召喚
師がこの世を去ってから、私が学園を退学させれてから、今日で五年が経つ。あの日を忘れないために、そして今日という日を祝うために書き記しておこうと思う。
私は以前、魔法学園に通っていた。そこでは、良き友には巡り合えなかったが、良き師に巡り合えた。師とは様々な意見を交わし語り合った。本当に楽しい時だった。
だが、そのようなときは長く続くわけもなかった。師は敵国の密偵という疑いを掛けられたのだ。私は師を守ろうと必死になって動いた。しかし師は無実の罪で捕縛され、処刑された。
師を庇った私は、学園を追放され、父の持つ領地の飛び地である、ここシェスガシレに幽閉されている。シェスガシレ内での自由はあるが、一生この土地から出ることは出来ないだろう。だが私は自分の行動を後悔してはいない。師は無実だったのだ。
無辜な師を殺したこの国が、世界が嫌いだ。憎い。
だから私は復讐を成すことにした。このシェスガシレで。今日がその始まりの日であり。師との夢が成就するときである。
私はここまで紙に書きつづると自室から出た。
私は自らの終の棲家になると思われる領主館を出て、館裏の森との間にある空き地に向かった。
そこには私と師の設計し、私が描いた巨大な魔法陣があり、その横には執事のレッカレバがいた。
「お嬢様、魔法陣の最終確認が終了いたしました。全て問題はありません」
「ありがとう、レッカレバ」
「いえいえ、お嬢様のためとなれば我が主であるエスカル様の命令に背かない限りで、全身全霊の力を注ぎご協力させていただきます」
「よろしい」
レッカレバは私の父である領主エスカル・マーセに使えている。そしてこの地に私の監視役兼執事として私の身の回りの世話をしてくれている。
以前、この領地から抜け出そうと私が行動を起こしたときは、父の命令である私をシェスガシレから出すなという言葉を忠実に従い、私のシェスガシレ脱出を阻止した男だ。彼が父から貰った命令は私をシェスガシレから出さないこと、それと世話と監視、その三つだという。彼が私が脱出に失敗したときに語ってくれた。その三つだけが彼が父から受けた命令であり使命だ。それ以外であれば私の言うことも聞いてくれた。それは魔法陣の欠陥確認という今回もだ。
彼は私が世界を壊すために、この魔法陣を設計したことを知っている。なのにそれに対しては妨害をしてこなかった。彼が何を考えているのかまったく分からないが、その方が私にとっては都合がいい。
私は彼の確認があっているか、一時間掛けて確認をし、ようやく儀式に取り掛かった。
儀式は師が提唱していた、自由に召喚対象を選び召喚する魔法陣を私が実用にまで到らせた物だ。師の書き記した資料がなければここまで辿り付く事は出来なかっただろう。
儀式は私の大切なものを代償にして行われる。私の大切なものなど何が残っているのか分からないが、それを差し出してでもやるべきことだと私は考えている。
儀式も終盤に差し掛かって、魔法陣からは淡い光が溢れ出ていた。私は詠唱の最中に一瞬、緊張のためか寒気を感じたが、それ以外に変わったことはなかった。
私が詠唱を終えるとあたり一面は眩い光に包まれた。その光は一瞬で消え次の瞬間には私の目の前に白亜の巨大な館がそびえ立っていた。
「なんだ…これは…」
私は呆気に取れれた。これが私の望んだ世界を壊すための召喚物?私が設計した魔法陣は完璧であった。だからそうなのだ。これが世界を壊すための召喚物。
そう私に言い聞かせた。そうでもしないと立っていられそうになかったから。
私はてっきり魔物や悪魔の類が召喚されると思っていた。だから呆気に取られたのだ。召喚されたのは生き物ですらない、ただの館。私の魔法陣は間違ってたのか、私の努力はなんだったのか、そういった思いが頭の中に溢れ、私の呼吸は乱れ、息をするのがおぼつかなくなった。
「お嬢様、気を確かに」
レッカレバは召喚された白亜の館のことよりも、私の呼吸が乱れたことを気に掛けた。
私は深い深呼吸を繰り返し、普段から肌身離さず持っている気付けの香を嗅いだ。香の香りは柑橘系の果物と薬草から精製したもので、嫌いではないが頻繁には嗅ぎたくない香りだ。
気付けの香のおかげか私の呼吸はある程度、正常に近い状態を取り戻した。
そうだ、この館の主が世界を壊すことの出来る者かもしれない。そう私は考え直し、館に入るべく、館の入口らしき、ガラスで出来た扉に向かって歩き始めた。
数歩歩くと私を引き止める声が耳に入ってきた。
「お嬢様、この建物に入るのはお待ちください。何があるか分かりません」
「そんなことは知るか、私の召喚したものだ。私に危害を加えることはなかろう」
それ以降のレッカレバの言葉は無視し、彼には領主館で私が帰ってくるのを待っているように命令を出した。彼は私の命令に従い領主館へと戻っていった。
白亜の館は領主館よりも大きく、正面から見た限りだと領主館四つ分ほどの大きさだ。外観はすっきりとしたデザインで、外壁は主にざらざらとした白のタイルらしきものが貼りつめれれているが、それ以上にガラスで出来た窓や壁が目立っていた。
入口らしきガラスの扉の前まで来ると、透き通ったガラスの扉が私を招き入れるかのよう、自動的に二つに別れ左右に退いた。
「これは…」
私は驚きの声をもらした。私が入口まで来たことを、この館の主は分かっているようだ。そして私をこの館に自ら招き入れることにしたらしい。白亜の館の主は遠見の魔法と何らかの力で館を完全に支配しているのか…。
館の中に入るとそこには吹き抜け広間があった。そして私の鼻腔に懐かしい匂いが入り込む。一瞬何の匂いか考えたがその答えは周りを見渡すとすぐに出てきた。
書庫だ。学園で一番長い時間を過ごした書庫の匂いと同じだった。
広間の周りには低い棚がいくつも並んでおり、本が納めれているようだ。広間の周りの棚は低いが館の奥に向かうにつれ棚が高くなっていた。斜め上を見上げてみるとガラスで出来た柵と黒い手すりの向こう側に棚があるのが確認できた。二階も一階と同じように本棚があるようだ。この館の主はよほど本が好きらしい。
私は広間の中心にまで出ると館の主に挨拶するため、声を張り上げ叫んだ。
「私はエスト・マーセ!この館の主よ!私はお前を召喚した者だ!この声を聞いているなら答えよ!」
そう私は自らの名前を言い放ち、この館の主の返事を待った。
訪れたのは静寂で、何も返事がない。これはどういうことだろうか?
