットから3Dポリゴンに、オーディオはモノラルからステレオに、それを内包するロムカセットは光学ディスクに、コントローラーはケーブルではなく赤外線で繋がるようになったのを、文字通り体験してきた。
データは外付けのメモリーカードではなく内蔵ハードディスクに記録して、インターネットに接続、それを通しての共有が当たり前になった。画面を写真に撮る必要も、ソフトをパッケージで買う機会もなくなった。
新しい技術が搭載される度に驚き、感動したものだが、今となってはそれが切ない。粗くても、不便でも、敢えてそれを選びたいほど恋しく思っている。
「世知辛い世の中やで」
ともやんは尻で後ずさりして布団の上に戻り、俺もケーブルを段ボール箱に戻す。期待させた分、申し訳なくなる。
「前のテレビじゃみって放かしてもうてんなぁ……」
何とかしたかったが、換える前のテレビなら対応していたかどうかも記憶にない。
「いや、ええよ。しゃーないしゃーない」
ともやんはそう言いながらスマートフォンを手にしていた。
何やら操作をして、すぐに、
「あ、変換器はあるらしいで」
と言った。どんな製品があるのかを調べるのに慣れた速さだ。
昔から、ともやんは俺より機械に強い。挙動のおかしくなったコントローラーをドライバー一本で直した事もある。業者へ修理に出せばそれだけ日数も金もかかるので、そういう時のともやんは頼もしかった。
「なんぼ?」
聞くと、ともやんはスマートフォンから顔を上げず伝えてくる。
「ちょーど千円せんくらい」
「全然ちょうどちゃうがな」
思っていたよりは安かった。が、それを知ったとて、今すぐにどうにかできる問題ではない。
「でも、今すぐには届けへんねやろ」
「翌日配送あるで」
「翌日名古屋戻っとぉやん、井上さん」
確かにゲームは好きだし、一人でやっても懐かしさに浸る事はできるのだろう。
数年前から、復刻版が出始めたのも、情報としては知っている。
俺のようにレトロゲームを懐かしむ世代や、ともやんの言うネット動画で知った若者向けに開発されているのだ。
当時よりもっとコンパクトなハードで、もっと良い画質や音質で、楽しめるようになっているのだろう。
だが、俺はこれでなければならない気がした。この埃を被った本体で、そしてともやんと一緒にやれなければ、意味がないような気までした。
「名古屋ちゃうて。豊田や、吉池さん」
井上さん、もとい、ともやんは東京で何ヶ所か引っ越しをした後、東京以外にも転勤させられている。具体的にどの期間にどこにいたのか、本人ですらちゃんとは把握していない。
どこに住んでいようが、今日のように出張の後や、何日かまとまった休みがあればこうして俺の家に来るのだ。俺が行った回数より、ともやんが来た回数の方が圧倒的に多い。
その度に俺の家の酒を飲んで、俺のジャージを着て、俺の漫画を読んで、俺と同じ銘柄の煙草をしがみながらゲームをする。持ってくるのは仕事の荷物と、自前のコントローラーと、二人分のつまみだけだ。
ある時、ウチに来たともやんが言った言葉がある。
「リセットしに来た」
リフレッシュを言い間違えたのではなく、本人にとっては確かにそうなのだろうと、俺も理解した。
俺がともやんと一緒に遊ぶ事で一番楽しかった頃に戻るように、ともやんはこの家に来て俺と過ごす事で、一番調子の良い状態の自分に戻るのだ。
ロールプレイングゲームで行き詰まった主人公が、セーブポイントからやり直すように、ともやんはここからまた気持ちを新たに、大阪や東京や名古屋での生活というステージへ挑んでいた。
やりたかったゲームがこんな形でできなかったのは、裏切られた気分だった。が、いちいち引きずってもいられない。
つまみをティッシュの上に広げ、酒を飲みながら、シリーズの新作が出たばかりの格闘ゲームをやった。
