【高校一年生】
翌日の四時間目、予定通り委員会決めがあった。最初の学級委員は先生の推薦で決まる。一年後期からの学級委員は僕たち生徒の推薦で決まるらしい。
一年最初の学級委員は、噂によると入試の成績が良いかつ、中学の成績が良い人がなる。
「学級委員は岸田くん、丸山さんです」
岡本先生は、よろしくお願いしますと言いながら拍手をした。周りのクラスメイトも、それに則って拍手をする。
「じゃあ、二人はこれからの進行お願いします」
岡本先生がそう言うと、学級委員の二人が教卓の前に壇上した。岸田くんが進行をし、丸山さん黒板に書記をしていく。
委員会決めはスムーズに進んだ。
岸田くんは、立候補が多数出てきても「じゃあどうする?」と、まず当人同士で決めさせていた。じゃんけんをするか、多数決をとるか、譲り合うか。岸田くんは決め方を提案するだけで、最終決定をどうするかは当人の意志で決めさせていた。そして、それを否定も肯定もしなかった。ただ見ているだけで、僕にとってはそれが気持ちよく感じた。
「じゃあ、図書委員やりたい人おる?」
岸田くんの司会による委員会決めがスムーズに進んでいった中、図書委員で立候補が止まった。委員会をやるのはクラスの四割で、後は適当な教科係につく。提出物を集めたり、配ったりする各教科の教師のサポート係みたいなものらしい。
僕は余り物で良い。委員会ではなくて、あまり目立たない何かの係で良い。
「本好きって言ってたし、桜庭は?」
「え?」
岸田くんがいきなり僕の名前を出したので、変な声が漏れてしまう。
クラスメイトの多くが困惑しているのが、わかった。そういえばそんなやついたっけ、と言いたげな視線が、レーザーのように飛び交っている。
みんなが桜庭という人物を探しているうちに、断る理由を考える。
部活は……、やっていない。
放課後は……、特に絶対的な予定はない。本を読むか、小説の執筆をしている。別に、それを絶対しなくてはならないなんてことはない。
断る理由が即座に出てこなかった。
「いいんじゃない?」
黒板に書記をしている丸山さんが、早くしようと言いたげな目で僕を見てきた。クラスメイトらも座席順で僕を見つけたのか、視線がこちらへと集まっている。
まさか、自己紹介がこんなことに関係するとは思ってもいなかった。こうなるなら、本が好きだなんて言わなきゃ良かった。
ここで反抗したりして、先生やクラスメイトらに目をつけられたら最悪だ。
「はい、やります」
僕は心の中で自分を呪いながら、誰とも目を合わさずに小さく挙手をした。
自己紹介で一言言っただけの本が好きということを、よく覚えていたな、と岸田くんに対する『嬉しいのに憎い』というアンビバレンスな感情が生まれた。
それにしても、一緒になる女の子は誰になるのだろう。きっと、やってもいいかなと思っていた女の子たちは僕が図書委員に決まった瞬間、その意志が消え去っただろう。
「私も図書委員、やりたいです」
特定の女の子を思い浮かべるより先に、前の方から声がした。
その声を聞いた瞬間胸の奥で寒気がして、同時に教室の空気が変わるのを感じた。今までのだらんとした生ぬるい教室の空気が、一気に冬の冷たい空気に入れ替わるような感覚がした。
手を挙げたのは愛内だった。
愛内はまんざらでもなさそうな顔で、学級委員の二人を見ている。
そして、クラスの男子たちが、俺も一緒にやりたかったと悔しそうな顔を浮かべている。
最悪だ。これでは、男子たちから目をつけられるかもしれない。僕は目立つこと無く、ひっそりと穏やかな高校生活を送りたいのに。
前を向いていた愛内が、こちらをチラリと見てにっこりとぎこちない笑い方で笑いかけてきた。それと同時に、僕は多くの男子たちから、強い羨望のまなざしを受けた。
最悪だ。
僕はわざとらしく、愛内から目をそらした。
