第二話
遠くから雷の音が響く中、私はただお店を見つめ続けました。
おじいさんとおばあさんが、手を振って見送ってくれた温かい記憶がよみがえります。
「……ちゃん……お嬢ちゃん!」
追憶から私を呼び戻す声を聞き取って、意識を目の前に向けます。
お店の入口から、一人の中年の女性が私を呼んでいました。
「雷が鳴ってるわよ。中に入って」
「えっ、はい」
私はその女性に店内へと招き入れられました。
「こんなに濡れちゃって。体調崩したら大変よ。ちょっと待っていて」
女性はそう言い残すと、店の奥に入って行きました。
快適な店内に入ると、全身の寒さが骨身に凍みてきます。
しばらくして女性がタオルを数枚持って戻ってきました。
「さあ、体を拭いて」
「すみません」
私は借りたタオルで髪と体を拭きながら、店内を眺めます。
私と女性以外には誰もいません。
板張りの床にレンガの壁。木目が特徴的な客席のテーブル。
間違いなく私が生まれたお店でした。
「一体、どうしたの? こんな雨の中で傘も持たずに」
女性に尋ねられると、私はどう言って説明すればいいか悩みました。
「えっとですね……私が小さい頃に……このお店に来た記憶があったんです。偶然、バスの中から見つけたものですから」
とっさに話を作ってごまかします。
「そうだったの。でも、驚いたわ。制服姿の女の子が雨の中で立ってるんだから」
「ご迷惑おかけしまして、申し訳ありません」
私が詫びると、女性は穏やかな口調で諭して、私を客席に座らせてくれました。
「あの、シュークリームはまだ販売していますか? 小さい頃、こちらで食べて、とてもおいしかったんです」
私が質問すると、女性はやや気まずそうな表情になります。
「ごめんなさい。今はもうシュークリームは売っていないのよ。あなたが食べたシュークリームは、きっと私の両親が作っていたものだわ」
それを聞いて、私は悪い予感がした。ただ、それについて尋ねて良いか逡巡してしまいます。
すると、私の様子を察したのか、女性は私の向かいの席に座って私を見据えます。
「両親は既に他界したの。それで、今は娘の私が経営しているのよ」
その言葉は、私の胸の中に、まるで身内が亡くなった時の様な驚きと悲しみを抱かせました。
(私を生んでくれた、あのおじいさんとおばあさんが天に召された)
頭の中で悲しい事実を反芻します。
「何だか不思議だわ。あなたを見ていると『縁』の様な物を感じるのよ」
「『縁』ですか?」
核心を突く言葉でした。そう。私達はある意味「姉妹」なのですから。
[ゴーン、ゴーン、ゴーン]
壁に置かれたレトロな時計が、秋の夕方を告げます。
それを聞きながら、私は少し喜びを感じていました。
ですが、それもほんの一瞬のことでした。
「実はね、もうじきこの店を廃業しようと思ってるの」
「……えっ……」
それは、頭に見えない何かが激突したかと思うくらいの驚きでした。
「どうしてですか? こんなにすてきなお店なのに……」
「落ち着いて」
私は、いつの間にか身を乗り出していました。
冷静になって椅子に座り直します。
「近頃、売り上げが芳しくないのよ。この近くに『柏原製菓」の系列の洋菓子店が出来てからは、特にね」
「カシワバラ……」
信じられませんでした。自分が生まれたお店が、自分のせいでなくなってしまうだなんて。
「お邪魔いたしまして、申し訳ありませんでした。そろそろ失礼します」
私はそれ以上、ここにいてはいけないと思って席を立ちました。
「そう言えば、あなた、傘を持ってないでしょ? さあ、これを使って」
「いえ、お構いなく」
「だめよ。さっきより雨が酷くなってるわ。気にしないで」
そう言って差し出された傘を、私は両手を受けとります。
「後日、お返しに伺います」
「そんな、いいわよ」
「いえ、必ずまた伺いますので」
私はそう約束して、お店を後にしました。
雨の中、歩道を歩きながら私はあることを思いました。
(涙ひとつ出ないなんて、私はなんて女なのだろう)
第三話に続く