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書籍化作品(予定を含む)

【WEB版】身代わりで嫁入りした先は冷血公爵でした【アンソロジー】

作者: 日之影ソラ

 私が仕えている貴族の令嬢は、少し変わっている。

 いや、というより我儘だ。

 立ち振る舞いや見た目は、気品あふれるお淑やかな令嬢そのもの。

 だけどそれは、表で見せる仮初の顔でしかない。

 普段の彼女はどうしようもなく我儘で、よく乙女なことを口にする。


「はぁ……私の運命の相手はどこにいるのかしら?」


 最近よく口にする言葉を耳にしながら、私は紅茶の入ったカップを運ぶ。

 飲みたいとおっしゃったから入れたのに、やっぱり気分じゃないから変えてほしいと言われて、仕方なく取り換えている最中だ。

 これも中々良い紅茶で、捨ててしまうのは勿体ないけど。


「ねぇ、サラ。ちょっと街まで出て、私の運命の相手を探してきてくれないかしら?」

「無理をおっしゃらないでくださいお嬢様。侍女である私が、お嬢様の元を離れてしまえば、旦那さまや奥様に叱られてしまいます」

「貴女が怒られるくらいなら良いじゃない。それで運命の相手が見つかるなら良いことよ」


 などと平然と口にする。

 私がこのビクタニア家の令嬢、リーゼお嬢様に仕えて五年。

 いつものように無茶なことを要求され、渋々それに応え続けていた所為か、何を言われても仕方がないと慣れてしまっていた。

 そうでなくても、長く一緒にいるだけで多少の情は湧く。

 十六歳の成人を迎えなお残る幼さからか、放っておけないと思えてしまう。

 年齢は四つしか違わないのだけど。


「じゃあよろしくね?」

「はい……かしこまりました」


 結局、その日は一日街を歩き回った。

 屋敷に戻ってお嬢様に報告したら……


「やっぱり貴女じゃ駄目ね。自分の運命の相手は、自分で探すしかないわ」

「……申し訳ありません」


 これもいつものこと。

 お嬢様の期待にそうなんて早々ないから、基本的には呆れられるか怒られる。

 それでも無茶だけはしないように。

 せめて安全に、安心して毎日を過ごしてほしいとは思う。

 私の生活の大半は、お嬢様の思いつきに振り回されることで出来ていた。


 そんなある日――


 お嬢様に、縁談の話が持ち上がった。

 相手は同じ上級貴族の嫡男で、ビクタニア家とも以前から縁があるらしい。

 数日程前に開かれたパーティーで話が出て、親同士で盛り上がり、話が進んでしまった。

 親が勝手に婚約者を決める。

 貴族の間ではよくある話で、特段珍しくもなかった。

 ただ、お嬢様にとっては良くない話だ。

 他人が決めた相手と婚約なんて嫌だと、お嬢様ならおっしゃるはずだ。

 というわけでもなく……


「ありがとうございます。お父様、お母様」


 表では良い子でいる。

 素を見せるのは一人のときか、私といる時だけだ。

 その性格が災いして、彼女は両親の好意を無下にできない。

 こういう時は決まって、了承してから文句を言う。

 自室に戻り、私と二人になると案の定、お嬢様は暴れ出した。


「嫌よ嫌よ絶対に嫌! 何で婚約なんてしなくちゃいけないのよ!」


 それはお嬢様が、ちゃんと断らなかったからです。

 なんて言えない。


「しかもよりにもよってあの男よ! この間のパーティーであいさつしたのに、笑いもせず会釈で済ませた愛想もない男……」


 パーティーには私も同席した。

 だから、二人が挨拶を交わした場面にも出くわしていている。

 お相手は、クロード公爵家の嫡男アスト様。

 銀色の髪と青い瞳、クールで静かな印象の方だった。

 いやむしろ、他人に対して興味が薄く、冷たい男性のように思える。

 一部の貴族たちからは、冷血公爵なんて呼ばれているそうだ。

 お嬢様でなくても、そんな人物との婚約は不本意だろう。


「多少顔は良いけど、一緒にいて全然話もしてくれないし、あんなのが婚約者なんて御免だわ。ましてや運命の相手じゃないもの!」


 ちょっと言い過ぎな気もする。

 ただ、確かに口数は少なくて、何を考えているかわからない方ではあった。

 私もお嬢様も、そのパーティーで会っただけでほとんど他人でしかない。

