私が勇者を殺した
「犯人は理由をつけて勇者を呼び出したのだろう。二人きりで話したいと言えば、なんとでもなる」
正解だ。昨日、二人きりになった時に、この場所に彼を連れてきた。
「殺害時は、勇者の不意を衝き、奪った聖剣で奴に致命傷を与えた。婚約者と語らう時に帯剣するような男ではなかったからな」
正解。私の脳裏に昨夜の出来事が蘇る。ヘラルドの首を胴体から切り離した時、大量の血が、別棟広間の床にこぼれ落ちた……。
「生き返る見込みのないことを確認してから、療術で皮膚の傷跡だけを消したのだな。死んでもすぐに身体が変質するわけではない。肉や骨は修復できずとも、皮膚の傷を隠すだけなら可能だった」
しかし、ギルベルトの解除魔法で見破られたところを見ると、どうやら不完全だったようだ。やはり焦りがあったのだろう。
私には、もう反論を挟む余地はなかった。ただ黙って、彼の推理を聞くことしかできない。
「その後、本棟の自らの寝室へ戻り、翌朝、なに食わぬ顔で俺たちとともに勇者を捜索し、その死を悼んだ……これが、外傷のない死体をつくりあげた真相だ」
「ローズ! 嘘だと言ってくれ……」
「ごめんなさい。ランゲル。シーナも。
ギルベルトの言ったことは本当。ヘラルドを殺したのは、私ですの」
私は、皆から顔を背けるように、俯きがちに微笑んだ。
「どうしてだ……」
「俺にも、動機だけは分からなかった。今でも信じられないくらいだ」
殺気に満ちていたギルベルトにも、疲れの色が垣間見え出した。犯人の自供が得られた今、ほんのわずかに緊張の糸が緩んだのかもしれなかった。「本当はこんなことはしたくなかった」という彼の言葉は、案外、本心だったのか。心の底では、否定してくれるのを待っていたのかもしれない。
「もう隠し立てはできないようですわね。
……私の身には、魔王が宿ったのです」
「ローズ、そ、それって」
「なにを言っておるのだ! 魔王は儂らの手で討ち果たしたはずだ!」
「……まさか」
ギルベルトも、同じ考えにたどり着いたようだった。
「考えられうる限り、最悪の事態が起こったのです。魔王は消滅する寸前、相手の中に、今まさに実を結ぼうとしている小さな命の灯を見つけ、そして……」
「魔王は転生したのか! 貴様の腹の中、貴様と、ヘラルドの子に――」
それは、あまりにも残酷な可能性。
「そ、そんな!」
悲鳴が、虚しく反響した。死の匂いが強く立ちこめる空間に。
この空間で、昨日、私はヘラルドに告げたのだ。
『魔王があなたの子に転生した』
と。最終的にその言葉を信じた彼は、決意を固めたようだった。やむを得まい。母体ごと、魔王の生まれ変わりを殺す、と。
「ええ、ギルベルトのおっしゃった通りですわ。
魔王が倒された瞬間、私は言い様のない不安な感覚に襲われたのです。まるで身体が自分のものではなくなったような。吐き気のような気持ち悪さも感じました」
私はそっと、懐中に潜ませてある遺書の感触を確かめた。そこには、愛する男を殺めた哀れな女の懺悔が記されている。だがこうなってしまっては、もはや意味は成さないだろう。
音までもが息絶えてしまったかのような静かな世界に、罪の告白だけが響き渡る。
「皆さんが喜ぶ中、そんなことは言い出せませんでした。しかしヘラルドには見抜かれていたようです。夜、密かに彼に呼び出され、私は全てを告白しました」
「最初は殺す気なんてありませんでした。誓って! むしろ、私は心を決めていたのです。自ら命を絶とう、と。そして、どうせ死ぬなら、愛する者の手にかかって、その腕に抱かれて逝こうと」
「ですが、魔王の恐ろしさを見誤っていました! 魔王は、私の考えなど全てお見通しだったのでしょう」
