2話 野球はこれだから最高だ
退院は2日後であった。
いきなり野球をしたいなどと言い出しても不審がられると思ったので、まずは野球を好きになり、やりたいと思ったきっかけをつくろうと考えた。
いつも「俺」は、家で家庭教師の教えを受け、ピアノ、ヴァイオリンを習っていた。
その生活は、思い描くような裕福な家の子供の生活そのものだった。
それは全然構わない。今はまだ、だが。
俺が野球を始める1番の難関は、両親の説得だろう。上手く行けばいいのだが...
とにかく、きっかけを見つけなくてはならない。
そう言えば、家庭教師は、父さんの親戚にあたる人らしいな。
まずは、家庭教師にさり気なくスポーツの話題を振り、野球にどんな印象を持っているかを知ろう。
思い立ったが吉日、早速家庭教師の教えを受けているときに、スポーツの話題にさり気なく持っていくことにした。
家庭教師は女性の人で、30代後半らしいがとてもそうは見えないほど綺麗な人だった。明るい茶髪をポニーテールにしていて、それがすごく似合っていた。
「そう言えば先生は、何かスポーツはやっていたのですか?」
さり気なく、と思っていたが、意外とストレートに話題を変えてしまった。
「スポーツ?......そうね、テニスをやっていましたよ。でも、それがどうかしましたか?」
「あ、いえ、その......スポーツに興味がありまして、学校でその話題が出たんです。」
とりあえず学校で話題が出たと言えば納得してもらえるだろうと思い、そう言う。
「そうですのね。和宏くんはどのスポーツに興味がありますの?」
優しい笑顔で俺にそう聞いてきた。その問いに俺は内心で、来た!と思いながらも、冷静を保ちつつ返答した。
「はい、野球、というスポーツです。」
そう言うとその家庭教師は驚いた顔をしていた。だが、その後すぐにもとの優しい笑顔に戻った。
「野球、ですか。またどうして、野球に興味を?」
先生のもっともな疑問に、俺は用意していた回答をする。
「はい、学校の友人が、プロ野球の試合を見に行ったと言っていたのですが、その時の話を聞いていて、物凄く興味が湧いたんです。」
模範解答ではなかろうか、と思いながら先生の次の言葉を待っていた。
「そうなんですか。では和宏くんも野球を観てみたい、ということですか?」
「はい!是非1度は観てみたいものです。今度父さんに話してみようと思ってます。」
「それは良いですね。」
こうして両親に、俺が野球に興味を持っている事を知られるだろう。
そうして、今日の晩御飯の時にその話題をだし、両親に野球を観にいきたいとせがむのが俺のプランだ。家庭教師とこの話をしたのは、この家がスポーツ、もとい野球にどんなイメージを持っているか知りたかったからである。少なくとも家庭教師に悪い印象は無さそうである。
早速両親に野球の試合を観たいとせがんだところ、快く承諾してくれたのだ。
そして日は流れ、野球の試合を観る当日になった。
観に行くのは父さんと俺の二人でだ。母さんは用事があるようで来ていない。
「和宏、楽しみか?」
父さんが俺に聞いてくる。
俺は久しぶりの野球場で、感激していた。
人で埋め尽くされたスタンド、明るくチーム名と選手名、審判の名前などを映す電光掲示板、それにさっきまでやっていた守備練習、シートノックを観ていて既に気分が高揚していた。
そのせいで俺は答えるのに少し遅れてしまった。
「.........あ、はい。とても楽しみです。」
そう答えた俺に対して父さんは軽く微笑むと、俺の頭を優しく撫で回した。
「そうか、なら楽しんでいけよ。」
もちろんそのつもりだとも!と、心の中で返答し、そして始まる試合に胸を躍らせた。
その試合は、どちらかというと投手戦で、7回までは1:1と拮抗していた。
しかし、8回表にピッチャーのフォアボールと、1本のヒットを許し、ランナー1、2塁の場面で、5番バッターがホームラン、一気に点差を付けられた。
そして、その後は八回裏、9回表と、得点は両チーム無く、迎えた9回裏。
この回は8番から始まる打線。まだ勝負は分からない。
ピッチャーをする選手は、8回から投げていて、印象としては、剛腕、に尽きる。
ストレートのスピードは平均155km/hで、オマケに130km/hの速さで曲がるスライダーという持ち球もある。
8番、9番はあえなくアウトになり、ツーアウト。ランナーは無し。
先攻側のスタンドからはあと1人、あと1人というコールが響いてくる。
俺もこれは試合が決まったか、と思った。
だが、1番バッターはそのストレートだけに狙いを絞っていたようで、時速154kmのストレートをレフト前ヒットにした。
さらに続いて2番は堅実に送りバントをしてランナーは2塁に進む。
三番バッターはセンター前ヒット。スライダーを巧みに利用したリードに負けず、何とか食らいついた末のヒットだった。
こうしてランナーは1、3塁。
そして4番はバットの先っぽに当ててしまい、ボテボテのサードゴロになりそうだったが、ファールと勘違いしたキャッチャーの指示に従ったところ、ボールがライン上に止まってしまい、ランナー満塁となった。
そして迎えるのは、唯一の1点を取った、今試合唯一のホームランバッター、5番の選手。
俺は、この少しテンプレではあるが熱い展開に心が高揚していた。
そう、これだ、この最後まで勝負が分からない感じ、口には出来ないこの心の高揚感、これが野球なんだ!、そう思った。
ピッチャーはピンチに強くなるのか、ストレートの速さも、スライダーのキレも増していたような気がした。
対する5番バッターも負けずに食らいついていた。
そして、迎えた第9球目。カウントはスリーボール、ツーストライク。
ピッチャーが選んだのはストレートだ。その速さもキレも今までのどのストレートより上だと分かる、そんな1球。
バットはその球に吸い付かれるように振り抜かれ、気が付けば電光掲示板に球がぶつかっていた。
一瞬、スタンドが静かになったかと思えば、一斉に後攻側のスタンドから大歓声が湧いた。
俺はこの瞬間、改めて思った、野球は.........最高のスポーツだ、と。
父さんもこの展開には感激していたようで、手を強く握りしめていた。
「和宏、楽しかったか。」
父さんは俺にそう聞いてくる。
「うん、最高に楽しかったよ。」
俺はそう返す。そして、続けてこうも言う。
「父さん、俺、野球がしたい。」
そう言う俺に、父さんは笑顔で頷いたのだった。