「じゃあ、図書委員は桜庭と愛内で。じゃあ次は保健委員。やりたい人おる?」
岸田くんが狼狽えている男子たちを無視して、即座に次へと話を進めていく。
「俺先に手挙げときゃよかった」
「それな」
僕の隣の男子二人組がこちら見ながら、そう言ってくる。
面倒くさい。目をつけられたらどうするんだ。友達がいないことは嫌ではないけれど、目をつけられていじめられたりするのは絶対に嫌だ。
教室で空気のような透明な存在になるのと、いじめの対象になるのとでは訳が違う。
僕の学校生活に踏み込んできて、荒らすのはやめてほしい。どれだけ暴れてくれてもいいけれど、どうか僕の被害の及ばない範囲で楽しむなら楽しんでくれたらいいのに。
満足げな顔をしている愛内を横目で睨みながら恨みを飛ばしたけれど、彼女に届く様子は全くなかった。
「私本とか読まないよ! 美波もそうだよね? なのに図書委員になるなんて!」
「美波は優しすぎる!」
昼休み、教室の真ん中で女の子たちが騒いでいた。例の八人組の女の子グループだ。その中に、愛内もいた。
「さくらくん? だっけ。あんな陰キャのために手挙げるなんて、美波優しい……」
愛内の周りにいる子たちは、僕に聞こえないように小さな声で話しているつもりかもしれないけれど、全て丸聞こえだ。
僕は聞えていないふりをしながら、おにぎりを片手にその会話を聞いていた。
「桜庭くんでしょ。別に可哀想だからとかそういうのじゃないから!」
愛内は小さなお弁当を食べながら、まるで、デフォルトの顔が笑顔かのように、綺麗な顔を一秒たりとも崩さない。
それが見ていて、気持ち悪い。歯の出すタイミング。へへへという、頼りない笑い声。完璧に作り込まれた、機械みたいだ。
「美波優しすぎるー!」
「優しいうえに可愛いとか最強じゃん」
そんな作り物のような愛内を、崇拝するかのように女の子たちは褒め倒している。
「愛内さん、やっぱり可愛いよな~」
「わかる。まじで、もっと近くで見たい」
僕の隣で食事をしている二人の男子は、愛内について話していた。
この二人だけではない。男子トイレに行っても、どこからか愛内の話が聞えてくる。愛内はクラスだけでなく、学年の中でもアイドル的存在なのだ。
愛内は何をしても、『可愛い』と褒められている。女の子というものは、まるで無意味にかわいがられる犬みたいだ。
僕はスマホを取り出し、特に何もない平日の昼間のツイッターを更新しては先を見て、更新しては先を見てを繰り返していた。そうしていると、母さんからのラインの通知が来た。
『今日は早く帰ってきてね』
昼休みの時間を狙って送ってきているのだろう。僕は、『委員会があるから終わったらすぐ帰るよ』と片手間にメッセージを打った。すぐに既読がつくが、返信は来ない。
昨日の母さんは少し面倒くさかった。
昨日、愛内が図書室から出て行ったあと、僕は昼食をとることも忘れて夕方まで本を読んでいた。気がつくと、あっという間に時間が過ぎていて、下校時刻の六時になっていた。それから家へ帰ると、母さんが真っ暗なリビングのソファの上で丸まってテレビを見ていた。
「ただいま」
僕がぽつりと呟くと、母さんは息を吹き返したかのように振り向いた。それが少し怖く思えた。
「遅いじゃないの」
そのとき僕は自分の帰宅が早いとも思っていないが、遅いとも思っていなかった。高校生ならば、これくらいは普通だと思ったし、夕食の時間にはぴったりだったので母さんにとって都合が良いのではと思った。だから、僕は母さんのことを無視するように洗面所に向かった。
「ゆうくん」
でも、母さんはねっとりするような声で僕を呼んだ。まるで、恋人に話しかけるみたいに甘い声で妙に気持ち悪かった。少し離れた場所から声をかけられているのに、耳を撫でられているようなぞわぞわする感覚になった。
「何?」