あまりにも返事がないので、私はこの館の奥に向かうことにした。
いくつもの本棚の横を通り過ぎ、私はこの館の一番奥にたどり着いた。
館の奥には常識では考えれないほど巨大で透明な、外を見渡せるガラスの壁の前があり領主館裏の森が見渡せていた。この館の主はガラスの装飾を好むらしい。
壁の手前にはソファや机がいくつも並んでいた。そのソファの一つ、外を見渡せる位置にあるソファの背もたれの向こうに黒い頭が見えた。誰かが座っていた。
館の主か。私はそう考えソファの横をゆっくりと歩きソファの正面に出た。
ソファには到底、館の主とは思えぬあどけない顔をした。上下統一された黒い衣服を着た少年が幸せそうな表情をして寝ていた。
「これがこの館の主…?」
私は拍子抜けした。それは館の主の容姿に拍子抜けしたのではない。魔力がまったくその少年から感じられないことに拍子抜けしたのだ。
普通の人間は魔力の器を持っている、まれにその器が壊れていたり、極度に小さい人間はいるが、器がない人間など聞いたことも見たこともない。
そして魔力のない者などなんの価値もない。私の召喚は失敗だったのか?
「むにゃむにゃ…ふぁ」
突然、その少年は言葉を発した。私は驚いて一歩分だけ後ろに退いた。
少年は目を閉じたまま背伸びをすると、瞼をゆっくりと開きながらこう言った。
「あー、良く寝たなぁ…って!?」
正面に突然現れた私に驚いたらしい、こんなことで驚く者が到底、私の願いをかなえてくれるとは思えない、私はショックによる悲しみで胸が苦しくなった。
駄目だ、泣いてはならない。魔方陣は正しかったし、詠唱も全て成功した。私の願いをかなえてくれるはずなのだ。気付けの香を私はポケットから取り出し嗅ぐ、香の香りはまったく意味をなさなかった。だが諦めてはならぬ。私は声を振り絞って、その少年の話しかけた。
「私はエスト・マーセ。私はお前を召喚したものだ。私の願いを聞きたまえ」
「えっ?なに…そ…!?」
少年は一瞬とぼけたような顔をしたが、その次の瞬間、急に真面目な顔になった。
「ちょっと待ってください」
「ああ」
私は少年の言葉を聞きいれ、しばらくの時間待った。
少年はソファに座ったまま、私の姿を見て、その後、視線を窓の向こうに移し納得したような顔になった。それから一分ほど少年の表情がめまぐるしく移り変わるのを眺め、思った。こいつは感情が面白いほど表情に出るな。
「召喚物か…」
突然、少年はそう言って覚悟を決めたような表情になり、立ち上がった。
「あなたが僕を召喚したんですね?目的は?」
「ああ、そうだ。この世界を壊すために召喚した」
「この世界を壊す?それはどういう…?」
「この世界は腐りきっている!壊さなければならない!それは……あれ?」
これほどまでに世界を憎んでいるのに、まったくその理由が思い浮かばないのだ。なんのために私は世界を壊そうと?
私は何か大切なものを失ったことに、今になって気がついた。
「あはは…」
私の乾いた笑い声とともに涙が目じりから溢れ出した。
少年は突然笑いながら涙を流す私に何が起きているか理解できてないようだ。私も私自身が何を失ってしまったか分からないので少年とあまり変わらないかもしれない。
私は声を上げ、子どものように泣いた。もう年は二十を過ぎているというのに、見ず知らずの少年の前だと言うのにわんわん泣いた。
そのうちに立っていることすら出来なくなり、床に崩れ泣いた。
うずくまって泣き続けていると、突然、背中に人の肌の暖かさを感じた。少年が私の背中を摩ってくれていた。涙で前は見えないが、そう分かった。
悲しくて、寂しくて堪らなかったのだ。
「っ…私は失ってしまったんだ。生きる意味を、記憶を」
少年は何も言わない。
しかし少年は泣き止むまで私をなだめ続けた。