27.もう一度
それから一週間。
何をするわけでもなく、デュノア公爵家の屋敷の中で過ごしている。
王家からの発表は明日になると聞いた。
すべての手続きが終わってから、貴族家に通達される。
通達を読んだら、きっとお父様は私を奪い返そうとするだろう。
それでも陛下が養女だと認めてくれた以上、私が伯爵家に戻る必要はない。
もしお父様がこの屋敷に来ても、入れることはないとお義父様は約束してくれた。
あの日、お父様が屋敷の中を探せたのは、わざと屋敷に入れたからだという。
自分の目で探してみて、いないとわかればすぐに帰るだろうからと。
公爵家に連れ去られたと騎士団に訴えられないためにしたらしい。
本当なら、もうすでにデュノア公爵家はバルテレス伯爵家と縁を切っている。
ここがお父様の生家だとしても、お義父様の許可なく入ることは許されない。
その話を聞いて、いつお父様が怒鳴り込んでくるか、怯えなくてもいいと安心できた。
今日もゆっくりと起きて、リオ兄様と食事をする。
お義父様とお義母様は仕事があるから、朝は一緒には食べられない。
私も二人に合わせて早起きしようと思ったけれど、それは止められてしまった。
私の仕事はまず弱ってしまった心と身体をもとに戻すことだからと。
「リオ兄様、もう一人で歩けるわ」
「そうか?」
「もう。下ろす気なんてないでしょう」
リオ兄様は私のそばにいるのが仕事だと言って、ずっと離れないでいてくれる。
さすがに湯あみだけは離れているけれど、終わればリオ兄様は迎えに来て、
夜はリオ兄様の部屋で一緒に寝ている。
年頃なのに、一緒に寝ていて怒られないのかと心配したけれど、
どうやら誰も知らないふりをしてくれているらしい。
知らなければ怒ることもできませんねぇとジャンが笑っていた。
「そうだな。じゃあ、散歩に行こうか」
「散歩?」
「歩きたいんだろう?」
「うん」
歩きたいから下ろしてと言ったわけじゃないけれど、散歩には行きたい。
リオ兄様は私を抱き上げたまま、屋敷の奥へと歩いていく。
奥の通路から庭に出るとそのまま歩いていく。
結局、私を下ろさないまま裏庭へとついた。
このまま進んだら……精霊たちの住処へと近づいてしまう。
精霊に嫌われてしまった私が行ったら、みんな逃げてしまうのでは。
「大丈夫、心配しなくていい」
「でも、精霊に嫌われたから……」
「嫌ってないよ。みんなアリアを忘れていない」
泉の近くまで行くと、リオ兄様は私をそっと下ろしてくれた。
……怖い。精霊が嫌って私から逃げていくのをリオ兄様に見られたくない。
リオ兄様は不安になっている私をのぞきこむように膝をついた。
そのまま私の両手を握るようにすると、リオ兄様は左手を上に重ねる。
「……どうして」
「俺のは一度だって消えていないよ」
ずっとリオ兄様の左手を見ないようにしていた。
私の左手を見たくないと、意識して避けていたのと同じように。
だって、精霊の祝福が消えてしまっているのを確認したくなかったから。
なのに……リオ兄様の左手の甲には、
あの日と同じように紫の花が咲いていた。
「どうして、リオ兄様のは消えてないの?
私のは一日で消えてしまったのに」
「すぐにわかるよ。ほら、みんな待っているよ」
「待ってる……」
すぐ近くから、そこかしこで気配がする。
こちらを窺っているのは精霊たち。
精霊の住処いっぱいに光があふれる。
「みんな……私を待っていてくれた?」
声をかけたら、いっせいに光が飛んでくる。
たくさんの小さな精霊に囲まれ、目の前が見えなくなるくらいだった。
「え。えぇ、落ち着いて?」
「お前たち、アリアはもうどこにもいかない。
焦らずに順番に会いに来い」
リオ兄様の声が聞こえたのか、精霊の勢いが弱まる。
それでもたくさんの精霊たちが髪や手のまわりで飛んでいる。
アリア、おかえり。アリア、遊ぼう。
そう言われているのを感じて、謝りたくなった。
「ごめんね。嫌われたなんて言って」
「精霊はアリアに近づけなくなっていたんだ」
「え?」
「バルテレス伯爵家にある離れは精霊に愛されている者を閉じ込める檻だ。
土台に精霊が嫌う忌避石が使われていて、あの中にいれば精霊の力が使えなくなる」
「精霊を見えなくなったのはそのせいなのね」
嫌われたんじゃなかったと知って、うれしさと共に怒りも感じる。
お父様たちはそこまで私を嫌っていたんだ。
「伯爵はアリアから精霊の力を奪おうとしていた。
外に出かける時の服には精霊が嫌う香を焚かれていた」
「香?……もしかして、焚火のような燃える臭いがそうだった?」
「その臭いは精霊教会の大木を燃やしたものだ。
精霊は住処が燃える臭いを嫌がる。だから、近づかなくなる」
「そんな!」
精霊の住処を燃やすなんて、この国の貴族としてありえないことだ。
伯爵家がしたことを知って、めまいがしそうだ。
お父様は完全に私と精霊を引き離すつもりだったんだろう。
だから、どの服を着ても同じ臭いがしていた。
それほど強い臭いではなかったけれど、嫌だなと思っていた。
「離れの影響が完全に抜けるまで待っていたんだ。
ほら、アリアの色が戻ったよ」
「……本当だわ」
精霊がひっぱって遊んでいる私の髪の色が変わっていた。
あんなにくすんだ茶色だったのに、白金色に戻っている。
「あ……」
ぽわりと光が見えた。私の左手の甲に、青い花が浮かび上がる。
リオ兄様への愛を精霊に誓った時の祝福が戻っていた。
「消えていなかったんだよ。見えなくなっていただけだ。
アリアの気持ちは変わらなかったんだろう?」
「うん……変わってない」
うれしくて、泣きたくなって、声をつまらせる。
一度だって、リオ兄様を忘れることはできなかった。
ラザール様の婚約者として、忘れなきゃいけないと思っても、
精霊の祝福が消えたのはリオ兄様が私を忘れたからだと言い聞かせても。
「俺もだよ。変わらずにアリアを愛している。
そばにいたいのも、こうしてふれたいのも、アリアだけだ」
「リオ兄様……私も!
兄様じゃなきゃ嫌なの!忘れることなんて出来なかった」
「忘れなくていいんだ。もう一度言わせてくれ。
アリアンヌ、俺の妻になってほしい。ずっとそばにいてほしいんだ」
「もちろんよ。リオ兄様、うれしい」
リオ兄様が私を抱きしめると、精霊たちは慌てたように離れていく。
そっと頬にリオ兄様の手がふれたと思ったら、くちびるが重なる。
こんな風にふれてもいいんだと、目を閉じた。
ふれるだけの口づけが少しずつ長くなっていく。
うれしい涙が止まるまで、リオ兄様の優しい口づけは終わらなかった。