「明日は早く帰ってきてね」
僕が返事をすると、母さんは甘い声でそう言って夕食を準備するためキッチンへ行った。
母さんは、過度に心配性だ。未だに僕に包丁は持たせてくれない。キッチンの中で僕が使えるのは電子レンジくらいだ。ガスコンロも使わせてくれない。
父さんは、僕が中学一年生の頃から単身赴任をしているから、未だに現状を理解していない。
母さんを煩わしく思ったことはないが、そこまでしなくても大丈夫なのに、とは思う。
昨日の出来事を思い出しながら母さんの作ったきれいな三角のおにぎりを口に運ぶ。そして、一人で教室を見渡す。
女子も男子もグループ分け、というものがきれいにされていて、島を作るようにそれぞれが固まっている。授業中は全く笑わない子が、島の中では口を大きく開けて笑っていたりする。そんな着飾らないクラスメイトを見るのは、面白い。
「そういえば、私さ、サッカー部の先輩と付き合うことにしたんだよね」
女の子の八人組グループのうちのメイクの濃い一人が、そう言ったのが耳に入ってくる。
「え? なんで!?」
恋の話だからか、八人組グループの声色が、ぎゅんと上がる。
僕にはあまり、恋というものがわからない。
小説の中で、主人公がヒロインに恋をする場面に遭遇しても、うまく共感できない。恋というものの実態が、僕は未だつかめていない。だから僕は、恋愛に発展する小説を書くことを避けている。恋の実態も、恋する気持ちも理解出来ていないのに、話を作ることなんて僕には出来ない。
「なんか、可愛いねってインスタでDMが来てさ。とりあえず付き合ってみることにしたんだよね」
「すごいじゃん! おめでとう!」
わっと騒ぎ出す女の子たち。その中で愛内も笑いながら、パチパチと手を叩いている。僕には愛内の笑顔が、表面だけ温かくて底が冷たいお風呂みたいに、嬉しそうなのに不思議とちょっとだけ寂しそうに見えた。
「美波は?」
付き合ったと言い出した女の子が、愛内に話を振る。
「ん? 何が?」
「気になっている人とかいないの?」
クラス中の男子たちが、こぞって静かになる。誰もが真ん中に注目し、愛内のことに聞き耳を立てていた。
その静けさに無意味に緊張して、僕はおにぎりにかぶりついたまま固まった。小さな咀嚼音でさえ出すことは許されないような、そんな緊迫した雰囲気があった。
飲み物を飲み込んでやっと呼吸を出来るようになった愛内が、沈黙を破る。
「うーん。私はまだ付き合うとかそういうのわかんないかな」
愛内は苦笑いという顔を選択して、すぐにお弁当を口にした。
「へー。美波付き合ったこととかないの?」
「うん。ない」
周りの男子から、ほっと安堵のため息が聞えてきて、だんだんと元の騒がしさが戻ってくる。
「まぁ、でも、美波は選び放題だよ!」
「モテるもんね」
「バスケ部の宇山くん。美波のこと気になってるらしいよ」
「うちと同中の男子も美波のこと話してたよ。すごい可愛いって」
こぞって愛内を元気づけようと盛り上げる女の子たち。
まるで、付き合ったことのない愛内がかわいそうとでも言いたげな、上からな物言いだ。
その口調に僕は疑問を覚えた。
「頑張って彼氏作ろうね!」
女の子の内の一人がそれを言った瞬間、愛内のえくぼが、より深くなった。
恋愛をしたことがある。恋愛が出来る。異性から人気がある。
学校で良い成績を取ることと同等かのレベルで、恋愛をすることが必要なのだろうか。
高校生ならば、出来て当たり前、なのだろうか?
多分愛内と僕は今、同じような疑問を感じて、同じように複雑な思いになっている。
ただそれを口にできないのは、そう考える自分は普通ではないのだろうという確信めいたものを同時に感じているからだろうか。
ただ、僕には関係ないことだ。
僕は愛内の気持ち悪い笑顔を横目に、ポリポリと頬のニキビを掻いた。