 そんな相手と婚約しろ、なんて言われても納得は出来ない気持ちはわかる。

 ただ、引き受けてしまったのも事実だった。

 そして明後日から、お嬢様は公爵家で暮らさなくてはならない。


「どうしよう……今さら断るなんて出来ないし」


 悩んでいるお嬢様を、私は黙って見守った。

 余計な口を挟んで、また無茶な要望を出されないように静かに待った。

 そして彼女は思いつく。

 自分にとって都合が良くて、私にとって不都合な方法を。


「そうだわ! サラ! 貴女が私の代わりに公爵家は行きなさい!」

「え……ど、どういうことですか?」

「言った通りよ。私の代わりに、あの無口な男と婚約するの」


 数秒、言葉を失った。

 耳を疑いたくなるような提案に、私は声も出なかった。

 しばらくその場が凍り付いて、自力で我に返り、お嬢様に意見する。


「ま、待ってくださいお嬢様! いくらなんでもそれは不可能です」

「大丈夫よ。私と貴女は年も近いし、背丈もほとんど一緒よ? どうせ一度しか会ってないもの。変装すればわからないわ」

「変装してもバレてしまいますよ! 髪の色も私は黒いですし、目だって……」


 黒髪と黒い眼は、地味で若干コンプレックスでもあった。

 綺麗な金色の髪と淡いオレンジ色の瞳をしているお嬢様の隣にいた所為もあって。


「心配いらないわ。髪の色を変える道具があるの。目の色は変えられないけど、きっとそこまで覚えていないわ」

「で、ですがその間……お嬢様はどうされるおつもりですか?」

「心配いらないわ。街にいるお友達にお願いして、しばらく泊めてもらうから」

「そ、そんな簡単に……」


 と言いつつ、すでに諦めていた。

 お嬢様の目は本気だった。

 出来ると言い張るお嬢様には何を言っても無駄だと、今までの経験から学んでいる。


「その間に私は運命の相手を探すわ。貴女はちゃんと私を演じてちょうだいね」

「……かしこまりました」

 

 これも侍女の務め。

 つまり、私は身代わりになって婚約者を演じる。

 いつまでかはわからない。

 もしかしたら永遠に、この先もお嬢様の代わりとして生きていくことになるかもしれない。

 それを仕方がないと思ってしまう程度には、自分の人生に対して希望なんて持っていなかった。


  ◇◇◇


 その二日後、私はお嬢様の服に着替え、馬車に乗りこんだ。

 行先は公爵家の屋敷。

 その中でも、アスト様が暮らしていらっしゃる屋敷は、王都から二つ離れた街にあった。

 出発前にお嬢様からは――


 頼んだわよ。


 と念を押されている。

 バレないように振舞って、適当に過ごしてきなさいとも言われた。

 ただでさえ他人のフリをするなんて慣れていないのに、初めましてに近い相手の家で暮らすなんて荷が重すぎる。

 いっそのことバレてしまえば、丸く収まるのではないか。

 などと考えながら馬車に揺られ、気づけば屋敷の前まで到着していた。


「……はぁ」


 馬車を降りて、小さくため息をこぼす。

 後悔しても遅い。

 ここまで来てしまったのだから、もうなるようになれと思いきるしかない。

 私は使用人に案内され、屋敷の中を歩く。


「こちらです」

「はい」


 普段なら逆の立場で、私が誰かをエスコートする側だった。

 ほどよく落ち着かないまま一室の前にたどり着く。

 トントントンと使用人がノックをして、中にいる彼に呼びかける。


「アスト様、リーゼ様をお連れいたしました」

「――わかった。入れ」

「はい。リーゼ様」

「は、はい」


 ごくりと息を飲む。

 一目見て別人のバレたらどうしよう。

 その時は開き直って、本当のことを話すべきかもしれない。

 上手く縁談の話が反故になれば、私も屋敷に戻れる。

 淡い期待と同じくらいの不安を胸に、私は扉を開け中へと入る。

 するとそこには、空いた窓から吹き抜ける風に銀色の髪をなびかせ、切なげな表情でこちらを見つめる彼がいた。


 ピクリと、僅かに反応したように見える。


「君は……そうか。よく来てくれたね」


 彼はそう言って、一緒に来てくれた使用人に外へ出るよう目配せをする。

 ガチャリと扉が閉まると、二人きりになって沈黙が続く。


 え……どうしよう。

 ここから何を話せばいいの?

