ガラスの靴はもう履かない 〜婚約破棄されたので、手袋を投げつけてみました〜
執筆の合間に、勢いで書きましたが、たくまし令嬢も大好きです。
楽しんでいただけたら、うれしいです。
「メルシーナ・ストランベルク辺境伯令嬢!! 本日をもって、君との婚約を破棄する」
「……リーファー様?」
結婚式の日取りが発表されるためのパーティーで、前触れもなく告げられた婚約破棄。
お祝いムードで盛り上がっていた会場が静まりかえる。
振り返った先には、なぜか会場に遅れて来たリーファー様。
淡い金の髪に、時に冷たい印象を人に与える切れ長の青い瞳。
私も女性にしては背が高い方だけれど、そんな私が高いヒールを履いていても、追い越せないほどリーファー様の背は高い。
一方私は、黒い髪と瞳。美貌がさえるリーファー様に比べ、高すぎる背、全体的に細い華奢な体、そしてきつめに見えてしまう少し派手な顔。釣り合わないことは、分かっている。
今の言葉、聞き間違い……。では、ないわよね?
「……あの、なぜでしょうか」
「……君とずっと一緒にいることができない。それは理由にならないかな?」
「……」
よく分からない理由だ。幼い頃から、婚約者として一緒に過ごしてきた。
たしかに、親が決めた婚約者だけれど、私たちはお互いを尊重してきたはずで……。
「……」
ずっと一緒にいることができないなんて……。
それならいっそ、かわいらしい男爵令嬢でもつれて、この女性を愛してしまった、とでも言ってほしい。
「あなた、これを持っていてくださる?」
後ろにいた護衛騎士に、飲もうと思って手に取ったワインを手渡す。
そして、今日この日のために、魔法の力で作ってもらったガラスの靴を脱ぎ捨てた。
私はおもむろに手袋を外す。
「メルシーナ? うぷ?!」
白い手袋を、リーファー様の顔面に思いっきり投げつける。
そして、振り返った私は、後ろに控えていた護衛から、剣を奪い取った。
会場が、先ほどよりもさらに静まりかえる。
「リーファー様」
「メルシーナ……」
剣先をリーファー様に向ける。
ストランベルク辺境伯家の騎士団は、リーファー様のご実家、ドルキアス侯爵家の騎士団や王国騎士団と並ぶ、三大騎士団の一つだ。
そんな、ストランベルク辺境伯家は、女性騎士も多数輩出した家柄で、帝国からの独立戦争の際に、戦った英雄も我が辺境伯家の女性当主だった。
「――――詳しい婚約破棄の理由を述べる気はありますか?」
「そ……、それは」
リーファー様は、私から視線をそらした。
それは、リーファー様が、私に知られたくないことを隠しているときの仕草に他ならない。
そんなことが分かってしまうほど、私たちは一緒に過ごしてきた。
「語りたくないとおっしゃる?」
「――――俺は、君を」
そのあとの言葉が、続くことはなかった。
私は覚悟を決める。
「……分かりました。私と婚約破棄がしたいのならば、私と決闘して勝利してください」
「……危険だ。君にケガをさせたいわけではない」
「そうでしょうか? 私は、ストランベルク辺境伯家騎士団の団長直々に剣術の指導を受けたということをお忘れですか? ……そのことは、リーファー様が一番よくご存じのはず」
リーファー様は、剣の達人だ。
でも、私にだってストランベルク辺境伯家の一員としての矜持がある。
……それに、このまま婚約破棄が決まってしまったなら、リーファー様にとって不利なことしかない。
私は、少なくとも、大好きなリーファー様に、そんな目に遭ってほしくない。
「…………もし、私が勝利したら、本当の理由を話してください。その上で、婚約は破棄ではなく、解消と致しましょう」
「何を言っているんだ。そんなの君にとって一つも」
「ストランベルク流、奥義、火竜の舞」
それにしても、ストランベルク辺境伯家に伝わる流派、ストランベルク流は、必ず技の名前を大きな声で言ってから、発動しなくてはいけない。
なぜなのかと、父に質問してみたところ、遠い目をして「それは、始祖の決めたことだ」とだけつぶやいた。
それならば、技名を叫ばなければいいと思って試したけれど、不思議なことに技名を叫ばない限り、絶対に奥義は発動しなかった。
その代償として、ストランベルク流の奥義は威力が高い。
炎を纏った剣が、リーファー様の頭上から振り下ろされる。
「くっ!!」
真剣同士がぶつかり合って、奥義の火が散る。まるで火花のように。
すぐに、お互いが距離をとる。
奇襲攻撃に近かった私の剣を、なんなく捌いてしまったリーファー様は、やはりお強い。
「――――さすがです。ところで、ほかにお好きなご令嬢でも?」
「…………そんな人、いるはずない」
あら、いっそそうだったなら諦めも付いたのに。
ということは、やはり私と結婚するのがよほどお嫌だったのね……?
