【高校一年生】
家へ帰ると、母さんに昨日と全く同じように「明日は早く帰ってきてね」と言われた。僕は、「明日は土曜日だから学校はないよ」なんて言うこともなく、軽くあしらった。
母さんの作ってくれた夕食を食べ終えて、次書く小説のネタを考えるため、机に向かう。
小説を書き始めたのは、中学二年の冬から。僕はそれまでも、物語を考えるのが好きだった。小学生高学年の頃まで、人形遊びを続けていた。頭の中で台詞を読み上げながら、人形を動かす。人形遊びをしている時は時間を忘れられた。何時間も無言で人形を動かしていて、父さんに頭の病気かもしれないと心配されたことさえある。
一時、その人形遊びをやめたことがあった。父さんに自分の脳を過度に心配され、本当に僕は何かがおかしいのではないかと怖くなったからだ。
人形遊びをやめてから、毎日が退屈だった。ゲームをしてもその鬱憤は晴れなかった。
しかし、ある時、母さんが買ってきてくれた小説を読んだときに思った。
僕も、小説を書いてみたい。
本の内容は全く覚えていない。ただ、僕もこんな風にたくさんの文字で物語が自由に作れたらいいのに、と感じたことは覚えている。
僕の人生には、創作が必要不可欠だと気づいた。
創作能力の有無は置いておいて、僕は物心つくころから、創作を食事や睡眠みたいに無意識に行なっていたのだ。
それを自覚して、今に至る。この創作欲が何に繋げられるか、今でもわからない。ただ、僕の欲を満たしてくれるのは、創作だと気づいた。
今度は恋愛ものに挑戦してみようかな。
椅子に座り、親指と人差し指を花びらを掴むように優しくすり寄せながら、ぼんやりと次の話についてノートに記していく。
恋愛。
切ない。
幸せ。
目に見えない苦労。
孤独。
頭に、夜の空の星みたいにポツポツと言葉が浮かんでいく。それをただひたすらに、ネタ帳であるノートに書いていく。書けば書くだけ、今日愛内と一緒にいた時の胸のざわめきが深くなっているような気がした。
面倒くさい人なのに、どうしても嫌悪感を抱くことは出来なくて、それがもどかしい。
殴り書きをするように、ノートにたくさんの文字をボールペンで残していく。
何が出来るだろうか。僕に一体、どんな物語が作れるだろうか。
才能なんてないけれど、ただどこかで、僕は自分に期待している。
四月中旬の昼休み。
相変わらず教室の真ん中で、八人組の女の子たちがいつものように騒いでいた。
「美波のライン聞きたいって、隣のクラスの子が言ってたんだけど良い?」
「いいよー」
僕は彼女たちを、自称一軍女子と勝手に名付けている。彼女たちは基本、恋愛の話か、テレビの話か、誰かの悪口で盛り上がっている。愛内は、いつもどの話にも賛成も反対もせずただ笑っているだけだった。それが一番、敵を作らない正しい立ち回りだからだろう。
僕がスマホを出そうとカバンに手を伸ばそうとすると、人が通りかかる気配がした。だから僕は、スマホを取るのをやめ、何もしないフリをして姿勢を正した。
「なぁ、桜庭。一緒に食ってええ?」
僕の隣を通ろうとしたその人は、僕に話しかけてきた。
「え?」
意外な人物に腑抜けた声が漏れる。
「あかん?」
学級委員で野球部の岸田くんだ。誰が見てもわかるように、彼と僕とではタイプが違いすぎる。クラスをまとめる指揮官のような岸田くんと、クラスメイトから名前も覚えられないような、演劇をするなら期の役をさせられるような僕。
岸田くんは先週まで、クラスの中でも目立つ男子たちと一緒に食べていたはずだ。
一人でいる僕が、かわいそうに見えたのだろうか。それならば心外だ。僕は一人でいることに、辛さなんてものはない。
思わず顔をしかめた。そんな僕を岸田くんは、大型犬みたいな目で見てくる。
「嫌?」
一人でも悲しくなんか無い、心配するなという意味で「大丈夫」と言おうとしたが、そんな言い方をされたら何も言えない。
僕は警戒しながら、うんと頷いた。
