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 「お父さんはね、もしサルが、少しでもカニが柿の木を育てるのの手伝いをしようとしていたら、そこまで悪く言う気は無いんだ。……いや、手伝うのがほんの少しだけだったら、やっぱり言っちゃうかな? 土を耕し、水を運び、雑草を抜く。これを毎日続けるんだぞ?」


 おねえちゃんは「大変そうだね。サルはその事から逃げたんだね。」と同意を示し、サルの身勝手さにいきどおりを新たにする。

 それを受けてリサも「どれくらい続けなくちゃいけないの?」と、以後カニが拘束される労働期間を心配する。


 「そうだねぇ『桃栗三年柿八年』ってことわざがある。種を植えてから実がなるまでに、桃や栗は三年、柿は八年かかるっていう意味なんだけどね。……これには、『成果を得ようと思えば、その経過には相応の時間や手間が不可欠だ』っていう意味合いもあるんだが、そんなヤヤコシイ事は脇に置いておいて、諺の言葉だけを見てみると、カニは八年間働かないと、柿の実が手に入らないって事になるんだ。」


 「八年って、どれくらい長いの?」

 この春に五歳になったばかりのリサが、こんな事を言い出す。考えてみれば、リサは生まれてかた、最長で5年間という時間経緯しか経験した事が無いのだから、8年間という未知の時間推移は想像しにくくても不思議はない。


 私がどのように説明しようかと頭を悩ませていたら

 「馬鹿だねリサは。8年は8年だよ。365日の8倍で2,920日。うるう年が2回あるから、足す2で、2,922日だよ。朝から夜が2,922回有るって考えるんだよ。」

と、おねえちゃんが数学的に(あるいは散文的に)明確な回答を行った。

 けれども妹は「おねえちゃん、朝から夜が2,922回って言われても、よく分かんないよ!」と申し立てる。まあ、そうだろうな。


 「リサ、じゃあ、こう考えてみたらどうだろう。八年間というのは、リサが生まれてから小学校の二年生になるまでの間なんだよ。」取りあえず私は、彼女が想像出来そうな表現に変えてみる。

 「パパ、それって、ずっと先だよ?」

 何とかリサにもイメージ出来る表現だったようだ。

 「そうだねぇ。とても長い間の事だよね。」


 「でも、そんなに長い間、何も食べなかったら死んじゃうよ? ダイオウグソクムシだって、ずっと何も食べなかったら死んじゃったんだよ!」

 リサはテレビで観た、絶食中のダイオウグソクムシの事を思い出して、カニの身の上が心配になったらしい。

 「アカテガニは、落ち葉やミミズ、コケや死んだ動物なんかも食べるんだ。柿の実が実るまでは、そんな物を食べて生きていけるから、心配しないでも大丈夫。」

 心配でリサが今夜眠れないと困るから、私はそうフォローを入れておく。


 しかし今度は、おねえちゃんの方が、別の心配ごとを掘り起こす。

 「お父さん、アカテガニって寿命どれくらいなの? せっかく柿を育てているのに、実がなる前に死んじゃったりしない?」

 これは盲点だった。

 アカテガニの寿命が三年くらいであれば、はなからカニは自分が育てた柿の実を味わえない宿命だ、という事になってしまう!

 さるかに合戦のお話では、どの道カニは柿を食べる前にサルに殺されてしまうのだとは言え、「食べる事が出来ないのは最初から決まってた事でした」では、余りにも不憫過ぎる。


 「ちょっと待て、リカ。調べてみる。」

 私がタブレットを操作し出すと、リカとリサも横からそれを覗き込む。

 不幸な運命が記されていたら、私は二人に嘘をつく心算だったのだが、これではそれも難しい。

 『アカテガニは二年で成熟し、その寿命は数年~十数年。』

 検索で得た答えは、私たちを不幸から遠ざけた。


 私がその文章を読み上げるのを聞いたリサが「どうなの? セーフ?」と質問する。

 おねえちゃんは

「セーフだね。二年で大人になって、十何年か生きるって事だから。間に合うよ。二歳の時に種を植えたなら、十歳の時に実がなる計算だよ。」

 さるかに合戦のカニが、その時何歳だったかは分からないし、十年間生きているという保証も無い。

 けれど、そんな事はどうだって良いのだ。

 種を植えて育てたカニは、上手く行けば美味しい柿の実を食べる事が出来た。

 それで充分じゃないか。


 私は家を空けている事の多い、娘たちにとっては不十分な役割しか果たせなかった父親なのかも知れないが、それでも水や肥料を精一杯運んだ。

 そしてこれからも、遠い土地から二人の為に、生きる糧を運び続けるだろう。


 「お昼、出来たよー!」

 嫁が皆を呼び寄せる声が聞こえた。

 「今日のママの料理、美味しいかな?」

 「どうだろうね。さっき料理しながら、お母さん、変な顔をしてたから。」

 私は二人のそんな遣り取りを耳にして

「美味しいに決まってるじゃないか。変わった味付けだからと言って、それを不味いと決めつけるのは間違いだよ。自分の舌が慣れていないだけで、食べ続けたら味わいが分かってくる事だってあるのさ。」