 リーゼ様は外だとほとんど話さないし……


「座らないのかい?」

「え、あ、はい」


 そんな私に気を使ってくれたのか。

 彼はソファーを指さす。

 私は心の中で深呼吸をして、落ち着けと言い聞かせソファーに座る。

 彼も向かい合うように反対側へ座った。


 き、緊張する……


「すまなかったね」

「え?」


 最初の一言は、彼からの謝罪だった。

 予想外の言葉に驚いて、私は一瞬素が出てしまう。

 慌てて呼吸を整えて、聞き返す。


「どうしてですか?」

「今回の縁談の話だ。うちの両親が言いだして、当人の同意もなく勝手に進めてしまった。俺が知った時には話も進んでいて、止められなかった。君も、望んでここへ来たわけではないだろう?」

「そ、それは……」


 図星だった。

 二つの意味でその通りだったから、私は思わず言い淀んでしまう。

 すると彼は、小さく笑って言う。


「そんな顔をしないでくれ。悪いのは俺のほうだ。成人になり十年、決まった相手もなく、この手の話は断り続けていた。今回の件は、それにしびれを切らした父上を説得できなかった俺の責任だ。うちの事情に巻き込んでしまってすまない」

「そ、そんな! 謝らないでください。私はその……」


 本人じゃないからこそ、言いたいことはたくさんある。

 でも、どれも口にしてはいけないことばかりだ。


「まぁ、とは言ってもだ。互いに望まない形とは言え、世間は私たちを婚約者として見ている。家柄を背をっている身としては、軽々に捨てられない。しばらくはここでゆっくりしていくと良い」

「アスト様……」

「呼び捨てで構わないよ。経緯はどうあれ、俺たちは婚約者となったんだ。他人行儀な振る舞いをする必要はない。むしろ、屋敷の中でくらい気楽に生活してくれ」

「……」


 私は言葉を失った。

 意外過ぎて、動揺するほどに。

 パーティーでお嬢さまと対面していた彼は、愛想がなく、他人に興味がなさそうで、誰かと話しながら常につまらなそうにしていた。

 でも今は、気の抜けたような表情で、時折小さく笑いかけてくれる。

 形だけの笑顔じゃない。

 優しくて温かい笑顔と、言葉からも温もりを感じる。

 それはおよそ、私には向けられるはずのない言葉ばかりだった。


「どうしたんだい? 俺の顔に何かついているかな?」

「あ、いえその……以前にお会いした時とは、ずいぶん印象が違いましたので……」


 言ってから気付く。

 案に不愛想だと口にしたも同じことに。

 なんて失礼なんだと慌てて自分の口を手で塞ぐ。


「はははっ、まぁそうだろうね」


 なのに彼は、怒るではなく笑ったのだ。

 

「あーいう大勢の他人が集まる場は好きじゃないんだ。貴族同士、仲良くしなければならないから近づく。互いに腹の探り合いで、決して本心から歩み寄らない。上辺だけの関係には飽き飽きするよ」

「そ、それは……」

「おっと、こんな話を君の前でするべきじゃないね。ただ、つまるところ俺は貴族という立場があまり好きじゃないんだ。皆、誰もが見ているのは本人ではなく肩書きばかり。この婚約だって、当人たちの気持ちなんて考えもしない。家同士の交流を深めるのが目的だろう?」

「そう……ですね」


 彼の言う通り。

 私が仕えていた家と、彼の家の交流を深め、自らの立場を固くすること。

 貴族にとって地位や名誉は、時に命よりも優先される。

 私たちの気持ちなんて、命と等価値に勝るはずもなかった。

 そういう意味では、お嬢様も不憫だ。

 もっとも、身代わりとして私が来ている時点で、不憫もなにもないのだけど。


「まぁともかくだ。俺はこういう男だと知っておいてほしい。これから苦労させてしまうだろうからね」

「いえ、苦労なんて思いません」


 その程度のことなら、私はずっと経験してきた。

 お嬢様に振り回される日々に比べたら、ここで生活する方が楽かもしれない。

 彼と話していて、そんな風に思えていた。


  ◇◇◇


 公爵家での日々は、思っていた以上に退屈なものだった。

 朝早く起きる必要はないのに、日頃の癖で目が覚めてしまう。

 特に起きてもやることはない。

 朝食、昼食、夕食と待っていれば用意される。

 掃除も洗濯も、今までやっていた家事は私がする必要もない。

 お嬢様の我儘に振り回されながら、仕事ばかりしていたせいだろうか?

