月夜の調べ
うっとりとするような音は私の体を包み、そよ風のように優しく撫でる。
眼前には月が浮かぶ。目を閉じても、まぶたの裏に浮かび上がるのだ。
ドビュッシー『月の光』……その音楽が鼓膜を震わせた時、思わず立ち止まってしまった。
名残惜しくもその場を離れ、夜の道を少し歩いた。強かなる光球が照らす夜は、存外に明るい。
街中を歩いていると、ベートーヴェンの三大ソナタのひとつ『月光』が聞こえてきた。駅の近くにストリートピアノがあるのを、誰かが弾いているのだ。なんという偶然だろう。
懐かしい。ふと故郷を思い出す。
両親は、クラシック音楽を愛してやまなかった。幼い頃から、音楽が家の中を満たしていたのだ。
ベートーヴェン、バッハ、モーツァルト、ショパンにリスト。あの頃の私は、曲の名までは知らなかった。恥ずかしながら、今も知らない。しかし、その響き、旋律、そのいずれも、よく覚えている。
覚えているなんてものではない。記憶なんて、軽薄なものではない。
心に根差している――と言っても足りない。既に私の身体の一部をなしているのだ、と言っても過言ではないだろう。
音楽を志し、あるいは職業として音楽を学ぶ者にそう語れば、なんと烏滸がましい、と眉を顰められるかもしれぬ。それでも良い。
あの頃聴いていた音楽の数々。その一音一音に心を吸い寄せられ、細胞のひとつひとつが振り返るようなこの感覚。それを他の言葉で何と表現できようか。
ベートーヴェンのソナタは小説みたいだ。そう、"彼"は言った。
『悲愴』を練習しながら、感激して語った言葉だった。
実際そうなのだ。その時代、貴族の暮らしに華を添えるだけであった音楽に、初めて自らの心を乗せた――物語を紡いだのが、この偉大なる作曲家、ベートーヴェンであったのだから。
哀しみ、苦しみ、その中の希望……それらは音楽によって語られ、煌めきを放ったのだ。
それは、『月光』もまた然りであった。
月明かりに照らし出された人々の心を、いかなる言葉よりも繊細に描く。
ベートーヴェンの音楽が小説ならば、ドビュッシーの音楽は絵画といえるだろう。
音のひとつひとつが粒となって、光はひとつの情景を照らす。
『月の光』の音色は、幻想的な月景色を浮かび上がらせた。
夜を湛えた湖は、頭上の空とよく溶け合う。空もまた、水を湛えたようにチラチラと輝き、風が吹けば星の光をゆらめかせる。顔を上げれば、手が届きそうなほど近くに月が浮かんでいる。湖にもまた、その光が揺らめいている。鋭い光は、さざなみの中で細かく切り分けられ、宝石の粒となって流れていく。柔らかな灯りが、宵の藍に包まれながら辺りに満ちている。
小説も、絵画も、いずれも物語を紡ぐ。
切なく夢を見るように、希望を求めて闘うように。
そうして、どんな物語も――悶えるばかりに、美しい。
音の粒は光となって、我が心のうちに熱を呼ぶ。
眼前には、青白い燈がかげろうのように立ち上る――
すごく久しぶりに書いた短編。やばい、イメージを膨らませる力が鈍くなっている()