こんな公衆の面前で言い出すほどに。
「……そうですか。奥義、水竜の波音」
周囲の視線が痛い。たしかに、ストランベルク辺境伯家の騎士たちは、よほどの危機に陥らなければ、奥義を発動することはない。
……それは、技名を叫ばなければいけないからというのも、間違いなく一つの理由に違いない。
「メルシーナ」
降り注いだ、私以外の人間が視界を遮られる魔法のテリトリーで、余裕を持って躱されてしまった私の剣。喉元に、剣先が突きつけられる。
「――――俺の勝ちだ。メルシーナ」
「……やはり、お強いですわね」
「……ああ。そうだな、少なくとも君よりは強くあるように、血のにじむような努力をした」
……では、なぜ。
でも、勝負は決してしまった。婚約破棄は、神聖な決闘により受理される。
「それでは、ごきげんよう」
ドレス姿でなかったら、私にも勝つ可能性は、ほんの少しあったかしら。
そんなのは、言い訳でしかない。
もう一度履いたガラスの靴は、ヒンヤリとして、履き心地が悪いことこの上ない。
もっと、剣の実力を磨いて、これからは孤高の女騎士として強く生きていこう……。
だから、これは涙なんかじゃなくて、ただの……目からの汗なの。
私は、ワインを勢いよくあおって空にした。
***
けれど、それからしばらくたって、王太子殿下の婚約者であり、リーファー様の姉であるドルギアス侯爵令嬢が、聖女をいじめたという罪で、不敬罪に処せられたという情報が、私に届いたのだった。
「ねえ……。リーファー様は、このことを事前に知っていらっしゃったのかしら?」
私は、髪の毛を結い上げてくれている侍女に質問してみた。
「知っておられたでしょうね? ドルギアス侯爵令息様は、あらゆる情報を手に入れて、お嬢様の周りに近付く男性すべてを排除するくらいお嬢様に執着……ゴホン、お嬢様を愛しておられましたから」
「後半は、初耳だわ」
決闘で勝っていたなら、真実を話してもらえたのだろうか。
確実に、リーファー様が婚約破棄を私に持ちかけたのは、私のことを巻き込まないためだろう。
「ところで、リーファー様は、今どちらに?」
「……魔獣の森に接する砦を守るお役目を命じられてそちらに赴任したそうです」
「そう。我が領地の外れ、生還者がほとんどいないあの場所に」
私は、あの日しまい込んだ、ガラスの靴を取り出した。
「――――マリル。行ってくるわ」
「用意はできております。お嬢様」
侍女姿だったマリルは、振り返るとすでにローブに身を包んでいた。
ストランベルク辺境伯家の使用人達は、全員魔法か剣の達人だ。
侍女のマリルも、ストランベルク辺境伯家騎士団の上位に位置する魔法使いなのだ。
直後、魔法の光が降り注いで、私の姿は辺境伯家のお姫様から、凜々しい騎士の姿へと変わっていた。
「魔法で姿を変えるなんて、どこかで聞いた、おとぎ話みたいね?」
「……私の知っている物語は、魔法使いが舞踏会に行けない哀れな令嬢を姫君の姿にしたのだと記憶しております」
「そう。まあ、どちらにしても、似たようなものでしょう」
「そ、そうでしょうか?」
認識阻害の効力がある兜をかぶる。
長身の私は、この兜をかぶってしまえば、女性には見えないだろう。
「行きましょうか」
「どこまでも、お供致します」
マリルも、認識阻害の効力があるローブについたフードを頭からかぶる。
私たちは、早朝の屋敷をそっと抜け出した。ガラスの靴だけを、お兄様の執務机に残して。
優秀で苦労性なお兄様のことだ。ガラスの靴を見れば、私がどこに行ったか察して、必要な措置を講じてくれるに違いない。
***
森近くの砦は、騒然としていた。
私は、マリルの補助魔法を受けて、騎士たちが数人で取り囲んでいた魔獣を一太刀で倒した。
ざわめく騎士たちに、ストランベルク辺境伯家の紋章が入った剣を見せる。
「姫様……」
しばらくすると、騎士たちから連絡を受けたらしい、騎士団長が現れた。
さすがに、騎士団長にはすぐに分かってしまうようだ。
「お久しぶり。お役目ご苦労様」
「どうしてこんな危険な場所に、というのは聞くまでもないですね」
