愛する婚約者が自分と不釣り合いだと陰口を言われていた
手のひら返しに怒る主人公
ずっと昔の思い出――。
呼吸をするのもやっとで常に死の影がまとわりついていた。
「……大丈夫です」
いつ死ぬだろうかと誰もが生を諦めてせめて亡くなった後の心の傷を少なくしたいのか家族ですらほとんど会いに来なかった。
辛うじて来てくれるのは乳母と乳兄弟。だが、やがて乳母が介護疲れで倒れて亡くなると僕の病気が感染るものだと思われてますます疎遠になった。
残されたのは乳兄弟のみ――。
「お前も…僕……ら離れっ……」
咳き込みながら告げると乳兄弟は顔や腕の打撲痕にガーゼを貼りながら儚い微笑みを浮かべて、
「私に気を使ってくれるのは嬉しいです。でも、今更です」
感染る病気だと思われてから僕の看病のために城内をうろついていると化け物を見るかのような目で物を投げられて罵倒されていた。
それでも乳兄弟は僕を責めることをせずに必死に看病してくれた。
「ごめん……」
誰かの迷惑になりながら生き続けていた。早く亡くなればいいのにと思われているのを肌で感じ取った。
「そう思うなら健康になってください」
どこか期待していない声で言われて酷いなと冗談めかして笑う事も出来なかった。
生きられると思っていなかった。僕自身も。
だけど、
「大丈夫です。絶対治りますっ!!」
涙を流しながら婚約者は鶏がらのような腕を持ち上げて手を握ってくれた。
息子にせめて意味のある何かを与えたいという家族の思い上がりで婚約した少女は子爵家の令嬢で王家のお荷物である僕を押し付けられた立場だったが献身的に支えてくれた。
「なんでそこまでしてくれるの……?」
乳兄弟が城内でいろんな噂を集めていた。最初は公爵家に打診をしたが断られて、それからどんどん爵位を落として探していたのだ。彼女に至っては王命に近い。
「さあ、なんででしょう……もしかしたらわたくしは殿下の体調を気遣えることで息ができやすいかもしれません」
「よく……分からない……」
「ふふっ」
彼女は微笑んだ。闇しかなかった環境で乳兄弟しか信頼できる者がいない環境に差し込んできた光のようだった。
そして、僕の看病をしながら身体にいいことや病気に関しての資料を集め、調べて、やがて僕の病気をよくする薬を研究して作り上げた。
才女と呼ばれるようになった僕の婚約者は才女だとか薬の研究の第一人者という肩書がたくさんつけられたけど、僕にとって最初からとても大事な存在。僕の恩人であり、僕にとって唯一の存在であり続けた。
「オレガノさまはお可哀想ですね」
母にたまにはお茶を一緒にしましょうと声を掛けられて時間が空いているので断るのも悪いなと思ったが何か都合のいい言い訳を考えて断ればよかったと思ったのは中庭のテラスでお茶と共に従妹の公爵令嬢がすでに腰を下ろしているのが見えた瞬間。
「母上……これは……」
「貴方をお茶に誘ったけど、それだと花が足りないと思ったのよ」
悪びれず告げてくる母。
「花が足りないというのならもっと他の令嬢をお呼びください。公爵令嬢だけ呼ばれるのは贔屓ととらえられますよ」
「あら、良いじゃない。姪なのだから」
姪である事実は変わらないでしょうと微笑まれて公爵令嬢に同意を求める。
「そうですわ。王妃様として常日頃努力している叔母さまもただの叔母さまに戻りたい時があるでしょうし、その息抜きになれるのなら光栄です」
にこやかに微笑んでいるが、その笑顔が胡散臭いものに思える。
「ならば、母上との席を近付けたらどうでしょう。僕の座る席に近すぎて狭いでしょう」
三人しかいない席なのにどうして少し離れた場所に母の席があって、公爵令嬢と隣同士になっているのか。
「そんなことありませんよ」
「オレガノさま早くお座りになってください」
そんなふうに席を進めてくるが席に着くつもりがないと態度で示すと。
「わたくしに恥をかかせるのですか」
母が不機嫌そうに告げてくる。
恥をかかせるも何も親しき仲にも礼儀ありという言葉を知らないのだろうか。だが、ここでこれ以上揉めたらヒステリックになるのが目に余るので仕方ないと妥協する。
「オレガノさまはお可哀想ですね」
