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随筆

尾崎豊悶死考 事実は歌詞より奇なり。

作者: 無機名

「人は、その才質や技能というほんのわずかな突起物に引きずられて、思わぬ世間歩きをさせられてしまう」司馬遼太郎


「尾崎豊なんざ大したことはない――」


 友人に、こんなことを聞かされた覚えがある。話題を振られたのはいつの事だったか……前後の流れは覚えていないが、確かそれは10と数年以上前、聞いたのは私が15の前後の時分だった。

 尾崎豊は私が中学時代を過ごした街に一時期、住んでいたそうだし、彼はいち時代を築いた人物だ。


『盗んだバイクで走り出す』【15の夜】

『夜の校舎 窓ガラス壊してまわった』【卒業】


 こんな大人・体制・社会への不信、反抗を歌った、ミュージシャンである尾崎豊。

 彼の歌から影響を受けた者が多々いたらしい。今でも漫画などで、その楽曲は時折ネタにされている。それを『大したことはない』と友人は言った。恐れ入る。

 しかしあの時、友人が続けて言ったことは、思考が停止するほど驚いたものだ。


「――オレの親父は、学校の廊下をオートバイで走り、金属バット持って、窓ガラスを割っていた」


 ……なんとも、上に挙げた楽曲の内容を足した話だ。しかもガラスを割ったのは夜ではない。真っ昼間のことだったようだ。

 当時の私は(話の半分が色々と盛った冗談、半分が尾崎に対する対抗心だろう)そんなことを思いながら聞いていたはずだが、先年に出版された、ある本の帯を見て驚いた。


『「日本1の荒れる学校」だった。窓ガラスはなく、天井には穴、トイレにはドアがない、オートバイで3階廊下を走る!…』【引用元:不詳】


 どうやら、友人の話は事実だったようだ。

 当時校内に蔓延る非行は詳しく本に載っているのだが、友人の言う非行は表紙の帯程度。読み進め、深く知ればそれどころではない。また、三面記事にも載ったようだ。書いていいとは思えない内容だ。それでもあえて言い表すなら、ソドム……悪徳の巣窟だった。

 どうやら過去、私の母校は"修羅の国"と評するなど生ぬるいほどのトンデモだったようだ。そこには時代に影響を与えた尾崎の代表曲を混ぜて倍にしたような過激な非行があった。


(それにしても記憶する限り、あの学校の階段は、ずいぶんな急勾配だったと憶えているが、どうやってオートバイを3階まで運んだのか気になる)


 そんな有様を嘆いた方々は多々おられたようで、有名どころでは【はだしのゲン】の著者:中沢啓治先生が公演をされたそうだ。かの著作に、学校の卒業式で教職員が不良に仕返しとしてリンチされる話があったが、おそらくそれは母校が荒れるきっかけの事件から着想を得たのだと思う。連載時期と荒れていた時期が合っているから……。

 尤も、それもこれも40年ほども前『日本一荒れる学校』『校内暴力発祥地』あるいは『(校舎は)廃墟の様相』などと言われたのは過去の話。


 私が通っていた頃も、今も、落ち着いている。スポーツもまた盛んだ。学校の近くを通りかかれば、“関東大会”“全国大会”と垂れ幕、横断幕が並んでいる。


 だからこそ、友人の話を聞いた時、私はまるで信じていなかった。

 もっと言えば、その友人は趣味仲間であり、話題に上がった彼の父親には共通の趣味のために早起きをしていただき、丸一日を頂いた事がある。そこにはかつて非行を行っていたなどという気配は到底なく、子のワガママに苦笑して付き合う良き父親の姿があったから……。

 重ねて言う。当時、私は、友人の言うことは、ほら話だと思っていた。




 ともかく、話を尾崎豊に戻そう。彼は小学5,6年の時に転校先でいじめに逢い、中学を越境入学している。その越境入学の理由は十中八九、ほぼ間違いなく『日本一荒れた学校』から逃れるためだろう。

 彼が進学する時期、通うだろう中学校は、まさしく荒れ放題だった。先に書いたように『日本一荒れる学校』である。どうして小学校でいじめを受けていた者が、いじめっ子たちの親分達が跋扈する鬼ヶ島に向かえるものか。


