アリスになる
「ちょうど良い具合の雨が降ってきた。この雨で見物人も減るだろう。これがどういう意味か判るかい?」
「意味ですか?」
「きっと神様があんたを生かそうとしているんだよ!」
前のめりに身を乗り出したダミアンさんが力強く励ます様に語ってくれた。
「実はこの役目には志願して就いたんだ。孫を助けてもらった恩返しがしたくてな! それであんたの事を調べさせてもらったんだ。確かビュイック侯爵の養女になる前は居酒屋の娘だったよな?」
「ええ。11歳までは」
「それじゃ平民に戻るだけだと割り切ってくれ」
「どういう事ですか?」
「実はな、王妃に見殺しにされた悔しさから俺は長女の死亡届を出しちゃいない。つまり戸籍上は娘のアリスはまだ死んでないって事だ」
「えっ?」
それってもしかして。
「生きていれば30歳だ。少しばかり見た目と歳は合わないがあんたは今から俺の長女、アリス=オースティンだ!」
「アリス=オースティン?」
当たり前だけど、それが自身の新しい名前だとまだ実感は湧かない。
それでも自分を何とか生かそうとしてくれる人が居る喜びは湧いてきた。
「あっ、そうそう。刑の執行は俺と部下たちで執り行う。みんな信頼出来る連中だ。その後は俺の娘としての身分証を使って国を出るんだ!」
「刑を実際には執行しないのですか?」
「いや、見届人として法務局の官僚も来るし見物人も居る。多いとバレる危険が有るが、この位なら証人になってくれてちょうど良い!」
「見物人が証人? 証人がいるのにどうやって?」
「すり替えだよ」
「すり替え?」
「運良く昨日、あんたと背格好のよく似た誘拐犯が磔刑で死んだ。身寄りは無いそうだ。悪いがそいつにはもう1度死刑になってもらう」
この国の死刑の執行方法は3種類あるって聞いている。
一般的な犯罪者は磔刑で槍で刺される。
他には諸事情で隠匿したい場合は密室で絞首刑となる。これは役人の不祥事とか、貴族が関わっているとかの政府があまり公にしたくない犯罪者が対象となるのよね。
そして、王家に反逆した者や政治犯はギロチン刑となり首が晒される。
そういう理由で今回の私は王家を謀った偽聖女としてギロチン刑となったのよね。
「その磔刑の方の遺体と私をすり替えると?」
「そうだ。磔刑だから身体は何ヶ所も刺されたが首はまだ繋がっているし、断頭台は見物人から距離がある。首が落ちる所を遠くから見れば、刑が執行されたと皆が思うだろう。血についてはこの雨で何とか誤魔化せる!」
「それで、その方の遺体は何処に?」
「あんたの尻の下だ」
「ええっ!」
思わず大声が出ちゃった。慌てて立ち上がって、今まで座っていた腰掛けを見つめてみる。
ダミアンさんは不敵に微笑みながら座面を外すと、そこには私と同じ女性用の囚人服を着た、亜麻色の長い髪の遺体が収められていた。
「流石に女の遺体をどうこうしたくなかったからな。コイツの磔刑が昨日でよかったぜ」
「どう言う事ですか?」
「コイツ、男なんだよ」
「えっ!」
「男にしては小柄で細いだろ。でもほら、髭の剃り跡も有る」
言われてみれば確かにそうだ。よく見れば髭の剃り残しが見える。
こんな扱いを受けている物言わぬ彼は、これから私の代わりに首を落とされるのだ。
聞けば幼い子供を言葉巧みに、時には女装をして女子供に近付いて誘拐しては人買いに売り渡していたそうだ。
事が事だけに同情もしなければ感謝もしない。多少の申し訳無さは有るけれど。
「幸いな事に昨日の刺し傷は服で隠せた。このまま一気にやるぞ!」
私達を乗せた罪人護送用の馬車は少なくなったとは言え、まだ居る見物人を掻き分ける様に断頭台に近付く。
あの人達から偽聖女として罵声を浴びせられるのか、それとも石でも投げられるのかしら。
私の罪状は偽聖女として王家を謀った事となっている。特に王家のお膝元である王都では極悪人の扱いとなっている筈だと覚悟はしている。
案の定、馬車の外が騒がしい。
怖いもの見たさと言うか、気になって仕方の無い私は恐る恐る外の声に聞き耳を立てる。
「聖女様!」
「おい止めろ、聖女様は本物だ!」
「聖女様を処刑するなんて罰が当たるぞ!」
「近年、国中の魔物が減ったのも聖女様のお陰だろ!」
「ここに居る皆が聖女様には世話になっているんだ!」
「聖女様を殺すんじゃない!」
込み上げてくる物で目頭が熱くなる。
私の首を落とされる瞬間を見物に来た人々だと思っていたが、実は私を真の聖女だと信じている人々だったのだ。
窓からチラッと見えた景色は、老若男女問わず私を乗せた馬車を取り囲んで中央広場への馬車の進入を阻止しようとしている!
それを衛兵に止められて揉み合っている市民の姿だった。
「みんな俺と同じ様に、あんたに助けられたのだろう」
「みなさん、私の為に」
俯いてそれしか言えなかった。涙で。
「さぁ、泣くのは無事に逃げ遂せてからだぜ、アリス!」
「はい!」
王都を覆う黒くて分厚い雨雲から一筋の光が差し込んだ気がした。