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花びらを君に  作者: 朝土玲唯
ある女の子の話
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 十二月二十七日。大学二年。冬。


 今日は気分が良かったので、普段室内に干しっぱなしにしている洗濯物を、綺麗に畳んでクローゼットにしまった。さらに掃除機もかけた。一人暮らしをしている私の部屋の床は、ほこり一つ無く輝きを放っている。


 夕食には、マクドナルドのハンバーガーを食べた。いつもなら太るからとセットにはしないが、今日はセットにした。久しぶりに食べたカリカリのポテトはとても美味しかった。さらに、コーラもカロリーゼロではないものを選んだ。

 

 こんなにも心が満たされる食事が、私の最後の晩餐だ。

 

 椅子を洗濯竿の下まで持ってきて、それに上って、よく使っていた真っ黒いベルトを洗濯竿にくくりつける。そして、ベルトを強く引っ張って、絶対に取れないことを確認する。

「よし。へへへ」

 こんなことをしようとしているのに、なぜか気分は晴れやかで笑ってしまう。いや、こんなことをしようとしているから気分が良いのかもしれない。


 このベルトに首を通せば、私はようやく死ぬことができる。大嫌いな自分とお別れが出来る。

 椅子から足を下ろし、シャーと音を立てながらカーテンを開ける。真っ暗な部屋に、外の街灯の光が差し込んできた。

 欲を言えば、死んですぐに見つかりたい。死んでしまえば、痛みは感じないはずだが、何時間も、何日も放置され腐っている自分を想像するだけで吐き気がする。

 死にたいと思っているくせに、綺麗なままでいたいというなんとも不合理な考えに至る。自分の愚かさに、もう苦笑いすることしか出来ない。

 

 そうだ。せっかくなら、言えなかったことを残していこう。どうせ死ぬんだし。

 

 そう思い、踵を返し机に向かう。引き出しからルーズリーフと青色のボールペンを取り出し、カチリとインクを出す。頬杖をつきながら、頬にペンを食い込ませ、言えなかった言葉たちを思い浮かべる。

『お父さん、お母さん、今まで育ててくれてありがとう』

 これは、あまりにも最後まで良い子ちゃん過ぎる。実際私は両親に対して、そこまで感謝が出来ていない。むしろ少し、憎んでさえいる。

 一度ボールペンで書いた文字を、上から塗りつぶすようにしてぐちゃぐちゃにする。

 そして、残った白い空白の部分に新たに文字を書き始める。

『翔大くん付き合ってくれてありがとう』

 うーん。これも何か違う。

 私は脳内をかき乱すかのように、髪の毛を無造作に掻いた。


 翔大くんとは大学の一つ年上の先輩で、私の彼氏だ。アルバイト先のファミレスで出会った。

 彼氏の翔大くんを、私は騙している。

 いや、試すという言葉の方が正しいのかもしれない。

 私は翔大くんに嘘をついたまま、一年間付き合ってきた。今もなお、翔大くんに本当のことは言えていない。心の奥底の濁りを隠しながら、綺麗な上澄みしか見せていない。

 

 ルーズリーフに書いた文字は、海に浮かぶ浮き輪のように、ふわふわと流れているように見える。

 翔大くんの名前をぐちゃぐちゃに塗りつぶす。

 書きたいことなど、思いつかない。

 そもそも私は何を伝えたいと考えているのだろう。誰に何を伝えられるのだろう。

 

 カチカチと机の上にある時計が静かな家の中で音を立てていて、二十二時を指している。

 今から首を吊れば、何時間後にこの世からいなくなれるのだろうか。日が変わるまでにはいなくなれるのだろうか。出来れば苦しい時間は短くありたい。綺麗な状態のまま、苦しまずに死にたい。そんな不条理なこと、実現できるのだろうか。

 書くことが思い浮かばないので、諦めて立ち上がり、ペンを放り、もう一度洗濯竿に向かう。

椅子の前に立ち天井を見上げる。ベルトが綺麗な円を描いている。非日常的な絵面に思わず鼻から笑みがこぼれた。

 SNSに今からアップしてみようかな。なんて、出来もしないことを思いながら、とりあえず、ポケットに入れていたスマホでパシャリと写真を撮っておく。

 

 こんな写真をアップできるSNSアカウントなんて、どこにも存在しないというのに。

 

 スマホをしまい、再び椅子の上に立つ。

 ここで誰かと目が合ったりしたら笑える。そう思い窓の外を見るも、誰もいない。

 私はこれから死ぬのだ。

 ふぅー、と小さく深呼吸してから、思いっきりベルトに頭をつっこむ。

 私はこれから人生で味わったことの無い、死という苦しみをこれから味わうのだ。

 その実感が心の奥からぞくぞくと沸騰するお湯のように沸いてきて、ガクガクと膝が震えた。胸の熱さと裏腹に、指先は冷たくなり感覚が薄まっていく。

 

 

 ぎゅっと目をつむる。

 

 首にベルトが当たる。


 次に目を開けた瞬間、誰かと目が合って『何してるの』と言いながら来てくれないだろうか。

 私の名前を、読んでくれないだろうか。

 どうか、私のことを、愛してくれないだろうか。

 

 海の匂いが鼻をかすめる。鼻の周りに、潮の匂いのする涙がまとわりつく。

 死のうとしているくせに、まだ希望を求めているなんて馬鹿らしい。

 両目から溢れる涙を、右の手首で乱雑に擦る。そして、私は最後の賭けに出た。

 

 外に誰かがいたら……、


 誰かと目が合えば……、

 

 死ぬのをやめよう。


 

 私はパチリと目を開けた。


「あっ」


 思わず声が漏れる


 本当に、誰かが私を見ていた。

 本棚の上に乱雑に置きっぱなしにしていた本の表紙に書かれた男の子と、ぱっちりと目が合った。

 ちょっとだけ、高校時代の友達に似ている気がするのは気のせいだろうか。

 

 彼は、今、何をしているだろうか。

 恋人でも作って、生きているのだろうか。

 

 そんな疑問が頭をよぎった瞬間、私は、取り憑かれたかのようにふっと椅子から降り、その本を手に取っていた。

 少し薄めの文庫本。翔大くんとのクリスマスデートの帰りに、駅前の本屋で買ったものだ。

 あの日私は、表紙に惹かれてこの本を買った。表紙の少年は、無数の黄色い花びらを、綺麗な海に投げ捨てている。

 その様子が、あの日の私にはひどく印象的だったのを覚えている。誰かにその花を渡しているわけでも、花を大事に抱きしめているわけでもない。

 花びらを、まるでゴミ箱に捨てるかのように海に捨てているのだ。

 そんな表紙に惹かれて、私はこの本買ったんだった。

 帯には大きな文字で、『一九歳 渾身のデビュー作!!』とでかでかと書かれている。

 

 せっかく買ったんだし、読んでみるか。死ぬのはそれからでもいい。明日だろうが、一週間後だろうが、大して変わらない。


 私は机に戻って、この本を開いた。


よろしくお願いします。


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