表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花びらを君に  作者: 朝土玲唯
【春】【桜庭 祐】
3/39

【高校一年生】

 愛内にとって、『あの時』の出来事は忘れてほしいことなのだろう。そりゃそうだ。僕は彼女の笑顔の裏に隠している部分を知っているのだから。

 教壇に立つ岡本先生が、名簿で教卓を叩きトントンと音を鳴らす。

「明日は委員会決めと教科書配るからなー」

 岡本先生の話も聞かず、僕は机の下で軽く貧乏ゆすりをしていた。


 今日の放課後、図書室へ行く予定にしている。

 僕たちの高校の図書室は大きいことで有名だ。図書室だけが去年新設されて別の棟にある。三階建てで、自由に使える自習室、パソコンルームも完備してある。中学校の教室サイズの図書室に比べて、大学図書館並の大きさの図書室がある高校は珍しいはずだ。

 そこで僕は、小説を執筆したい。環境も変われば、小説が書けるかもしれない。

 そんな取るに足らない期待を膨らます。

「じゃあ明日も元気に。さようなら」

 岡本先生の号令で一気に周りがざわめき出す。僕は誰にも別れを告げること無く、教室を飛び出した。

 

 図書室へ行くには、一度玄関で外靴に履き替えなければならない。

 階段をするすると降りて、靴箱に向かう。そして、まだ汚れていない真っ白で綺麗な上履きを靴箱に入れて、紺色の運動靴に履き替えた。

 正門から一番遠くにある三階建ての建物が、図書館棟だ。

 地面に落ちている桜の花びらを踏みつけながら、帰る人とは逆向きに足を進めた。

 

 高校生になった実感はあまりない。中学校の三年間というプレイデータがリセットされ、再び同じ三年間が始まるような、そんな感じだ。学校の教室も、座る椅子も、先生の様子も、周りにいる人たちも、僕自身さえも、あまり何も変わっていない。変わったことといえば、図書室という設備ぐらいだろう。

 早足で歩いて少し息が上がる。目の前には大きな建物。辿り着いた図書館棟は、異空間みたいだった。薄汚い教室のある校舎とは裏腹に、真っ白で綺麗だった。

 まるで美術館みたいだ。

 僕はドアをゆっくりと開けて、中へ入った。

 

 入った瞬間、空気とともに僕の好きな紙の匂いが鼻をかすめた。

 今は電子書籍が流通しているが、僕は本という存在が好きだ。電子書籍はページをめくる楽しさがなく、本を読んでいる実感が持てない。ページをめくるからこその高揚が、書籍にはある。

 何より、書籍は物理的に存在するということが嬉しい。本の中に存在する一つの物語を、文字通りに抱きしめることが出来る。物語を大切にしている感覚を、紙媒体の本の方が実感出来るのだ。

 たくさんの本を前に、まるでラジオ体操のように、何度も深呼吸を繰り返す。これだけで幸せだ。

 図書室が予想よりすごいものだったので、胸にとてつもない興奮は走った。ショッピングモールよりも、ゲームセンターよりも、図書室が一番だ。

 中に人の気配はない。昼までの授業だから、みんなそそくさと帰っているのだろう。人が少ない方が、周りを気にせずいられてありがたい。

 読みたい本があるわけではなかったので、あたりを見渡しながら探索することにした。

 

 これからここで、どんな小説を書こうか。

 

 フィクションにしてしまえば、言えなかったことが言えたり、出来なかったことを経験できたりする。そんな、僕が僕自身の口で言えずにいることを、文字を通してだと言葉に出来る。僕が小説を書くことに理由をつけるとしたら、これが一つの理由だろう。

 中学二年の冬から執筆を始めた。これから二作品目を作るつもりだ。受験期を終えて書き上げた一作目は、今、新人賞に応募している。一次審査が出るのは今年の六月。

 初めて書いた十五万字にもおよぶ作品は、審査に通らなかったとしても、誰かに見てもらえたという事実だけで満足している。まぁ、実際はあわよくば賞に乗らないかななんて考えているけれど。

 

 一階の一番奥まで行くと、透明で大きな壁で覆われたコンピュータールームが現れた。そこには、三十台ほど大きなパソコンが並んでいた。僕が家で使っているノートパソコンよりも遥かに大きいスクリーンのあるパソコン。まるで、テレビみたいな大きさだ。

 今にも踊り出しそうな気持ちになる。

 こんなところで小説が書けるなんて、大作が出来るかもしれない。

 スキップするかのような足取りで二階へ上がろうと、入り口近くの階段へと向かった。二階と三階には、自習スペースがあるらしい。いったいどのような設備なのだろうか。

 階段をカツカツと軽快に上っている途中、ガチャリと階段近くのドアが開いた。


 誰かが入ってきた。


 反射的に隠れる。僕は、一階と二階の狭間から顔を覗かせた。

 

 あっ。

 

 入ってきたのはクラスメイトだった。

 愛内美波だ。


 彼女は、入ってきて周りを見渡しては、僕がさっきしたのと同じように大きく深呼吸をし始めた。息を吸い込んだ瞬間に、彼女の目がぱっと明るくなる。キラキラしている。子供みたいにキラキラしていて、教室で見るよりも、彼女は何倍も幼く見えた。

 まるで先生に挨拶をするかのように。まるで食事の前に手を合わせるかのように。愛内は当たり前のように、深呼吸を続けた。

 僕と同じことをして、喜んでいる。

 そのことに、心が動いていた。心が不規則な動きをしたのを、僕は実感した。

 彼女は本が好きなのだろうか。それとも単に本の匂いが好きなのだろうか。

 彼女の様子を茫然と見ながら、足下を見ずに階段を上ろうと足を上げる。

「うわっ」

 しかし思っていたより階段の段差が高くて躓いてしまった。両手を地面につき、ぺたんという大きな音がそこら中に響き渡る。

 最悪だ。

 バタバタと足音が下から近づいてくる。僕は急いで立ち上がろうと手すりに手を伸ばした。しかし、逃げる前に見つかってしまった。

「待ってよ」

 逃げようとする僕の手首を、愛内にがっちり掴まれる。愛内はぎこちなく笑いながら僕を見た。

 

 あぁ。今日何度もされた顔だ

 愛内の目から、彼女の言いたいことがわかった。

 言わないでね。

 そう言いたいのだろう。

 それに気づいた僕は、彼女が何かを言うより先に言葉を発した。


「『あの時』のことなら、言わないよ」


 僕がそう言うと、彼女はあっさり手を緩めた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