王妃と王太子
「いいか、終わるまでこの馬車から出るな」
「本当に大丈夫でしょうか?」
やはり不安は大きい。本当に逃げられるのか?
ビュイック侯爵家の養女となり、2年弱の礼儀作法教育の後に王宮に上がり3年、先代の聖女の筈の王妃は何かに付けて私に絡んで来た。
「平民の分際で!」
私が聖女としての勤めを熟す度に、王妃からは常にこう言われ続けた。当然その息子である王太子からも同様の扱いを受けたわね。
「仕方なく結婚はしてやる。だがそれだけだ。貴様には塵芥程の興味も無いし、指1本触れるつもりも無い!」
当時17歳であった王太子と、13歳の私との初対面の場で交わされた初めての会話だ。
婚約者なのに次の会話は3年後。
「スカーレット=ビュイック、そなたとの婚約を破棄する!」
それは王宮内である日突然、王太子に呼び出された場で告げられた。
「殿下、理由をお聞かせ頂きたく存じます」
「理由?貴様が偽聖女であるからに決まっているだろうが!」
「偽聖女?でございますか?」
特に思い当たる節は無い。日々、国の安寧を祈りつつ魔物除けの結界を張り巡らせ、それでも防ぎ切れない魔物の発生源と成り得る場所を浄化し、豊穣を願い土地を祝福して、国民を癒し続ける生活を送っている。偽聖女呼ばわりされる覚えなど無かった。
「そなたも16歳になり、平民出身ながらも少しは見られる様にはなってきた。一応は婚約者なのだから少しは情けをくれてやろうかと思った矢先に、次から次へと罪状が明らかになってくるではないか!」
「私の罪でございすか?」
「白々しい!魔物除けの結界は母上の張った結界、土地の浄化はこれなるマライア=マクレーン伯爵令嬢が行っているではないか!」
「いえ、そんな、私は…」
結界も浄化も間違いなく自分で行っている。他に誰か出来る者がいるとは聞いていない。もし他に誰か出来るのなら手伝って欲しかったくらいだ。
突然、身に覚えの無い事を言われて困惑している所で初めて、王太子の脇に従う私より少し年上の派手な令嬢の存在に気が付く。
「初めましてスカーレット様。スカーレット様の尻拭いに追われ、王宮には中々足を運べませんでしたわ」
亜麻色の自分とは違う明るい金色の長い髪の女、マライア=マクレーン伯爵令嬢はうんざりしたとでも言いたげな表情を浮かべる。
確かマクレーン伯爵は王妃の実兄で、マライアと王太子は従兄妹の間柄の筈だわ!
「そんな、私は結界も浄化も祝福もしています。それに人々の癒しも!」
「それだ!癒しと称して男を漁っていると評判だぞ」
「男? 何の事でしょうか?」
一応は婚約者の筈の王太子の言うことが全て寝耳に水なので話が噛み合う訳も無い。
「往生際が悪い。もう良い!」
王太子の言葉を合図に2人の衛兵に両脇から拘束されると、身動きは取れなくなった!
「スカーレット=ビュイック、聖女の任を解く!」
「そんな、聖女の身分は国王陛下でも自在になる訳ではございません。仮に聖女の任を解くと仰るなら国王陛下より直々に聖教会へ…」
「生温いですわ!」
頭の悪い王太子に聖女解任の手続きを教えてあげようとしてあげているのに、それを遮る様にマライアの声が響く。そして間髪入れずに今度はパチンと乾いた音が響く!
マライアの平手打ちの音だ。当然ながら打たれたのは私。
「偽の聖女として裁きを受け、磔なりギロチンなり罰をお受けなさい!」
「罰?」
「ええ、そうよ。王家を謀った罪は山よりも大きいのですから!」
王太子は止める素振りも見せずマライアが再び平手で頬を打つべく構えた時だった。
「お待ちなさい!」
意外な人物の声にマライアの動きが止まる。王妃だ。
だが助けてくれる筈がない人物が来た所で、事態が好転する訳が無い事はこの3年間の経験で判っている。
「その薄汚い平民を自らの手で打つなど汚らわしい。マライア、これをお使いなさい」
「これは」
王妃が差し出した物は、乗馬に使う鞭だわ!
「平民は人ではない。馬に使う物で充分よ!」
「そんな、ひど……!」
その先を言う事は出来なかった。
マライアの鞭がそれを許さなかったのだ。
「認めなさい。偽聖女だと。尤も今の貴女を見て聖女だと思う人など居ないでしょうけど! オーホホホッ!」
マライアが笑いながら振るう鞭によりきっと、私の顔は原型を留めない程に腫れ上がっている事だろう。
「フッ、お得意の『癒し』とやらで自分自身を癒してみたらどうだ?」
王太子のいやらしくも冷たい視線。
やってやろうじゃないの!
偽聖女が逆立ちしたって出来ない本物の治癒を見せ付けてあげるわ!
とは言え自身に治癒を施した事は無い。その必要が無かったのだから。
でも試しにやってみると、これが自分でも驚く程の効果であった。
だが逆にこの行為が王妃の逆鱗に触れる。
「これは聖女の能力ではない! この女は魔女よ!」
「そうですわ。魔女のまやかしの術に違いありませんわ!」
「遂に本性を現したな、聖女に成り済ました魔女め!」
王妃、マライア、王太子からはすっかり魔女扱いを受け、更なる仕打ちを受け続けたわ。
その後、地下牢に叩き込まれた時には地下牢がまるで天国の様に感じた。
それが数日前の話だ。そして現在に至る。
王都から逃れる。
それは今の私にとっては絶対に譲れない願いだ。