「……リーファー様は、どうしてこの場所に」
「聖女から、手を差し伸べられましたが、それを断り、自らこの場所を志願されました」
私は、暗く淀んだ気配の森を眺めた。
この場所は、王国の防衛線であり、もし破られたなら、一番に害を被るのは、ストランベルク辺境伯家だ。
だからこそ、我が家は王国でも破格の待遇を受けているし、闘い続けている。
いつでも、真っ先に私のことを考えてくれたリーファー様。あなたのことを、もっと、信じるべきだったのに……。
「騎士団長、このことは指揮官であるリーファー様には、くれぐれも内密に」
「…………姫様」
「姫ではないわ。ここでは、ルシと」
「ルシ……。わかりました」
***
その日から、戦いの日々が幕を開けた。
さすがに、リーファー様と直接会ってしまうと私の正体はすぐにばれてしまうだろう。
だから、遠目に見るだけにした。
「リーファー様」
「ルシ様、いっそ声を掛けてしまえば」
「……婚約破棄された身だもの。遠くからお助けできれば十分」
けれど、そんなある意味幸せな日々も終わりを迎える。
森の主ともいえる、竜が森の奥から現れてしまったのだ。
リーファー様は、いつものように最前線で戦い始めてしまった。
竜を倒すほどの手柄を立てたなら、きっと本人は何もしていないリーファー様の罪は、許されるに違いない。
私は、そっと周囲の魔獣を倒しながら、リーファー様の戦いを見守っていた。
「――――っ!! リーファー様!」
その瞬間、竜が咆哮を上げ、地面が大きく揺れる。
足元をすくわれたリーファー様に、竜の爪が迫るのを私は見てしまった。
「く…………! 奥義、風竜の気流!」
下から斬り上げる私の周囲を、突風が吹き荒れる。
ガキンッと硬質な音を立てて、折れた竜の爪が地面に落ちていく。
「きゃ……!!」
無理な体勢だったせいか、体勢を崩して地面にたたきつけられかけ、思わず目をつぶった。
けれど、いつまで経っても地面にたたきつけられることはなく、フンワリと何かに抱き上げられる。
「――――メルシーナ」
「…………てへ?」
技名を叫ばずに奥義が発動できたならと、今ほど思ったことはない。
けれど、兜は乱暴に外されて、私の黒い瞳と、リーファー様の青い瞳がまっすぐ見つめ合う。
「いつから」
「えっと。一月ほど前から?」
「――――助太刀に来たという、優秀な騎士。会おうとしても、何かと理由をつけて騎士団長に阻まれていたが、そういうことか」
「てへ?」
私をそっと地面に降ろしたリーファー様は、長い長いため息をつくと、先ほどよりも怒りをあらわにした竜に向き合った。
「話は、後だ……。力を貸してくれるか、メルシーナ」
「はい!!」
私たちは、一人でも強い。
でも、ずっと一緒に剣の鍛錬を繰り返していた私たちは、一緒にいたならもっと強い。
重低音が鳴り響き、地面が揺れる。
最後に立っていたのは、竜ではなく私たちだった。
「姫様! おめでとうございます!!」
次の瞬間、マリルの魔法の光が降り注ぎ、なぜか私は、ドレス姿へと変わっていた。
置いてきたはずのガラスの靴まで、なぜかしっかり履いている。
結論として、リーファー様と私の言い合いは、真夜中まで続き、その後、私たちは朝まで一緒にいた。
***
ストランベルク辺境伯家に帰還した私たちは、思いのほか、たくさんの人に出迎えられた。
結局の所、王太子は廃嫡し、リーファー様の罪は白紙になっていた。
帰った途端、抱きしめながらげんこつを落とすという器用なことをしてくれたお兄様が、聖女が実は魔女だったことを露見させ、各方面に働きかけてくれていたのだった。
魔女は最後に、「どうして悪役令嬢にヒロインが負けるのよ!」と捨て台詞を残していたらしいけれど、その意味がわかる人間は、王都にはいなかった。
竜を倒したおかげで、しばらくの間、辺境伯領には平和が訪れた。
そして、英雄夫婦の結婚式が、王都で盛大に執り行われたのだった。
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