57.準備
「楽しかったか?」
「ええ、とっても!」
「そうか」
ほっとしたようなリオ兄様へ寄り掛かると抱きしめられる。
もう、学園でアニータ様たちに会うことはないんだなぁ……。
さっきまで話していたのに、不思議。明日からさみしくなるんだろうか。
「そういえば、去年の卒業パーティの記憶が無くて、
どうしてなのかと思ったら、ちょうど公爵家に帰ったあとなのね。
二年生が準備するはずなのに、したことがないと思って」
「そうだな。アリアンヌの体調をもとに戻そうとしていた時期だ。
あの時点ではバルテレス家のアリアンヌは退学になっていたから、
元気だったとしても通えなかったとは思うが。
公爵家に籍を入れた後に編入したことになっているから」
「帰ってきて、もう一年になるのね」
公爵家に、リオ兄様のところに帰ってきてからの一年は、
本当にあっという間に過ぎてしまった。
大変なこともあったけれど、毎日が幸せでうれしくて。
「……帰って来てくれてよかった」
ぎゅうっと抱きしめられ、リオ兄様と離れていた八年間が遠く感じる。
あんなにつらかったのに、終わってしまったことだと。
少しずつだけど、確実に傷ついた心が癒されているのがわかる。
だからこそ、こんなことが聞けるんだと思う。
「ねぇ、もし、私が帰って来なかったらどうするつもりだったの?」
「どうって?帰ってくるまで待つよ?」
「待つって、いつまで?」
「いつまでも」
「年をとっておばあちゃんになっても?」
「きっとアリアなら可愛いおばあちゃんになるね」
「……他の誰かと結婚させられていたとしても?」
「……とても苦しかったと思うけど、それでも待つよ。
いつか他の男から奪い返せる日まで待ったはずだ。俺にはアリアしかいないから」
リオ兄様が嘘を言うとは思っていない。
だけど、筆頭公爵家の次期当主なのに、それでよかったとは思えない。
「結婚は?公爵家はどうするつもりだったの?」
「それは問題ないよ。ジスランの子どもが二人以上産まれたら、
デュノア公爵家を継いでもらうことになっていた」
「なっていた!?」
そんな大事なことを決定事項みたいに。
なのに、リオ兄様は真面目な顔で当然だと言い切った。
「そうじゃなきゃ、筆頭公爵家の一人息子の俺が、
学園を卒業しても婚約すらしていないのを許されるわけないだろう。
王家と父上たちと話し合って、そういうことにしてもらったんだ」
「そんなことまでして」
「きっとアリアを取り戻すって決めていた。
だから、他の選択肢なんて俺には考えられなかった」
「……」
待っていてくれたのは知っていた。
だけど、その裏には待つための努力もあって、周りの支えもあって。
私とリオ兄様が結ばれるためには、私たちの気持ちだけでは無理だった。
「帰って来てくれてありがとう」
「ううん、待っていてくれてありがとう。
リオ兄様が待っていてくれたから帰ってこれたんだわ」
何一つあたりまえのことなんてなかった。
こうしてリオ兄様の笑顔を見ることも、笑いあうことも。
馬車が公爵家についたら、玄関先でサリーたちが待ち構えていた。
すぐさまリオ兄様と引き離され、私室へと連れて行かれる。
「え?どうしたの?」
「さぁ、アリアンヌ様、準備を急ぎますよ」
「準備って何?」
連れて行かれた先は私室の浴室だった。
「え?また湯あみ?ドレス着る前にあんなに磨いたじゃない」
「それでも、です!アリアンヌ様、これから初夜なんですよ!」
「……初夜ぁ?」
「お二人の結婚が成立したと、王家から連絡がありました。
旦那様たちからも初夜の準備をするようにと」
「そ、そ、そうなの?」
「そうです!」
三人の勢いに押され、そのまま身体を洗われる。
さっきもしっかり磨き上げられたのに、さっき以上の熱意で磨かれている気がする。
髪にお湯がかけられたら精霊たちが慌てて外に出てくる。
お湯をかける前に出てくるように精霊たちに声をかけるのを忘れていた。
「申し訳ありません!」
「声をかけるのを忘れちゃってたわ。ごめんね、熱かった?」
大丈夫だったのか、ほわほわと光っている。
怒っていないみたいで良かった。
「アリアンヌ様、今日は精霊たちには裏庭の泉に戻ってもらっていたほうが」
「ん?……そうかも。ごめん、みんな。裏庭で遊んでてくれる?
後でちゃんと迎えにいくから、ね?」
その場で考え込むように精霊たちはくるくる回っていたけれど、
浴室の外に出て行く。おそらく裏庭に戻ったのだろう。
身体を洗い終わった後は軽食を取りながら、
乾かした髪を香油でととのえられる。
ようやく準備が終わったと思って、出された服を着ようとして止まる。
「これ……」
「今日のための夜着ですわ。奥様からの贈り物です。
きっとリオネル様はアリアンヌ様が何を着ていても喜ぶでしょうけど、
こういう時は特別なものを着るものだからと」
「そうね、リオ兄様はそう言うと思うわ。
でも特別な日なんだものね……」
柔らかな布で作られた夜着は薄く、向こう側がうっすら透けて見えている。
薄紫で染められた夜着を持ち上げると羽のように軽かった。
本当に特別な時のために作られた夜着なのだろう。
これほど質のいい布地はそうそう見ることもできない。
羽織るように身につけ、リボンで何か所か結んでとめる。
「気に入ってもらえるかしら」
「もちろんですとも!」
準備が終わったあと、広い寝室に一人残される。
若夫婦用の寝室だと言われたけれど、いつの間に作られたんだろう。
新しい家具や寝台はお義父様たちが用意してくれたものだろうか。
卒業したら結婚するとは思っていた。
でも、それもぼやけた想像でしかなくて、
こんな風に初夜だなんて言われて……頭の中がぐるぐるする。
少しして、ドアがノックされる。
入ってきたのはガウンを羽織ったリオ兄様だった。
「アリア、入るよ」
「え、ええ」




