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花びらを君に  作者: 朝土玲唯
【春】【桜庭 祐】
6/39

【高校一年生】

「桜庭くん! 一緒に委員会に行こう!」

 終礼が終わると、愛内は委員会に一人で行こうとしている僕に勝手についてきた。

 僕は何の返事もせず、黙って階段を降りて靴箱に向かった。無視したにも関わらず、愛内は僕に勝手に引っ付いてくる。

 階段を降りているだけなのに、無数の視線を感じる。僕にスポットライトが当たっているわけではなく、愛内を中心に照らされるスポットライトに、場違いな僕が入り込んでしまったという状況だ。

 出来るだけ目立ちたくないので、他人のフリをしながら靴を履き替えようと靴箱の前まで移動する。そして、上履きを取るため、しゃがみながら愛内の顔をチラリと覗く。下を向いていようが、デフォルトの笑った顔の顔をずっと崩さない。頬にうっすらえくぼが出来ている。

「美波ばいばーい」

 別のクラスの友達だろうか。僕の知らない女の子が僕の隣で靴を履き替えている愛内に手を振る。愛内は、すぐにぱっと身体を起こして、その子に手を振った。

「ばいばーい」

 歯をむき出しに笑っている。その様子に、他クラスの男子までもくぎ付けになっている。

 

 今の愛内を見て『この人死にたいんだろうな』と感じる人は一人もいないだろう。むしろ、この人は生きるのが楽しくて仕方ないのだろうと感じるはずだ。

 どうしてそこまでして、自分の気持ちを隠そうとするのだろうか。

 創作のネタとしてなら、愛内に少しは興味がある。しかし、彼女本人に深く関わろうとは到底思えない。

 絶対に、ただのクラスメイトという関係から近づきたくはない。もし近づいたときには、僕は彼女のファンである男子たちや、彼女のことを憧れとする女の子たちから刺されるだろう。

 僕はうつむきがちに図書館棟へと歩いた。隣の愛内は変わらず僕の隣を歩きながら、いろいろな人に手を振り続けている。

 ずっと、えくぼを出しながら。

 僕が歩くペースを速めても、反対にとてつもなくゆっくりにしても、愛内はたくさんの人に声をかけられているにも関わらず、僕の気配を感じ取ってなのか僕に引っ付いてくる。

 普段人からの視線をほとんど浴びない僕にとって、視線というスポットライトはひどく眩しく、僕の体を疲弊させた。

 

 帰って行くたくさんの人とすれ違いながら図書館棟についた時には、なぜか僕はとても疲れていた。

 横目で愛内を見ると、彼女は僕しかいないのにずっと笑っていた。幕が下りても演技をやめない俳優みたいだ。

「気持ち悪いよ」

 図書館棟のドアを開けながら、僕は小さく呟いた。いつもは脳内で止められていた素直な感想が、疲弊のせいか勝手に溢れてしまった。

 しまった。こんなことを言った僕は、明日からいじめの対象になっているだろうか。

 そんな不安が頭をよぎる。

 

 いや、それでも、愛内の笑顔は本当に、僕にとっては気持ち悪い。

 

 不快感がするから、やめてほしい。

 

 今度は、これらの感情にブレーキが出来た。

 僕は愛内の顔を見ないようにしながら、黙って委員会が行われる二階の自習スペースへと足を進める。

 一段一段踏みしめながら階段を登る。


「アハハ」

 

 子供みたいな、

 あの日、

 僕たちが初めて出会ったときに聞いた愛内の笑い声が聞こえてきた。

 僕は足を止める。昨日愛内と数分会話をした踊り場で、足を止める。そして、振り返ってまだ階段を上ってこない愛内の姿を見る。

 

 愛内は、なぜか肩を揺らして、嬉しそうに笑ってこちらを見上げている。教室では顎を少し引いて笑うけれど、大胆に首をこちらに上げながら笑っている。それに、いつも出ているえくぼは出ていなくて、目がきゅっと三日月型になって目尻にしわが寄っていた。

 

 気持ち悪くない。

 今の顔は、気持ち悪くない。

 そう思った。口にはしないけれど、そう思った。

 でも気持ち悪いと言われて笑う愛内は、気持ち悪い。

 

 愛内が走って階段を上り、僕に近づいてくる。笑ったままの愛内が、僕の視界を覆い尽くすかのようにして近づいてくる。体を反らす暇もなく、ただただ僕らの距離は縮まっていく。

「私、桜庭くんみたいな人。好き」

「……へ?」

 愛内が急に突拍子もないことを言い出すから、変な声が出てしまった。

 これが告白でないことぐらい、自覚している。愛内は僕のこと『おもしれーやつ』とでも思っているだけだろう。

 そうわかっているのに、耳まで赤くなっていくのが自分でわかった。こんなことで動揺させられる自分に恥ずかしくなり、僕は愛内から目を背け、速足で歩きだした。

 女の子に『好き』だと言われたら、どんな男だって、少しは期待するに違いない。でも、愛内の好きには、いやらしさというものは存在しないように感じた。恋心も下心も一ミリも感じない。ただ単純に、僕が面白そうという興味だけで構成された『好き』だ。彼女にとって僕は、インタレストだ。

