【高校一年生】
この作品は、実話をもとに作られた作品です。
【桜庭祐】
「じゃあ、自己紹介をしていきましょう」
担任の岡本先生がそう言うと、左端の一番前に座る女の子が立ち上がり、スカートを揺らしながらくるりと振り返った。
「愛内美波です。よろしくお願いします」
さらっと揺れる髪の毛に、整った目鼻立ち。そんな容姿をしている愛内美波はにっこりと歯を出して笑い、頬にえくぼを出した。
「可愛くね」
「ありゃモテるわ」
僕の右隣の席に座っている男子二人組が騒ぎ出す。二人だけでは無い。教室にいる男子の多くは、愛内美波に好奇心の塊の目を示していた。
でも僕は、別の意味で彼女が目に付いた。
『あの時』の雰囲気とは随分と違うな。今の彼女はピエロの仮面を被ったような、道化をしているような偽物の笑顔をしていた。まるで造花のようだ。
『あの時』の方が、もっと人間らしかった。
僕は愛内美波と、教室で会うより先に、一度会っている。
「俺後でライン交換してもらおう」
「俺も俺も」
右隣の男子二人組は、愛内に聞こえそうな大きさの声で話している。
「友達たくさん作りたいです! よろしくお願いします!」
愛内の『陽』という存在に目が眩みそうになる。でもそれが、太陽のような自然の輝きではなく、人工ダイヤモンドのような作られた輝きであることを、僕は知っている。
一同が拍手したので、僕も同じように五、六回手を叩いた。愛内はきーっと椅子を引き、手でスカートを抑えながらゆっくりと席に着いた。
左側から順番に、一人ずつ挨拶をしていく。
挨拶をする口調や態度を見聞きするだけで、その人がどんな人か大体把握できた。
校外学習などの班決めでヒステリック起こしそうな子。年中恋人が途切れなさそうな子。行事ごとで、だるいだるいと言いながら、最終的には熱が入る子。
第一印象だけで、おおよその特性は判断出来る。物語を作りたいという僕の意識から生まれた能力なのだろうか。それならば、天性の能力みたいで嬉しい。
日々執筆活動を行っている僕は、自分の書いている小説にリアル感をもたらすために、常日頃から人を観察するようにしている。
自分の性格とは間反対のキャラクターを動かすのは、なかなかに難しい。だから、リアルの人間からヒントを得ている。
「岸田光輝です。部活頑張りたいです。よろしくー」
「岸田くんは何部なの?」
岡本先生は時折、自己紹介した子に質問を挟んできた。
「野球部っす」
岸田くんの高身長の坊主頭から、誰もが予想していた回答が出る。岡本先生は、「頑張れよ!」と熱の入ったエールを送った後、次の人へと合図をした。
岸田くんは普段は優しそうだけれど部活になると、とてつもなく熱が入るだろう。決めごとなどで、前に立ってくれるリーダータイプだろう。
ちなみに担任の岡本先生は、自分が正しいと思っていることは、必ず正しいと思っているタイプだ。話し方や、自信に満ちあふれたような笑い方からそんな様子が垣間見える。僕の苦手なタイプだ。
僕の前に座る子が立ち上がり自己紹介を始め、僕の順番が迫って来た。
きっと、クラスメイトは僕のことを陰キャだとか地味だとか思うだろう。
だが、それでいい。目立つこと無く、ひっそりと穏やかな高校生活を送りたい。
前の子が着席し、岡本先生が僕の目を見た。
「じゃあ、次お願いします」
岡本先生の合図でのろりと立ち上がる。一気にたくさんの人が僕を見る。この瞬間の、ドキリとする心臓の感覚がどうも苦手だ。
「桜庭祐です。本を読むのが好きです。よろしくお願いします」
米粒のような大きさの声でぼそぼそと呟いて、軽く頭を下げる。パチパチと無機質な拍手が教室に鳴り響く。みんな、僕に対して興味は無い様子だ。愛内や、岸田くんの時と比べると、三分の一くらいの音量の冷めた拍手が教室に響く。
「じゃあ次、鈴木さん行こうか」
岡本先生は僕に詳しく突っ込むことはなく、僕の後ろの子に目をやった。質問されなかったことに一安心しながら着席すると、一番前の席の愛内と目が合った。
身体をこちらに向け、明らかに僕を見ている。そして、僕に大して興味なんて無いくせに、口角を上げて微笑みかけてきた。
僕は、二秒ぐらいその顔を見てから、目をそらした。
目の前で人が立って話して拍手が起こり、立って話して拍手が起こるというのを永遠と繰り返していく。どんな部活に入るかだけではなく、将来何になりたいか、という話まで自己紹介に加える人までいた。
自分の将来が全く見えない僕とは大違いだ。
なりたいものが無いわけでは無い。なれるなら小説家になりたい。でも、自信がない。夢を叶えるために努力できるような根気が僕には無い。
それに、なりたいものが無いから小説家になりたいのか、本当に小説家になりたいのか今一つ自分でもわかっていない。一つわかっていることといえば、書きたいものがあるから小説家になりたいという訳では無いということだ。
僕はやることが無いから、なんとなく小説を書こうとしている。
これを怠惰というのだろうか。
多くの人たちは、部活や、勉強、アルバイトなど何らかの理由でやらなくてはならないことがあるはずだ。でも僕にはそれが無い。親からやれと言われることは何一つ無い。自分が怠けているのか、そうでないのかすら僕には判断出来るものが無い。誰かに怒られるなんて感覚を、僕はいつの間にか忘れてしまっている。
僕は、いつも時間を持て余している。
そして自分の人生に飽きかけている。
結局僕は、何のために小説を書こうとしているのだろうか。僕がやるべきこととは一体何なのだろうか。