 そんな退屈な日々が我慢できなくて、私はアスト様にお願いした。 


「手伝い?」

「はい。なんでも構いませんので、何かありませんか? 何もしていないのは、その……」


 退屈、とは正直に言えない。

 それではまるで、私がいつも仕事に追われていたようじゃないか。

 今の私は侍女ではなく、公爵家の令嬢リーゼとして振舞っているのだから。


「ふむ、やはり思った通りか」

「はい?」

「いや、こっちの話だ。では俺の仕事を手伝ってもらえるかな? 見ての通り書類が溜まってしまっていてね? 領地を預かる身としてやらなければいけないことが多いんだ」

「はい。喜んでお手伝いさせていただきます」


 アスト様の仕事は、領地の運営と管理。

 山積みになった書類は全て、領地に関わる案件ばかりだった。

 街で起こっている問題や相談、それらへの対応と思考。

 やることが多いと彼が言ったように、ざっと見流しただけでも十分すぎるほど色々起きている。


「この街は元々、荒くれ者ばかりが集まる場所でね? 今でこそ落ち着いているが、一時期は目も当てられないくらい酷かったものだ」

「そうなのですか? ではなぜそんな場所を選んだのです? 他にも領地はあったでしょう」

「ああ、もちろんあったさ。これでも領地には困っていない家だからね。選んだのは単に、ここなら誰も来たがらないし、邪魔されないと思ったからだよ」

「そこまでして避けるのですか……」


 その他大勢を嫌い、遠ざけて生活する。

 一見ただの人見知りでしかないのだけど、彼の場合は少々行き過ぎている気がする。

 過去にそれほどの何かがあったのだろうか?

 他人を信じられなくて、遠ざけたくなるような何かが。

 もしかすると彼も、他人に振り回され続けて来たんじゃないか。

 そう思うと、他人事には思えない。


「君はよく頑張るね」

「え?」

「いやふと思ったんだよ。貴族の令嬢というのは、己を着飾り華やかに見せることを優先する。それを悪いとは言わないが、見栄えだけ良くしても中身が伴っていないのでは先がない。でも君は、ちゃんと身に着けているよね?」


 遠回しな言い方だ。

 けれども確かに、彼は私にこう言っている。

 貴族の令嬢らしくない……と。


「アスト様」

「呼び捨てで良いと言っているのに、まぁそれも君らしさなのかな?」

「……」


 気づいている?

 私がお嬢様本人ではないことに。

 だとしたらどうして、何も言わずに受け入れているの?

 知っているのなら。

 騙されているとわかっているなら、なぜ私に優しい表情を見せてくれるの?