 『一年二組』と張り紙が貼られた机の箇所に座る。プリントが二枚分置いてあったので、すぐに隣に来た愛内に無愛想に渡した。

 動揺させられている僕に構わず、愛内は「ありがと」と小さく呟き僕の隣に座った。

 そうして、感じたことのない心臓のざわめきを感じながら、委員会は始まった。


 相変わらず僕の隣に座る愛内に視線は集まっていて、僕まで緊張した。同じ学年の人から、上級生の人まで多くの人が愛内を見ていた。その視界の範疇に僕も映っていた。

 図書委員会担当の先生が、委員会の仕事内容について話し始める。

 図書委員会の仕事内容は簡単で、本の返却期限が過ぎているクラスメイトに各自注意するという仕事だけ。それも、一度目は担任から注意があり、それでも本を返さない生徒へ注意をするというとのこと。

「まじで図書委員カモだわ」

「本当? 私初めてやるんだけど」

 まだ先生の話が終わっていないが、僕と愛内の後ろに座っている二年生の女の人二人がひそひそ声で話し始める。

「いや、本当に仕事ないよ。去年やることなかったもん。私内心点のためだけに委員会やってる」

「確かに、本借りる人なんて真面目ばっかりだもんね」

 後ろからの声に僕の心臓がひゅんと鳴る。

 

 本を借りる人は、しっかり期限内に返却する真面目ばかり。

 そうでないことは、僕が証言できる。

 小学六年生の夏休みに小学校の図書室で借りた、宮沢賢治の『注文の多い料理店』は、僕の家で今も眠っている。返さないと、とは思っていたが注意されることはなかったからずっと家に置きっぱなしにしていたら、そうこうしているうちに小学校も中学校も卒業し、高校生になってしまった。

 本を読む人は真面目ばかりではない。そう思いながら、なんだかやる気のなさそうな先生の話を聞いていた。

 

 それから、三年生の中から委員長が決まって、委員会はすぐに終わりを告げた。

 僕は椅子から立ち上がり歩きながらスマホを取り出し、『委員会が終わったら帰る』と母さんに連絡をする。

 早く帰ろう。

 母さんの既読を確認することもなくスマホをカバンにしまい、階段を下りドアに手をかける。

 委員会にいた人の中で誰よりも早く階段を下りた。しかし、背後から嫌な足音がした。

 急いでドアを開けた。小さく開けたはずのドアのすき間を、走って人がすり抜けてくる。

「ねぇ、家どの辺なの?」

 あぁ。最悪だ。

 愛内が僕の隣にすり寄ってくる。愛内の後ろから、同じ委員会にいた違うクラスの男子がじっと僕らを見ていた。いや、『僕ら』ではない。愛内を見ている視界の中に、僕が背景として紛れ込んでいた。

 僕は愛内から逃げるように早足で校門に向かった。でも、それでも愛内はついてきた。

「あんまり、知られたくない感じ? 無理に聞いてごめんね」

 早足の僕に犬のようについてくる愛内が、申し訳なさそうな顔を向けてくる。

 彼女は本当にずるいと思う。

 可愛い犬というより、悪戯をして許しを乞うずるい犬みたいに見える。

 小さくため息をつきながら口を開いた。

「団地……。団地に住んでる」

「団地? どこの!?」

「海沿いの」

「私もそこの団地に住んでる! 一緒だね!」

「は!?」

 大きな声を上げ、校門から出た足を思わず止めた。その瞬間、愛内を見ていた後ろの男子と初めて目が合った。

「私、この春ここに引っ越してきたの。この高校に通うために」

 空から桜の花びらが降ってきて、満面の笑みを浮かべている愛内の頭にピタリとくっついた。後ろを歩いていた男子は、再び愛内を見て、そして僕を見て、そのまま僕らの帰路とは反対方向へと帰って行った。

 僕はわざとらしくため息をついてから、さっきより少しだけスピードを緩めて、再び歩き出した。相変わらず僕の隣に愛内はついてくる。僕はもう愛内から逃げることを諦めた。

「随分と金持ちなんだね」

 なぜかヘラヘラと気持ち悪い顔で笑っている愛内に話しかける。

 高校に通うためだけに引っ越しをするなんて、金持ちにしかできないことだ。

 僕は少し冷たさを交えながら、愛内に言った。

「まぁね」

 嫌味をこめて言ったのに、愛内は嬉しそうにフンと鼻を鳴らした。僕はそんな愛内を、少し憐れむような目で見た。

 金持ちというのは、大変なことだと思う。幸せのハードルが、金持ちな分だけ高い気がするからだ。子供の頃は駄菓子を買うだけで幸せだったのに、いつのまにかその幸せもなくなっていくような、そんな切なさがある。


