1.お別れにきました
久しぶりに訪れた公爵家の屋敷は少しも変わっていなかった。
訪問したのが私だとわかると、門番は走って知らせにいく。
良かった。門の前で追い返されなくて。
王都から出て行く前に最後に挨拶だけはしたかった。
「アリアンヌ!」
「……リオ兄様?」
遠くから私の名を呼ぶ声がする。
記憶にある声よりも低く、胸をぎゅっと締めつける。
最後に会ったのはリオ兄様が学園に入学する時期だった。
あれからもう八年。二十三歳になったリオ兄様が走ってくるのが見えた。
肩まであった白銀の髪は短く切られ、青い目にかかるくらいになっている。
私の身長も伸びているはずなのに、身長差は変わらなかった。
大人になったリオ兄様を見上げていると、
少しだけ背をかがめて私の顔をのぞきこんでくる。
「あぁ、アリアンヌ。どうしてこんなにやつれて……」
「リオ兄様……私、もうだめです。頑張るのに疲れてしまいました」
「何があったんだ?」
「……婚約破棄されて、伯爵家から籍を抜かれました」
「は?」
「これから修道院に向かいます。
最後にリオ兄様にお会いできて良かった」
「修道院…?」
もう貴族でもない私が公爵家の屋敷を訪ねても、会わせてもらえないかと思っていた。
この屋敷で暮らしていたのはもう八年も前だから。
門番にも忘れられてしまっているんじゃないかって。
ううん、違う。
今まで会いに来てくれなかったのは嫌われたからだと思っていたから、
リオ兄様は私と会いたくないのかもしれないと思った。
でも、こうして顔を見てお別れの挨拶ができた。
これでもう心残りはない。
「では、もう行きますね」
「だめだ」
「え?」
「アリアをそんな場所に行かせるわけないだろう。
叔父上のところを追い出されたというのなら、ここにいればいい」
「ここに?」
「帰っておいで。大丈夫だ。アリアは俺が守るから」
「……帰って来てもいいの?」
「いいに決まってる。ほら、中に入ろうか」
「きゃっ」
昔みたいに軽々と抱き上げられ、そのまま屋敷の玄関へと向かう。
少しだけ挨拶したら修道院に向かうはずだったから、こんなことは予想外だ。
抱き上げられたまま門のほうを見ると、連れて来てくれた御者と門番が笑顔で礼をしている。
それがうれしくて、ちょっとだけ手を振った。
屋敷の中も何一つ変わっていなかった。
時を止めたままアリアンヌの帰りを待っていたように。
「アリア、おかえり。もう誰にも傷つけさせないよ」
「リオ兄様、ただいま……」
目の前がぼやけて見えると思ったら、頬を優しくぬぐわれて泣いていたことに気がついた。
あぁ、まだこんな風に泣けるなんて思わなかった。
もう私には感情が消えてしまったのだと思っていたから。