追憶
アランと会った後、アンジーが気がかりでテキストを送ったが返事がなかった。
いつもすぐに返事がくるのに。
きっと僕にも触られたくない、深い悲しみの底にいるのかもしれない。
そんなことを考えながら眠りに落ち、朝になった。
まだ返事は来ていなかった。その日は、僕はクラブAG4で夜、DJが入っていた。
僕自身も、少し変わらなくてはと感じていた。自分の気持ちと、聴衆の気持ちをまとめ上げて、アップさせていく、これまでのやり方は高揚感はあるが、その次の何かを探していた。
コーヒーを淹れ、軽いジャズを聴きながら、僕がこの世界に来た時のことを思い出していた。
あの日のこと、
ここで、過去は語らない。僕はアンジーをすごく愛していたが、僕の世界と彼女の世界は、天国と地獄くらいかけ離れていた。生まれながらの運命から逃れるすべは、僕には見当たらなかった。
だから、彼女との未来、彼女を僕の世界に住まわせるわけにはいかなかった。もし彼女を愛しているなら別れるべきだと思った。
「アンジー、君と僕とは住む世界が違う。君は天使のように、僕の心の闇に光をともしてくれたけど、どんなに君を愛していても、君を僕の世界に住まわせるわけにはいかない。僕は君をあきらめる。この恋は、初めてで最後の恋だ。さよなら、アンジー。僕は君と別れる。君は、君の美しい世界に帰るべきだ。」
アンジーは僕を真剣に見つめて言った。
「カイ、あなたの愛は真実よね。」
「それは、はっきり言える。アンジー、君を心から愛している、でもこれで終わりにしよう。」
僕は、そう言って彼女から走り去ろうとした。僕の背中に向けて、彼女は強い、はっきりした声で言った。
「カイ、あなたは変われるわ。」
「無理だよ。今までだって努力したけど、もがいたけど、この世界がそうさせてくれない。」
「カイ、私の世界に住まない?その愛が真実なら、過去を捨てて私の世界に来ない?」
「ああ、僕がどんなにそれを望んでるか、、でも現実、無理なんだ、そんなこと。」
彼女は言った。
「現実なんか信じないで、あなたは、過去と共に死んだらいい。」
振り返ると、彼女は手元に拳銃を(そう見えたが)持っていた。
「ねえ、カイ、私のために、愛のために、死ねる?」
僕は彼女に寄り添い、固く抱きしめた。
「ああ、死ねる。だって僕の過去なんて、悲しい、空しいだけの人生だった。君を愛して死ぬこと出来るよ。ああ、アンジーすごく愛してる。」
僕は、アンジーに口づけした。そして彼女は拳銃を引いた。魔法の拳銃を。
その後、ドラッグ中毒者みたいな朦朧とした意識のまま、僕たちはともに旅をした。飛行機にのって、雲の上を渡ったような気がする。
はっきりと目覚めたのは、光が快く入る、白い壁のこぎれいなアパートメントのベッドの上だった。新しいシーツのいい匂いがした。
アンジーの優しく微笑む顔が見えた。
「アンジー、ここは天国?君は天使だったの?」
「カイ、やっと私の世界に着いたわよ。天国はまだ早いわよ。」
「ここはどこ?」
「ロンドンよ。次元も違うわ。あなたは過去を捨てたのよね、愛を取って。もう一度聞くわ。本当にそれでいいのね?」
「僕は死んだんじゃないの?」
「過去のカイは死んだのよ。過去を忘れて生きられる?」
「僕はまだ生きてるんだ?ああ、僕は君を取った。君の世界で生きることを誓うよ。僕は君を一生愛し続けるために、過去の自分を葬った。愛している、アンジー。」
彼女は爽やかに微笑んでいった。
「よかったわ。じゃ私の世界に生きる条件を言うわね。これをしてもらわないと、私の愛は保証しないから。」
「なんでも言って、僕は従う。君を愛し続けられるなら。」
「まず、過去について語らない。記憶から消すの。そのために、新しい人生に挑戦してね。」
「わかった。まさか記憶消去手術とか?」
「違うわよ。そんなの自分の意志でやってよね。私、ここの音楽業界で生きてるの。この世界でやっていこうね。そうすれば、カイが独り立ちするまで、面倒見れるわ。」
「音楽は好きだよ。でも楽器も歌もだめだけど。シンセサイザーとDJは好きだ。」
「十分よ。そして、私はあなたが自立できるように、仕事をあげるから、挑戦してね。努力してね。あなたに出来ることしか頼まないから。」
死んでいないらしい。腹を探ってみたが傷跡はなかった。あれは幻覚だったのだろうか?
「オーケー。でも自立とか独り立ちとか、出来たときは君はいってしまうという意味?」
「愛については、そんなに固定するものではないでしょ。変化するものよ。お互い次第でしょ。」
「いや、僕は永遠の愛を君に誓うよ、アンジー。」
アンジーはこれについては返事をしなかった。
「そして、あなたをこれからカイルと呼ぶわ。いつもあなたが変わったことを自分で意識するために。」
「カイルか、いいよ。」
「それから、あなたが、ギブアップしたくなったら、ご自由にどうぞ。私はあなたを縛らない。あなたが、私の世界に生きたいというから、こちらに連れてきた。あなたのその言葉を信じて。私の愛を信じてね。」
「ギブアップしないと誓う、愛にかけて。」
彼女は微笑んだ。
「カイル、Welcome to my world! 私の会社にスカウトするわ、しばらくは私の秘書、その後音楽プロデューサーが合うんじゃないかな。頑張ってね。生活費は自分で稼いでよ。」
「ねえ、アンジー、君は僕に何をしたの?天国じゃなければ、僕はどうしてここに、君の美しい世界に来れたの?僕にはよくわからない」
彼女は神秘的な微笑みを浮かべた。
「魔法をかけたのよ。あなたが望んだから、そうなったのよ。あなたの意志の力を借りて。」
「君は魔女?それとも妖精?」
「妖精の方が可愛いわね。この世界を信じて頂戴。それがコツよ。望めば、努力すれば、かなう世界だって。」
「僕の過去とは違うんだね。」
彼女は厳しい顔で首を振った。
「もう、思い出さないこと。思い出すと、過去に引っ張られてしまうから。約束よ。」
「わかった。それから、この魔法はいつ解けるの?」
「自分があきらめるまでは解けないのよ。あきらめたとき、この世界は崩れ落ちて、闇の世界に沈む、あなたがね。私は見えなくなる。」
「まるでファンタジーじゃないか?」
「だから、あなたは望んでこちらの世界にきたのよ。」
「よくわからないけど、君と一緒にいられるなら、それでいい。」
「もう一つ、言っとくわ。私は一人の男を愛さないことにしているの。」
「えっ、それどういう意味?」
彼女は謎めいた笑み浮かべて、僕を見つめた。
「妖精は、一人の人間の男を愛せないのよ、掟なの。」
「そうか、それは納得いかないけれど、アンジー、今僕を愛してる?」
「ええ、愛してるわ。それでなければこんなこと、あなたのためにやらないわよ。信じて。」
「ありがとう。僕は決めた。君の世界で生きていく。誓うよ。愛については、僕が努力する。」
彼女は笑った。
「カイル、おなかすいたでしょ。なんか食べに行かない?」
「そういえば、この世界にはどんな食べ物があるの?」
「それに関しては、同じよ。ファンタジーは心の世界だからね。」
僕は彼女と固く抱擁して、揃えられていたこぎれいな服を着て朝食にでかけた。
そういう風に、僕の新しい人生が始まったのだった。