 自転車に乗った主婦とすれ違う。


 散歩をしているおじいさんとすれ違う。


 すれ違う人たちみんなが、愛内の頭についた花びらを見ている。

 桜の花びらは愛内の黒髪から離れない。そんなことも知らずにのんきに歩いている愛内を見ていると、黙って隣を歩いている僕が悪いことをしているような気分になってきた。

 愛内が悪いわけではないけれど、このもどかしさに少し苛立ちを覚えた。

「頭に花びらついてるよ」

 ため息交じりに言うと、愛内は立ち止まって「どこ?」と自分の頭をさすり始めた。それでも一向に花びらはくっついている。

「もう少し下の方。前髪のところ」

 目隠しをしてスイカ割りをしようといるときのように僕が指示しても、愛内は見当違いのところを触る。

 そのようすにまた、無性に苛立った。

「止まって。取るから」

 僕は、立ち止まっている愛内に近寄った。

 愛内の頭に乗る桜を、ゆっくりとつまむ。

 自分の髪とは全然違う、さらさらの細い髪の毛の表面に触れる。

 

 愛内は息を止めるかのように、ぎゅっと目をつむっている。僕に対して、警戒という文字は一ミリもない。

 また、変な心のざわめきがした。痛くて、かゆくてもどかしい。息が詰まるような感覚がして、苦しくなった。

 僕の指に、桜の花びらがくっつく。それをじっと見つめる。

 

 呼吸をするのも忘れるくらい、時間がゆっくりに感じた。

 

 親指と人差し指で掴んだ桜の花びらを地面に落とす。

 

 愛内は一向に目を開けない。

 

 無防備な彼女を無心で見る。

 

 変に笑った顔よりも、僕を疑うこともせず目をつむっている時の方が、僕は……。

 

 その先の言葉を考えようとしたとき、僕の隣を一台の自転車が颯爽とすり抜けていった。

 

 その瞬間、僕は息を吹き返したかのようにはっと口を開いた。


「取れたよ」

 僕の声に反応し、目を開ける愛内。

「ありがとう」

 愛内がお礼を言うと同時に、僕のカバンに入っているスマホが振動した。

 振動で肩がびくりと跳ねる。

 僕に連絡してくるのは、母さんぐらいだろう。

 電話の相手を確信しながら、カバンからスマホを取り出す。やはり予想は当たっており、スマホの画面には『母さん』と表示されている。

 応答ボタンのタップし、電話に出る。

「もしもし」

「祐くん。いつ帰ってくるの? すぐ帰ってくるって言ってたけど」

 電話で聞くと、母さんの声は余計に甘ったるく聞こえる。

 委員会が終わったら『すぐに』帰るとは言ったけれど、そこまで心配されるとは思っていなかった。さっき帰ると連絡してから、まだ十五分くらいほどしか経っていないはずだ。

 はぁとため息をつきながら横を見ると、愛内が黙りながら桜の写真を必死に撮っていた。何か僕に文句を言っている母さんの声を聞きながら、愛内の揺れるポニーテールの先をじっと見る。その毛先はさらりと風になびいている。

 同じ人間でも、僕と彼女とでは髪の毛の触り心地が全く違ったな。なんて自分の髪の毛をいじりながら、適当に母さんの声に相槌を打つ。

「うん。わかった。今帰ってるから。あと五分あれば着く」

 次の信号を渡れば、もうすぐに団地だ。

「気を付けてね」

 うん、と答える前に切れる電話。

 スマホを仕舞っていると、僕の電話が終わったのを確認した愛内が、僕に近づいてきた。

「見て見て。これ綺麗じゃない?」

 愛内の見せてきたスマホの画面上には、薄ピンクに染まった明るい桜と、真っ青な空が綺麗に映っている。

「綺麗だね」

 画面をじっくり見ることも無く、適当に答えて青になった信号を渡る。

「好きだなぁ」

 誰に対してか、何に対してかわからないが、後ろから聞こえる愛内の声が随分と耳に残った。

 母さんみたいな甘ったるい声ではなく、春の日差しのように心地の良い綺麗な声だなと思った。教室での彼女の声は、夏のツンと差す日差しのようなまっすぐさがあるけれど、今の声は、淡い月の光のようだった。


 団地に着き、愛内と一緒にエレベーターに乗りこむ。僕は『2』のボタン押し、愛内は『6』のボタンを押す。

 エレベーターが閉まり、上へと上昇する。

 六階から上は僕たちの住む部屋よりも大きな部屋だ。さすがお金持ち。

 二階に止まったエレベーターがぽーんと音を鳴らしながら開く。そして、僕だけが外に出る。

「また来週ね」

 エレベーターに乗っている愛内にそう言われ、うんともすんとも言わず、ただ振り返って愛内の目を見た。エレベーターのドアが再び閉まり、愛内を乗せたエレベーターは上に登っていく。エレベーターの左側にある表示が三階、四階、五階、六階、と順番に増えていく。

 

 六階という表示で止まるのを確認してから、ぼくは家へと帰った。


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