最近考えてばかりの将来への不安が、頭に渦巻き出す。
そうして考えているうちに、チャイムが鳴る。気が付けば、クラスメイトの自己紹介は終わっていた。
昨日が入学式で、今日は昼までの授業なので、これで終わりだ。
終礼までの時間、クラスメイトたちはスマホを出して連絡先を交換していた。女の子たちはどうやら、もうグループができているみたいだ。八人ぐらいの大きな女の子の集団が、前でゲラゲラと笑っている。
女の子は面倒臭そうだ。女の子のグループというのはチームみたいなもので、他のチームと少しでも仲良くすることは許されないという暗黙のルールがあるように思う。その上、何するにも毎日一緒というイメージがある。移動教室も、トイレも、下校も全部一緒。
僕ならそんなもの息が詰まりそうだ。出来れば、本当に好きな友達とぼんやり過ごしていたい。自由でいたい。
男に生まれてよかった。
この人とこの人が仲が良いのか、と思いながら人間観察していると、坊主頭の岸田くんが僕に近づいてきた。
「なぁ、桜庭。ライン教えて」
岸田くんは右手にスマホを持っている。
「クラスラインに入れたいねんけど、お前このクラスに友達おらんやろ」
まだクラスに友達がいないという事実を、岸田くんは淡々と僕に突きつけてきた。けれど言葉とは裏腹に、あまり僕を馬鹿にしていないようだった。一人でかわいそうだから、しょうが無くクラスラインに誘った、と嫌味を言っている雰囲気は感じなかった。僕の思い違いかもしれないけれど、語尾に『友達になろう』とついているような気さえした。言葉とは裏腹に、優しい印象を感じた。
小さく頷いて、カバンからスマホを取り出す。そして、岸田くんのスマホの画面に映るQRコードを読み取った。
スマホの画面には『光輝』という名前と、野球のプレー中であろうプロフィール写真が出てきた。
画面下に出てきた追加をタップする。
何の感触もない。友達になる。その行為は、こうして画面をタッチするだけで容易に出来る。
そんなことを、画面を操作しているふりをしながらぼんやりと考える。
「追加したよ」
「おう、じゃあグループに入れとくな」
「うん。ありがとう」
とりあえずお礼を言うと、岸田くんは僕に背を向けながら片手を上げて、席へと戻っていった。彼の周りには何人もの男子が集まっている。
岸田くんの機嫌を伺っているような、弟分のようなクラスメイトらが彼を囲っている。
僕の予想は当たっていた。岸田くんはクラスを統制するリーダータイプだ。間違っても僕と関わることはないタイプの人だ。
僕とは交じり合わないタイプのキラキラした人間が、僕の隣を走り抜けていく。
「ねえ、鈴木さん! ライン教えてくれない? グループに入れたいんだけどいいかな?」
僕と岸田くんと行ったやりとりと全く同じやりとりが、僕の後ろでも行われ始める。鈴木さんに話しかけたのは、愛内だ。
「あ、はい。大丈夫です」
「ありがとう!」
愛内のまっすぐ突き抜けるような声は、『あの時』と真反対だ。今にも波に攫われてしまいそうな、うなだれたような声の面影はどこにもない。
僕の手元のスマホの画面が光り、『光輝があなたを一年二組に招待しました』という通知が来る。グループを見るとクラス三十人中すでに、二十八人の人がグループに参加していた。僕と鈴木さんは最後の二人だ。
『参加する』をタップすると、画面上に、『桜庭祐がグループに参加しました』と表示された。
入学式の時よりもなぜか今この瞬間の方が、高校生になったということを実感した。
さーっとスクロールしてみんなのプロフィールを見ていく。外見と同じように、プロフィール写真を見るだけで、だいたいどんな人かわかってしまう。
制服でのプリクラや、中学の卒業式の写真。自分の後ろ姿や、誰かとのツーショット、ただの景色に芸能人、好きなアニメキャラ。たくさんの個性で溢れている。
立花くんはスポーツ男子っぽいのに意外とアニメが好きなのか。三宅さんは塩顔のあの俳優が好きなのか。和田さんはギャルっぽいのにあのお笑い芸人が好きなのか。
ラインのプロフィールと教室の中に現実いる一人一人を照らし合わせて見ていく。
「愛内さん、グループからライン追加して良い?」
僕の、右隣に座る男子二人組のうちの一人は、ちょうど近くにいた愛内に声をかけている。
「追加してくれるの? ありがとう!」
愛内はちょうどその男子と僕の間を阻むように立ち止まる。愛内のポニーテールの先が、僕のすぐ近くで無邪気に揺れる。
僕のすぐ近くで、花みたいな匂いがした。
僕は、愛内の顔をチラリと覗いた。
やはり、仮面のような偽物の笑顔をしている。今の笑顔は完璧すぎて気持ち悪い。何より、冷たい。
笑っているのに、愛内の笑顔からは喜びも楽しさも微塵も伝わってこなかった。そんな愛内の笑顔を見た隣の席の男子が、下心を含んだような笑みで笑っている。そして、自分の席に戻ろうとする彼女の周りに、多くの女の子が集まってくる。
僕は岸田くんや愛内を、まるで日陰から太陽をみるみたいにぼっと眺めていた。
「終礼始めるぞー」
岡本先生が再び教室に戻ってきて、立ち上がっていた人たちがぞろぞろと席に着いていく。
僕の目の前を人が横切っていく。その視界の先で、視線を感じた。
じっとこちらを見ているわけではない。ただ、こちらの様子を伺っている。
愛内が、明らかにこちらを見ている。
ものすごく視線を感じたが、僕はカバンの中に荷物を直すふりをしながら、その視線から逃れた。
『言わないでね。』
愛内の視線は、まるで僕にそう伝えているようだった。