 そして二人を急き立てる。

 「じゃあ、挑戦してみよう。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 リカは遠い街の水産会社に就職し、時には調査船に乗り込んだりして、日々を忙しく過ごしている。

 学生時代には、妻や私に似ず美しく育った彼女は、街中でスカウトに遭う事などもしばしばだったが、それに応じず、愛しいカニを相手に研究室に籠って過ごした。

 一度などは、どのような経緯が有ったのかは知らないが、ご近所のイケダさんが

「娘さんを女優にしてみる心算はないですか?」

などと、我が家を訪問してきた事もある。


 現在のリカは、潮風と直射日光にさらされる生活のせいで、真っ黒に日焼けし、小じわも多くなったので、流石にそんな事は無くなったけれど、充実した毎日を送っているようで、つい先日、交際相手を連れて来た。

 セイウチみたいな巨漢の気の良い男性で、職場の同僚との事だ。

 セイウチ氏はキッパリと、彼女を大事にします、と宣言し、ガッシリした頭を深々と下げた。


 リカの選んだ男性だから、私には嫌も応も無い。

 「理屈っぽくて料理の下手な、ふつつか者の娘ですが、宜しくお願いします。」

 「有難うございます。約束は決してたがえません。……けれど、リカさんの料理は、時に奇抜で独創性が必要以上に勝っている事もありますが、私は美味しくなく感じた事はありません。」

 ほほう。リカのヤツ、既に『創作』料理をセイウチ氏に振る舞ったのか。

 いかにもフェアプレーを重んじる彼女らしい。


 「リカのルール無視の創作料理は、家内の影響のせいでね……。」

 「お父さん! それじゃあ私の料理が、いかにも……」

 リカは口に出し掛けた言葉を、慌てて途中で飲み込んだ。

 嫁が台所から、料理を運んで来たからだ。


 「一品目は、おめでたい席に向くのかどうかは判らないけれど、裏ごししたモクズガニのポタージュよ。リカは何故か昔から、このカニに目が無くて。」

 「お母さん、それなら普通に味噌仕立てにすれば、間違いなく美味しいのに!」

 うろたえる娘に、母はウインクを送ってから

「時に冒険は必要な事なのよ。失敗する事もあるけれど、稀には人生を、より豊かにしてくれる事もあるの。」

 義母に成るかも知れない女性の言葉に、セイウチ氏は「勉強になります。」と律儀に応じる。


 実を言うと、私はこの料理は食べた事がある。

 内勤になって、家から会社に通えるようになり、二人の娘が家を出て、妻と二人きりの生活を送るようになった頃の事だ。

 この料理は、悪くない。




 一方リサは、園芸学科を卒業した後、偏屈な庭師に弟子入りした。

 会社組織でもないし、弟子入りというのは大変な生活になるだろうと危惧したが、確かな腕の職人というのは間違いないらしく、リサはその爺さんの作る庭に魅了されてしまったのだ。

 「『今、美しい。』だけでは駄目なの。20年後、100年後のビジョンを明確にイメージして仕事をしないと、良い庭とは言えないわけ。」

 いっぱしの事を言う彼女だが、実際には爺さんや兄弟子から、「今すぐ止めてしまえ。」だの「荷物をまとめて帰れ。」などと怒られてばかりいるらしい。


 彼女には伝えていないが、その老職人からは、こっそりと

『熱意が有るし、見込みも有る。一人前に成る事までには疑問の余地は無いが、大成出来るかどうかは運次第。』

という、達筆の葉書を頂戴している。

 有り難い事だ。


 リサが住んでいる町は、そう遠いという訳ではないが、弟子という立場上、頻繁に我が家に帰って来る事は出来ない。

 それでも時間が出来たら、リサは清酒を携えてやって来る。

 その時に一緒に持参するのは、決まってお取り寄せした『がに漬け』だ。

 私は彼女に、『がに漬けが好物だ、と言った事は一度も無い』し、実際にとりたてて好きだという訳でもない。齢を重ねて歯が弱くなったから、往生しながら食べている。

 けれどリサは、私の好物がシオマネキの塩辛で、酒を飲む時にはこれを食べるものだと言う事を、信じて疑わない。


 その理由に、心当たりが無いわけではないけれど、今更訂正することも出来ないし、入れ歯になって「固い物が食べ『ら』れなくなった。」という言い訳が成立するまでは、この酒盛りを続けるほかないだろう。

 そしてその酒宴には、妻の奇妙な創作料理が、いつも華を添えている。


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