 私だって母校が荒れた学校のままだったならば、遠慮なく越境入学、あるいは私立学校へ進学することで逃れたことだろう。

 ならば、なるほど。

 尾崎豊とは、世間で言われるような非常識な反抗のアンチヒーローなどではなく、普通の常識人であるということだ。


 私はここに疑問を覚える。


 何故、尾崎豊は危険地帯から逃れることを選べる、健全、まっとうな常識人でありながら、高校では逃げた中学校で起きていた非行を真似るようなことを行い、退学した後、ミュージシャンとして非行を元ネタで詩を綴ったのだろうか?……と。

 おそらく、恐れながらも憧れていたのではないだろうか。……ここに彼の不幸があると私は考える。


 彼自身から見れば、あるいは逃げた弱虫であることを知っている者からすれば、所詮その有り様は模倣。イミテーションでしか無い。忌憚なく言えば半端者と言える。

 けれども、世間は彼を先駆者、インフルエンサー、代表者、スター、あるいはアイドルとして扱いあがめた。

 訂正しようとしなかったのか?――いや、晩年の楽曲は、訂正をしようとしていたのを伺える。より善く、人のためになる、それを目指したのを伺える歌詞が多い。


 しかし何故、それでも、あんな最期になったか……。長く悩んだ疑問だった。


 それにヒントを与えてくれた文豪がいた。坂口安吾だ。

 安吾の友人である太宰治。彼の自殺後、安吾が書いた、太宰の追悼文である【不良少年とキリスト】そこに描かれた太宰治像が、尾崎豊に似通っていると思える。


『太宰は(中略)世間的な善行でもなんでも、必死に工夫して、よい人間になりたかった筈だ。

 それをさせなかったものは、もろもろの彼の虚弱だ。そして彼は現世のファンに迎合し、歴史の中のM・マイ・コメジアンにならずに、ファンだけのためのM・Cになった。』【不良少年とキリスト】

『不良少年は負けたくないのである。なんとかして、偉く見せたい。(中略)不良少年だった妙テコリンの出来損いが、千々に乱れて、とうとう、やりやがったのである。』【同上】

『(太宰は)不良少年の中でも、特別、弱虫、泣き虫小僧であったのである。』【同上】


 抜粋したモノの“太宰”という部分を“尾崎”に入れ替えてしまえば、そして細かい単語部分を変えれば、それで済んでしまう気がしてしまう。恐ろしいほど洞察力に満ちた文章だ。

 しかし、抜粋だけではなんとも味気のない話。だから、私自身の言葉を綴ろう。


 仮に尾崎豊が中学時代をまっとう(?)真っ逆さまな堕落と不良と非行をしていたならば「ええ、そんなこともありましたねぇ……まぁ、忘れて下さいな」などと、苦笑いしながら済ませたはずである。

 けれども、他人を見本としてやっていたことが、逃げた場所で有ったことが、いつの間にか自身が先駆者・代表者と認識されてしまった。

 逃げ出して、他所で真似をした半端者なのに祀られてしまった。そこにやましさを感じながらも、困惑しながら誇る。後ろめたさがあるから捨てようとしながらも、称賛と誇るものが有るから捨てられない。そんな赤面逆上的な混乱。


 だからきっと尾崎は「さぁ、不良らしく振るまえ」と求められれば

(オレは……アイツラほどじゃないんだ)

 そんなことを思いながらも、半端者で在ることを隠そうと意地を張り「やらいでか!!」と言わんばかりに、より過激に、より目立つように振る舞ってしまう。そして、自責や追悔に苛まれ後悔したはずだ。

 それならば誤謬を訂正すればいいだろうに、やはり坂口安吾が綴ったような、なんとか自分を偉く見せたいという見栄。

 "特別、弱虫、泣き虫小僧の不良少年"たる意地の妨げ、訂正出来ない様々な葛藤からの発狂状態があの末路を招いたのだろう。


 その死を自殺、あるいは他殺と論じる気はない。

 ただ、尾崎豊の死とは、とりまく環境、本人の意地に付随する悶絶、様々なモノが不幸にも悪く折り重なってしまったが故の結末と言いたい。


 不思議な話だ。少し前、同じ時期・年代に突き抜けてワルをしていた者達は、誤ちと向き合い、過去と決別し、愚かしさを捨て、世間で言えば更生し、まっとうな生活を営んでいる。