「あ、あの……」

「なんだい?」

「……いえ、なんでもありません」


 聞いてみたくなった。

 理由を尋ねようとして、途中で踏みとどまった。

 もし聞いてしまえば決定してしまう気がして。

 私は無意識に拒んだんだ。

 この生活が終わってしまうことを。

 身代わりだとしても、誰にも振り回されることのない穏やかな日々を。


「もし思うことがあれば言ってくれて良い。やりたいことがあれば尚更だ。無理に我慢する必要はないよ」

「……はい」


 この日以来、私は思うように生活することにした。

 彼がそれを許してくれるなら、その心遣いに甘えよう。

 仕事の手伝いだけじゃ物足りなくて、屋敷でのお仕事も手伝ったり。

 お嬢様らしさを守りながら、私らしくも振舞って。

 一見してちぐはぐな人物を演じながら、それでも何も聞かず、何も言わず受け入れてくれる彼に少しずつ、確かに惹かれていった。


 望まぬ形でたどり着いたこの場所。

 お嬢様の身代わりだから、決して私が認められたわけじゃない。

 それでも嬉しいと思った。

 時折彼がかけてくれる労いの言葉が、心からのものだとわかってしまうから。


 ああ、駄目だ。

 これ以上に惹かれてしまったら、後戻りできなくなる。

 幸せを感じて、ここにい続けたいと思ってしまう。

 そんなことは不可能だとわかっているのに。

 身代わりの婚約なんて、いずれ壊れてしまうというのに……


  ◇◇◇


「久しぶりね? サラ」

「はい。お久しぶりです、お嬢様」


 私がアスト様の元に嫁いでから二月が経過していた。

 近況報告もかねて、私はビクタニア家の本宅へと帰ってきていた。

 そこで待っていたのは、私の姿に変装したお嬢様だった


「お嬢さまはおかわりありませんか?」

「見ての通りよ? 自由に街を出歩いて、疲れたら屋敷に戻って一休み。侍女っていうのも案外楽で良いわね」

「そうですか」


 思ったよりも元気そうだ。

 私のフリをするのはお嬢さまにとって苦痛になると思っていたけど。

 意外とそうでもなかったらしい。

 お嬢さまは器用だし、世渡りも上手だ。

 私なんかが心配する必要もなかったことを、ホッとして良いのかどうか……


「サラのほうがどう? あの不愛想な男にさぞ退屈しているかしら?」

「いえそんな。アスト様はとてもお優しいお方です」

「へぇ~ そうなの? 意外ね」

「はい。大勢と接するのが苦手なだけで、私のこともちゃんと気遣ってくださいますし。私はとても――」


 しまった、と思った時には遅い。

 言い過ぎてしまったようだ。

 彼のことを話すのが嬉しくて、つい本音のままに褒めてしまった。

 するとどうだろう?

 お嬢さまが嬉しそうにニヤつく。


「そんなに良い人なら、私もちゃんと会っておきたいわね」

「そ、それはどういう……」

「言葉通りよ。明日には帰るのでしょう? その時はサラ、貴女じゃなくて私が行くわ」


 そう言われると思った。

 彼女の目からは期待が溢れていたから。

 大方、運命の人探しも行き詰っていたのだろう。


「楽しみだわ。もし理想的な男性なら、そのまま本当に貰われちゃいましょう」

「……わ、私は」

「貴女は今まで通りに戻るだけよ? 何も問題ないでしょう?」

「……はい」


 頷くしか出来ない。

 だって、こうなる日が来ることを私は知っていたから。

 身代わりの婚約者なんて長く続くはずもない。

 バレるのが先か、はたまたお嬢様の気が変わるのが先か。

 そんなところだろうとは思っていた。


 思ったよりも早かった……


 私がお嬢様に伝えた印象は事実だ。

 お嬢様も会えばきっとわかる。

 彼の不器用な優しさと、真面目さや一途さを。

 それを知ってしまえばお嬢さまだって惹かれるはず。

 正真正銘偽りなく、二人は婚約者に、やがて夫婦になるだろう。

 そこに私はいない。

 いてはいけない。

 だって私はお嬢様じゃなくて、ただの侍女なのだから。


  ◇◇◇


 お嬢さまがアスト様の元へ向かって二日。

 もうとっくに屋敷にはついているし、今頃仲睦まじく話しているのだろうか?

 私はというと、侍女としての生活に戻っただけだ。

 何も不自然じゃない。

 これが自然で、当たり前の生活。 

 なのに……


「あ……れ?」


 涙がこぼれてしまうんだ。

 アスト様とお嬢さまが結ばれる未来を想像したら、どうしようもなく胸が苦しくなる。

 我ながらなんてずうずうしいのだろうか。

 私に、その資格はないのに。

 それでも涙は止まらない。

 一日中、目を真っ赤に腫らせて仕事をする。

 

 一体いつになれば忘れられるだろう?