「告白を終えた直後から、私の記憶は途切れています。次に目が覚めて最初に見たのは、血に濡れた両手、そして……ああ! すでに彼の首を刎ねた後だったのです!」
「恐ろしき魔王! 憎き魔王! 奴はお腹の中で急速に育ち、すでに私の意識を乗っ取るほどになっていたのです! 私は絶望しながらも、すぐさまヘラルドに療術を施しました」
「なんとか彼を蘇らせようとしました。首を繋げ、必死に回復魔法をかけ続けました。首は繋がり、皮膚も綺麗になりましたが、命の糸を繋ぐことは、ついに叶いませんでした……」
「私の脳裏に、恐ろしい考えが去来しました。もう後戻りはできない。愛する人をこの手にかけてしまったからには。だから、私はあのような偽装を施したのです。刀の血を拭き取り、彼の顔に穢れの印を焼き付けました」
「おかしなものですね。もう死んでもいいと思っていましたのに。考えは変わっていました」
「それが母になるということなのかもしれません。守るものができたのです」
そこで、いったん言葉を切る。一瞬の、不気味な沈黙は、察しのいい魔導士の顔を蒼白にするには十分だった。
「おい、ローズ。貴様――」
「わたくしにはァア! 守るべきものがあるゥ! たとえ魔の道に墜ちようと……彼との愛の結晶である、この子だけは! なんとしても守り抜きまァす! 魔王が宿っていようと、この先、何人殺すことになろうともオォォ!」
ただ事ではない様子に、すかさずランゲルは距離を詰めようとした。しかしそれは叶わず、その場に崩れ落ちてしまう。
「ぬう……」
「左脚、また離れちゃったでしょォオ? よかったあ、まだ完全にはくっつけないでおいて」
「貴様! 最初からこうするつもりだったのか!」
そう言ったギルベルトの顔の痣も、見る間に発赤し、熱を帯びていく。次の瞬間、がは、と鮮やかな血を床にまき散らした。二人にかけられた解除魔法の効果が、如実に現れ始めたのだ。
「ローズ、や、やめて!」
「しいなあ~♡ 貴方は本当にお優しい方でしたわねェ。あのお薬のおかげで悪阻もましになりましたしィ。
――アナタハサイゴニシテアゲマスワ」
まさに狂気の沙汰。いっそ清々しい!
「私が勇者を殺した!
この子は次の魔王になるかもしれない! でも!! ヘラルドと私の子でもある! もし私が魔の道に墜ちたとしても、この子が私を殺してくれる!
だから、ヘラルド!
許して……」
私は静かに聖剣を構える。今やギルベルトは絶望に犯されていた。
「ランゲルも後でちゃんと、痛みから解放してあげますからね~。まずはギルベルト、貴方から――」
そして私は、大太刀を一閃させた。頭部が身体に永遠の別れを告げ、私の足首に優しくキスをした。一瞬遅れて、真っ赤な血潮が辺りを朱に染め上げる。
「あっ、あっ」
ギルベルトの喉は痙攣して、不気味な音を奏でた。
「シっ、シっ」
私は屈み込み、赤子を慈しむように、ローズの頭をかき抱いた。それから、すっかり短くなってしまった深紅の髪を整えてあげる。
よかったね。あなたの最愛の人も、背後から首を刎ねられたのよ。
「シ、シーナ、お前……」
目の前で一人の人間が惨殺体となるのを目撃したギルベルトは、息も絶え絶えに、それだけの言葉を吐き出した。私は立ち上がって、惨めな人間を見下ろした。
「ごめんなさい。でも、こうしないと。わ、私たちがどれほどの犠牲を払って、魔王を倒したか。万が一にも、禍根を残してはならない。
魔王の最後の足掻きは、ここで絶つ!」
ずぶり。
まだ膨らみかけてもいないお腹に、私は聖剣を突き立てる。命の芽を摘むことに、少しも抵抗がないわけではなかった。なぜなら魔王が転生したなどというのは、ただの暗示なのだから。
「貴様なにをする! なにもそこまで!!」
「仕方あるまい。魔王にとどめを刺し損ねた結果が、このザマなのだ」