中学の帰りに、二人でこっそり校区外のゲームセンターまで行って、アーケード版の筐体で遊んでいたシリーズだ。
まさかここまでこのシリーズが続くとも、家庭用版として出るとも、当時は知らなかった。薄暗くて換気の悪いゲームセンターと、電気を消した俺の部屋に篭る煙草の匂いだけが、二十年前と同じだ。
「オレ昔、こんな大人なる思てなかったわ」
ともやんが横で言うのが聞こえた。
コントローラーを動かす度、腕や肩も一緒に動いている。レバーやボタンのカチャカチャ音も大きくて、力が入っているのが分かる。
「そうなん。俺は思とったで」
俺は、無駄な力は込めたくない。胡座に組んだ足の上に置いて、優しく持って、指先だけで操作をする。
「嘘つけや」
「ホンマや。お前が東京に配属されんのも分かっとった」
「ほな何であんなヘコんどったん?」
お互いに画面を見たまま会話を続ける。
たった二秒の瞬きすら命取りになる対戦中に、口から出任せに話していられるのは、ともやんだけだ。そんな相手と今までのように会えなくなるのが寂しかったからに決まっている。当時は、東京がとても遠い場所に思えていた。
「ちなみに言うとやけど中学ン時、お前がヨコちゃん先輩にフられんのも分かっとった」
俺は答える代わりに、話を逸らした。
「お前が告れ言うて来たんやろ! 分かっとぉねやったら止めろや!」
ともやんが大声で言ってきたので、俺も同じ音量で言い返す。
「なんや、俺が言うたら止まってたんか! お前の愛情そんなもんか!」
「いや! そうやない! オレは結構本気でヨコちゃん先輩のこと──あっ!」
俺のキャラクターの投げ技が、ともやんのキャラクターに炸裂する。
「何しよんねやこいつ!」
ともやんの本体が画面に向かって叫んだ。
滅多に決まらない大技だ。掴まれてすぐコマンド入力すれば抜け出せたのに、話に気を取られていたらしい。
勝敗が決まり、ともやんはコントローラーを握りしめたまま、悔しそうに前のめりに倒れる。そばにあった発泡酒の缶も倒れたが、もう空だった。
「くっそー! 今の抜けれたのに……!」
「動揺したなぁ」
俺はわざと腹が立つように勝ち誇った声で言い、ともやんがいつ顔を上げてもいいよう表情まで作って、自分の缶をあおった。
「ヨコちゃん先輩……オレ、勝てませんでした……」
ともやんが泣きそうな声で言ったので、俺は笑って吹いた。反則だ。口や鼻から酒をまき散らしてしまって、部屋着や布団にかかった。
「ちょお、お前っ! その言い方アカンやろ!」
炭酸が気管に入り、気道に刺さって、むせながら言った。
顔を上げたともやんも笑っていた。
ともやんの反則技『ヨコちゃん先輩』とは、同じ中学にいた一学年上の女の先輩だ。洋子という名前で、美人で、明るくて、気さくな人だった。
ともやんはそのヨコちゃん先輩に本気で憧れていたらしかったので、俺は告白するよう背中を押した。
と言うのも、ともやんという男は、いざと言う時に思い切りがよくなかったからだ。アクションゲームでも、シューティングゲームでも、散々タイミングを測った挙げ句、今だと言う所を逃して失敗してしまう。代わりにやってやるのは、ずっと俺の役目だった。
その甲斐あって、ともやんは先輩の卒業式の後に告白する決心をした。一旦、腹を括ってしまえば、どんな難しいステージでもやり切る男でもあったのだ。
当然、俺は応援した。ともやんが先輩と付き合えたら、嬉しいだけじゃなく、あわよくば俺も美人な先輩と一緒に遊べるかも知れなかった。
けれど、ヨコちゃん先輩は当日、ともやんの呼び出した公園に来てくれなかったらしい。
今になって思えば、先輩に彼氏がいたとか、一後輩に過ぎない男子を相手にするはずもないとか、分かりそうなものだが、当時は何も知らなかった。
悲しそうにしているともやんを見ている内に何故か俺の方が先に泣けて来て、結局、二人で一緒に泣いた。