 一方で正常性と常識を持ちながらも、抱く憧れから中途半端にワルを行い、ソレに魅せられたファン……信者と呼ぶもの……あるいは世の中。

 それらに演じることを求められた尾崎は、周囲に囚われ、様々な呵責に悩んだ挙げ句、悶絶して死んでしまった。なんだか、やりきれない。皮肉だ。


 どうすれば尾崎はもっと長生き出来ただろうか……。

 認めてしまえば良かったのではないだろうか?「自分は逃げた場所にあったモノを真似しただけだ。大したことはない」――と。そうすれば、もっと良いモノを世に遺せたのではなかろうか。

 尾崎は知っていたかもしれないが、もっと深く、似通った先達である太宰治の素顔を知っていたら、それを指摘した坂口安吾の文学に出会っていたら……そう思わずにはいられない。

 尤も、認めても、指摘されたら、むしろ赤面逆上して、大暴れして、やはり死んでしまったかもしれない。

 確かめるすべは無い。これはすべて仮定の話だ。


 死から25年以上。

 そろそろ尾崎豊という人物は、道を外れたバカな不良ではなく、己自身と他者との対比、自覚する半端者だからこそ様々に悩む、まっとうな常識人だった。

 そう――認識を改め、彼が望んでいないだろう"不良"というくびきから解放するべきでは……?


 これは、今の私が知ることからの勝手な想像、考察、頭の中でこしらえたモノ。知ることが増えれば、この考えは変わるかもしれない。

 これは、尾崎豊の死のきっかけの根にある要因、それはこういうものではないか。こう思えると述べた珍説の一つ。それだけ。



 蛇足


 書いていてふと思った。世間では「鬱だ」と落ち込む者が多いが、その原因は尾崎と似たようなことではないかと思えてきた。

 もっと言えば、尾崎の様な行動をする者が増えたように思う。


 失敗を許されぬ中、仮面をかぶる中で素直に在れずにいる。そんな息苦しさ、思いもよらない己自身の縛りからくる苦しさに苦しんだ挙げ句、心がボロボロになってしまう。


 あるいは、注目を得ようと、バカなことをおおっぴらにやって見せ、もっと……もっとと求められ、やっているうちに取り返しがつかないことに成る。

 例えばYouTuberなど"まさに"と思うが、どうだろうか?

 そう思うと、YouTuberに成りたいという話をアンケートなどで見ると、正気を疑ってしまう。(有名になって、戻れなくなってしまってもいいのか?)……と。


 世の中は生きづらい。今は尚更だ。

 周囲のイメージ、レッテル、印象に怯えるか。それらに引きづられ、周囲が望むようにを演じる中で物狂いに落ちて野垂れ死に。そんなことをしてしまった者がいるのだから。それに続こうというものがいるのだから、なんだか遣る瀬無い。

 要点。

 尾崎が逃げただろう場所で起きてたことを見ると、彼は大したことはない。彼のイメージを作ったモノは、逃げた者が行う半端なものまねだ。

 けれども、知らない者達にカリスマ、神格化されて、それに流されてしまった。そしてエスカレートして尾崎は死んでしまった。

 過去に似たような人がいた。太宰治だ。坂口安吾が指摘している。

 有名となり、祀り上げられながら、半端と自覚していたものは死んだ。一方で突き抜けてワルを行ったものの、無名の者達は更生している。不思議なものだ。

 蛇足:今の世の中、尾崎と似たようなことをする者(YouTuberとか)が増えた。あるいは、そう扱われるのに怯えて息苦しい世になった。生きづらい。



 ……ああ、それにしても、オリジナルなモノって書けない……自身が出来るのは、世の中にある1を幾つかかき集めて、それを膨らまして10、20にする……過去を収集して紡ぐ程度。

 こんなのしか書けないから、書くといつも、うだうだで、グズグズ……どんどん落ち込む。

 1を100以上にして物語を綴るなど無理難題。どんな短編さえ、いちいちキャラクターの細部まで、その周辺環境までも、あーだこーだと考えるものだから、まるで出来ない。OTZ

 解説とか批評・考察が私は精一杯。非才極まりない。(´・ω・`)


 最後に……書いてある非行を真似なんてしちゃダメ絶対。(そもそも、不良はこんなの読まないか……な)

 ここまで読んでいただいて幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 的確に分析されていて、自分が尾崎豊に感じた違和感に説明がつきました。ありがとうございました。(*^_^*) [一言] 最近ひょんなことから、尾崎豊に興味を持ちました。 そして、随分前に投稿…
[良い点]  「失敗が許されない中で、仮面をかぶることを強制され、その息苦しさに抗って心がボロボロになってしまう」。そういったことを私は常に書きたいと思っているので、この作品はとても興味深かったです。…
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