 忘れられる日が、訪れるのだろうか……


 そう思っていた時、予想も出来ないことが起こった。


「サラはいるかしら!」

「――え、お嬢様!?」


 アスト様の元にいるはずのお嬢さまが、屋敷の戸を開けたのだ。

 それも酷くお怒りになられながら。


「どうされたのですか?」

「どうもこうもないわ! 貴女の話は全部嘘だったじゃない!」

「え?」

「会った途端に無視よ? お帰りなさいの一言もない。それにいくら話しかけたって、今は忙しいの一点張り! 私が知ってる通りの冷血男じゃない!」


 怒りのままにお嬢さまは私に言い放つ。

 意味がわからなかった。

 私が知っているアスト様が、そんな振る舞いをされるはずがない。

 少なくとも私には優しく、温かく接してくれた。

 そんな彼がどうして……


「やっぱりあんな男に嫁ぐなんて絶対に無理だわ! サラ! 貴女が行きなさい!」

「よ、よろしいのですか?」

「私が行きたくないのよ! あんな男の所なんてこっちから願い下げだわ」

「あ、ありがとうございます」


 口から出たのは感謝だった。

 戻れるんだ。

 私はまた、アスト様の元へ。

 お嬢様は感謝を口にした私に呆れてしまっていたけど、そんなことはどうでも良かった。

 早く戻りたい。

 あの場所へ。

 アスト様の元へ。


  ◇◇◇


 そして――

 私は三日……いや四日ぶりにアスト様の屋敷に戻ってきた。

 

「ただいま戻りました」

「――ようやく帰ってきてくれたね」


 そんな私を出迎えてくれたのは、よく優しいアスト様の声だった。

 無視なんてされない。

 ちゃんと私を見て、私の声に合わせて話しかけてくれる。


「随分と遅かったね? 四日も留守にするなんて心配したよ」

「え……四日って」


 それはまさしく、私が不在だった期間。

 お嬢様が戻られていた期間を含まれていない。

 その言葉が意味するのは、すなわち……


「お気づきになられていたのですね」

「彼女本人ではないことか?」


 私はこくりと頷く。


「当然だろう? 髪の色は揃えたようだが、目の色がそのままだ。君があの時の侍女だということくらいわかったさ」

「ならどうして、指摘されなかったのですか? 事実を言えば婚約もなかったことにできたはずです」

「似た者同士に思ったからだよ」

「似た者……同士?」


 アスト様は気の抜けた笑みをこぼす。


「君も俺も、周囲の人間や環境に振り回され続けていた。俺はそれを煩わしいと思って、この場所で閉じこもっていた。君は振り回されながらも懸命に過ごしていた。努力していた。それがわかったから、君なら良いと思ったんだ」

「私ならって……」

「俺の隣を歩く人に、俺の婚約者になってほしい。そういう意味だよ」


 そう言って、彼は私の頬に触れる。

 私が気付かず流していた涙を拭うために。


「今日までよく頑張ったね。ここでは自由に、君の好きなように生きれば良い。誰かのためじゃなくて、自分の幸せのために生きるんだ」

「私が……侍女の私が、それを望んでも良いのでしょうか?」

「良いとも。少なくとも今は、俺の婚約者なんだ。我儘くらいは良い立場なんだぞ?」

「私は……お嬢様の代わりで……お嬢様じゃありません」

「知っているさ。だから君が良い。君がいてほしいと思ったんだよ」


 アスト様は私の涙を拭い、そのまま優しく、少しだけ強く抱きしめてくれた。

 私がお嬢様じゃないと知った上で、身代わりだと理解した上で。

 それでもお嬢様じゃなくて、私を選んでくれた。


 私を見てくれていた。


「アスト様……私で良いのですか?」

「君が良いと言っているだろう?」

「お嬢様じゃないのに」

「そうだね。君はリーゼじゃない。だから今から、君の名前を教えてくれないかな?」


 ああ、そうだった。

 私はまだ、一度も彼に名乗っていない。

 そして彼は一度も、私の名前を呼んでいない。

 待ってくれていたんだ。

 私が打ち明けるのを、私の口から名を聞ける時を。


「サラです。アスト様! 私の名前は、サラです」

「サラか。良い名前だ」

「ありがとう……ございます」

「こちらこそだよ。これからいろいろ大変だろうけど、よろしく頼むよ。サラ」

「……はい」


 誰かに振り回される日々はもう終わり。

 これからは、私として生きて行こう。

 私の幸せを、彼との幸せを、共に築いていこう。

 例えこの先にどんな困難が待っていようとも離れない。

 私は知っている。

 たぶん私だけが知っている。


 彼が――冷血公爵なんかじゃないことを。

 


最後までご愛読ありがとうございます。

一応これも連載候補短編です。


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― 新着の感想 ―
[一言] 連載と、リーゼの侍女ライフ満喫スピンオフとかも見てみたいです。
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