ランゲルは自らを責めるように項垂れた。ギルベルトは、力が抜け切ってしまったかのように、天を仰いでいる。
「姫……」
ふぅ、これで一安心。計画は思わぬ形に変わってしまったけど、概ね成功だろう。後は今持っている、ローズの筆跡を真似て書いた遺書を上手く処分するだけだ。
ここまでの道のりは、長かった。
懐妊を知った時、これを利用しない手はないと思った。愛する人と確かな絆で結ばれた喜びと、自らが変質していく不安との合間で、心は揺れ動く。すぐ目の前には魔王との決戦も控えている。非常に、暗示をかけやすい状態だ。しかも、パーティーの中で女の悩みを打ち明けられる相手は私だけ。パーティーメンバー選考の時に、候補になりそうな女を消しておいた甲斐があったというものだ。
魔王戦の後、昼間にヘラルドと二人っきりで別棟の捜索をした時に、魔王が転生したなどと言う嘘を吐いた。彼は確かに魔王を滅ぼした実感を得ていたはずだが、同時に私がこんな思惑を抱えているとも思わなかっただろう。なによりヘラルドは万が一を恐れた。もし本当に魔王が生き延びていたら。魂が過剰反応を示したことだろう。魔王に対する並々ならぬ殺意こそ、勇者たり得る資格なのである。
『直接ローズに訊いてみて』
私は囁いた。その時にはヘラルドは決意を固めていた。本棟にいる三人に聞こえるはずもないのに、殊更に声を落として、こう囁き返したのだ。
『シーナ。手伝ってくれるよな?』
ギルベルトとランゲルに計画を伏せたのは、彼らは消耗が激しかったこと、そして本人に気取られないようにするためだった。
そして深夜、ヘラルドはローズを別棟に呼び出した。私はその時、広間の柱の陰に潜んでいた。眠り薬が効き、ローズが床に崩れ落ちたタイミングで、私は聖剣を取り、狼狽する勇者を背後から切り捨てた。他の三人が眠る中――ギルベルトとランゲルがそれぞれ自室で身心を休め、ローズがすぐそばで眠りこける中、殺人は果たされた。
あとはローズの出方次第。隠蔽工作をするのは想定内だったけど、まさかここまで壊れるとは、ふふっ、想定外だった。
ダメ。笑っちゃダメ。全てが、ふっ、んふっ、台無しになる。
私は下唇を必死で噛みながら、遺体に目をやった。その時、私は初めて知った。乱れたスカートの裾から覗く、温もりの失われつつある白い足。そのふくらはぎに、ヘラルドに付いていたのと同じ、樹形の火傷があったのだ。すん。彼女がどんな想いでその痛みに耐えたのかを思うと、不謹慎な笑いの波は、ぱったり収まった。
――せめて来世では、愛する人と天寿を全うできますように。
私は密かに祈ってから、ふふふっ、演技を、再開したっwww。
「ギルベルト、だ、大丈夫よ。ローズの治療は確かだった。少し呪いがぶり返しただけ。ランゲルもすぐに手当てするからね」
私の薬でも、命を助けるだけなら十分だろう。だが、放心したギルベルトの瞳は、もうなにも映してはいない。この様子では現場復帰も叶うまい。
パーティーに加わった時から、私の目的ははっきりしていた。一つは魔王の討伐。そしてもう一つは、ギルベルトの言った通りだ。
ランゲルはすでに闘う気力は残っていなかったようだが、私は違う。エルフとして、亜人として、新たな脅威を取り除かなければならない。
それは人間だ。彼らは必ず、第二の魔王となりえる。
人間は、誰しもが心に闇を飼っている。邪悪な心に呑まれた者がなにをしでかすか。私は、私の血族は、亜人は、身を以て知っていた。血に刻まれていた。
あれはもう駄目だ。放っておいてもいつかは滅びるだろうが、それまで他の種族が害されるのを、黙って見過ごすわけにはいかない。
だから先手を打つ。守るべきもののために。
この、シーナ=ブランが。
私が勇者を殺した。
『The murder of Brave Herald』 完