貴族令嬢――しかも公爵令嬢なのにもたれかかってくっつこうとする公爵令嬢をさりげなく避け、会話に加わろうとせずにただお茶を飲む。
名前で呼ぶのを許したつもりはないと言おうとするなら母が自分が許したと勝手なことを言い出すだろうと思ったので会話に加わるつもりもない、仲よくするつもりはないと態度で示す。
「なんでオレガノさまのような素晴らしい方にあのみっともない子爵令嬢が婚約者などになっているのでしょう。分不相応でお可哀想ですわ」
「………………」
それは病気が感染ったら嫌だと婚約の打診が来た時に断ったからだろうと思ったが口にしない。
「本当よ。なんであんな醜い子が、リリィ嬢の方が素敵なのに」
「叔母さまそんな恥ずかしいですわ」
まんざらでもない表情で言っていてどこが恥ずかしいのやら。
その醜いと言っている令嬢しか僕の傍に来なかったのですけどね。
「今からでも遅くないと思うのよ。オレガノの婚約者をリリィ嬢に代えて……」
「お楽しみのところを失礼します」
乳兄弟が急用があるとばかりにこちらに向かってきて声を掛けてくる。
………程よいタイミングで急用な案件が出来たと思わせて声を掛けろと命じておいて正解だった。
執務室まで黙って歩き、中に入って誰もいないのを確認して、
「いいタイミングだったよ。ありがとうバジル」
「それならよかったです。ですが、急用と言えば急用です。カモミール嬢のことで」
「カモミールがどうしたっ⁉」
婚約者の名前を出されて、焦って問い詰める。
「……婚約を解消するように脅されているようです」
乳兄弟のバジルが報告してきた。
「以前から嫌がらせを受けていたのですが、お嬢さまは気のせいとか偶然だと片付けていました。ですが」
カモミールの唯一の味方であるメイドのジンジャーが、バジルに連絡して発覚した。
「殿下との婚約をやめろ。か」
カモミールの研究室が荒らされて、そんな脅迫文が壁に貼られていた。
「お嬢様は殿下を煩わせる必要はないし、すぐに飽きるだろうとおっしゃいましたが」
「賢明な判断だ。ありがとうジンジャー」
脅迫文を処理しますという名目で持ってきてくれたジンジャーにお礼を述べると、
「勝手な人たちだ」
くしゃっと苛立ったように脅迫文を強く握る。
病弱でずっと動けなかったときは全く見向きもしないで、病気が治ったと思ったら手のひら返し。そして、病気の時にずっと傍で支えてくれていたカモミールに分不相応だから婚約を解消しろと嫌がらせをする。
「ジンジャー。脅迫文の相手を探すのなら【影】を貸す。カモミールを頼む」
「分かりました」
僕付きの影だ。信頼は出来るだろう。王家の影だったら信頼できないが。
ジンジャーが出ていくのを見てから。
「勝手な輩が多い」
と本音を漏らす。
「病気だった時は見向きもしないで、近付こうとすると避けていたのに病気が治ったと思ったら群がってくる」
実の家族であれ、近付かなかった。それなのに病気が治ったと思ったら何度も呼びつけてくる。
「カモミール嬢が看病して、健康になれる生活を考えてくださいましたからね。病気だったという事実を知らない方からすれば見た目も中身も優良物件でしょう」
カモミールが一生懸命努力して改善方法を見つけ出して、病気に負けない体力づくりとして少しずつ動くようにして努力に努力を重ねた。
一人では無理だったがバジルも共に行っていて、それによってもともと素材もよかったのだろう女性たちに付きまとわれることが増えた。
病弱だったから第一王子であったが王位を継げないと判断されて放置されていたのにすり寄って来る有象無象の輩。そんな貴族たちのおべっかに自分の立場を奪われると危惧するかのように敵意を向けてくる弟の第二王子。
そんな女性陣たちも、おべっかを使って近づいてくる貴族たちも冷めた目で見てしまう。
苦しんでいる時は誰も手を差し伸べてくれなかった。だからその手のひら返しが信用できないのだ。
その筆頭は母。そして、従姉もだろう。
そんなに僕の婚約者になりたかったのなら病気の時に打診したのだから受けていればよかったのに。
「……子爵の家からはカモミール嬢の妹の方を婚約者として交換していただけないかと話を持ち掛けてきています」