すると岸田くんは黙って、僕の前の空席に座った。大きな身体だから、椅子がキュウっと音を鳴らした。
「どうして僕と?」
購買で買ってきたであろう焼きそばパンと大きなおにぎりを持っている岸田くんに、僕は母さんの作ってくれたハムと卵のサンドイッチを食べながら純粋な疑問をぶつけた。
「なんか、他のやつといるとイライラしてまうから」
岸田くんが、顔色一つ変えず、大きな声でそう言った。
心臓が、ジェットコースターを一気に下ったときのように、ひゅんとなる。
一気に僕の周りが静かになる。教室の真ん中にいる自称一軍女子たちでさえも、一瞬にして静まりかえっていた。
当の本人は「これうまっ」と言いながらの呑気におにぎりを食べている。
先週まで岸田くんと一緒に食事をとっていた男子たちの冷めた視線を感じる。
僕はどうしてこうも、目立つ人ばかりに絡まれるのだろうか。僕は目立ちたくないのだ。自由でいたいのに。
「女子に点数付けたり、他の男子の悪口とか言うやつ、きついねん。俺そういうの嫌いやから」
「一人で食べればいいじゃん?」
少し言い返してみる。
「それは寂しいやん?」
でも、なぜかそこだけ乙女みたいな口調で言ってきたので、僕はしかめていた顔を緩めて思わず笑ってしまった。岸田くんも、僕の笑いにつられたのか少し口角を上げた。
「それに俺、桜庭のこと、結構気に入ってるねん」
「僕、何かした?」
「なんか、自分は自分、他人は他人、って考えてるやつ、俺結構好きやねん」
自分と他人を上手に切り離しながら物事を考えている自覚はなかったが、岸田くんがそう言うならそうなのかもしれない。それに、僕もそういう考え方が好きだ。自分がそう思われているなら、嬉しい。
僕は案外チョロいのかもしれない。さっきまでしかめていた顔の筋肉が、一気に消え去って頬が緩んでいくのを感じる。心のじんわりするような、溶けるような嬉しい感覚がして、思わずはにかんだ。
自分が思っている自分、自分が長所として捉えているところを褒めてもらえるとこんなにも嬉しいんだ。
僕の岸田くんに対する評価は、ぐんと急上昇した。
「僕も、嫌いなことをはっきり嫌いって言えるところ、良いと思うよ」
「どういう意味や?」
僕の言葉に岸田くんは、顔を傾ける。
「嫌いなものに正直になれない人っているじゃん」
僕がそう言っても、彼はぽかんと口を開けているだけだった。僕の言っている意味が、理解出来ていないみたいだ。
「じゃあ、桜庭は何が嫌いなんや?」
岸田くんはそう言って、おにぎりの残りをパクリと一気に食べた。そしてもぐもぐと噛みながら、焼きそばパンの袋に手をかける。ぱあんと大きな音を立てながら、パンの袋が開いた。
頭に嫌いかどうかわからない曖昧なものがたくさん浮かんで、僕は岸田くんの問に即答できなかった。
「まぁ、なんでもええわ」
一瞬の沈黙もなく会話は進んでいく。岸田くんは会話のペースが早い。ただ、独りよがりなペースではなく、相手を巻き込むような、僕も一緒にそのペースに連れて行ってくれるようなコミュニケーションの取り方をしている。
お得意の人間観察で岸田くんを考察する。
「これは微妙やな」
岸田くんは少し眉をひそめながら、焼きそばパンを口にしている。
表情と言葉が一致する彼は、見ていて安心できた。言葉を深読みしなくても、譜面通り受け取って話せる。
嫌いなものは何か、と僕に聞いておいて、僕の嫌いなものなんてもうどうでも良さそうな顔をしている。
「桜庭さ、ギフアイって知っとる?」
「何それ」
「は?お前も知らへんの! アイドルよ! 超絶人気のアイドル!」
岸田くんが急に饒舌になり始める。どうやら彼はアイドルオタクらしい。
「ギフアイ? 調べてみるよ」
調べる気はあまりないけど、とりあえずそう答えた。
「そう! ギフト of アイ。略してギフアイ! それでな、そこのグループのセンターの ――」
何やら真剣に語り出した。
普段の真面目で寡黙そうな彼とは大違いだ。
気づけば、岸田くんの好きなアイドルの話で昼休みは終わった。