「はっ。病気の王子なんて政略結婚で生まれた愛のない娘に押し付けて正妻が居なくなったら後妻にした愛人の娘に家を継がせると決めたのに、病気が治ったら妹の方が相応しいとか。――僕を馬鹿にしているようだな」
カモミールだから婚約者として傍に置いているのだ。他の女性など誰も置きたくない。
「……………バジル。僕がすべてを捨てて何一つ持っていない状態でもそばに居てくれるか?」
病弱でも関係なくずっとそばに居て支えてくれた乳兄弟。彼に迷惑を掛けるから自由を与えようとしたら叱ってきた信頼できる存在に確認する。
「――俺とカモミール嬢とジンジャー嬢を連れて行ってくれるのなら。もともと病弱でまともな食事が出来なかった殿下と食事を何日も抜かれた状態で無理していたカモミール嬢にまともな食事を用意しようとサバイバルをして狩りの腕も農作の才も伸ばしてきたんだ。――今更おいて行くなよ」
側近ではなく乳兄弟として、ずっと負担を与えて苦しめていたのにそれも受け入れてまだそばに居てくれると告げるバジルの言葉に泣きそうになりながら笑う。
「カモミールに謝らないとな」
影の報告次第ではカモミールを悲しませてしまうとそれだけは申し訳なかった。
後日、カモミールに嫌がらせしていたのが伯父である公爵で母の指示もあったと。そして、病気だったから子爵令嬢と婚約したのだ。治ったのなら謝礼を払って婚約を解消する方がいいだろうと父が母に唆されて婚約は解消された。
表向きは婚約を円満に解消されたがカモミールは実家の子爵家から追い出されるような形で医療大国に強制留学させられた。
「バジル」
「ああ。分かったよ。オレガノ」
その日を境に僕の体調は少しずつ悪くなっていく。
幼い頃病弱だったのが完治したわけではなく、カモミールの献身的な介護と彼女の開発した薬によって一時的に健康になっていただけで、病気は治っていなかったのだ。
慌てて薬を用意するがカモミールの用意してきた薬は特殊な調合がされていて貴重な薬草を使っていたので他の人には用意できず、悪化させる事態になる。
そうなると誰もが死んでいく存在だと再び興味を失う。
「――何か希望はないか?」
利用価値のない息子に最後に向ける言葉にオレガノは乳兄弟に支えられた状態で謁見室に辿り着いて告げた。
「静かな場所でゆっくり療養したい」
その言葉に父は遠方の地に息子を追いやった。それがオレガノ第一王子の最後の姿。それから彼は表舞台から存在を消したのだった。
「もう無茶をして!!」
カモミールは追放先の国でずっと待っていた。オレガノが療養地に行くと見せかけて自分と合流するのを。
「ごめんごめん」
「せっかく治ってきたのに薬を半年止めるなんて……」
「そうしないと自由になれないと思ったから」
病気は完治していなかった。ずっとカモミールが調合してくれた薬を飲み続けてきたからよくはなっていたが、
「いきなり、薬を飲まないで死ぬほど悪化しても回復できるぎりぎりのラインを教えてくれというから疑ったのよ!!」
治療法を探すために本を読み続けてきたから悪くなっていた視力を補強するための眼鏡。幼い時から食事量が少なかったのでがりがりに痩せて手入れされていないから醜いと思われていた外見。
王子の自分に相応しくないというレッテルを貼られた少女。
「こうしないと幸せになれないから」
一番苦しい時に支えてくれた存在を、苦しさから脱却した矢先に群がる存在に潰されるのが許せなかった。貴方に相応しくないと勝手な言い分でこちらの考えを決める輩が鬱陶しかった。
ならば捨ててしまおう。
王族としての責務?
病気でも生かされていたことは感謝するが、早くいなくなってほしいと思っていたのはそっちだろう。
子爵令嬢では身分が違う?
なら、婚約させなければよかっただろう。
周りが勝手にするのならこっちも勝手にする。自分は死んだと思った方が気が楽だろう。
「しばらく世間知らずの病人で迷惑を掛けるけど、そばに居て」
信頼できる人が居るのならそれだけでいい。と、オレガノは最愛の婚約者と信頼できる乳兄弟。婚約者のメイドに微笑んだのだった。
ヒロインよりも乳兄弟の出番の方が多くなった(-_-;)