きみはきっと魔法使い
別作品、「いとしいひと。」の脇役ふたりのお話です。
きみが笑っているところが好きだった。くっきりと二重になっている目が細くなる瞬間が好きだった。
きみが泣いているところが好きだった。人前では弱みのひとつも見せないきみが俺に縋って、声を殺して泣く瞬間が好きだった。
きみの好きな人を、知っていた。それが俺ではないことは、最初からわかりきっていたことだ。それでも俺は、きみのことが好きだった。それは、今も変わらない。
きみは俺に魔法をかけた。
高校2年の時だった。
俺、東智晴は忘れ物を取りに放課後の教室に入った。部活動も終わる頃だった。
それなのに、教室には浅賀梢がいた。
「浅賀、」
思わず声をかけてしまった。浅賀は、相馬葵良の席に座り、突っ伏して眠っていた。
よかった、気づかれてないみたいだ。
いとおしそうに、机を相馬だと思って抱きしめているかのように、浅賀はやさしい目をして静かに寝息を立てていた。
相馬は帰宅部で、浅賀は生徒会。浅賀は相馬を待っているわけではないのだろうし、生徒会も終わっているのだろう。
これ以上声をかける気にもなれず、ここにいてはいけない気がして、忘れ物を取りすぐに校舎外に出た。
胸が張り裂けそうになる。
あんなふうな表情の浅賀は見たことがなかった。目を閉じて、大切なものをこわしてしまわないように、触れているようだった。
俺の頭はそれから、ずっと浅賀のことばかり考えていた。
ぐるぐる、ぐるぐる、と。
学校から徒歩10分ほどの自宅へはすぐに着いた。家に帰って、すぐベッドに寝転んだ。また、胸が痛くなる。頭の中には、浅賀ばっかり。
ぐるぐる、ぐるぐる、さっき自分の見たことが俺の勝手な想像とともに、ぐるぐるとまわっている。浅賀の表情を思い出すたびに、全身があつくなって動悸が治まらない。
夕食や風呂を済ませて、寝るために部屋に入っても、いよいよ頭の中は浅賀ばっかりだった。
「はるーっ!おっはよー!」
「おはよー、はる」
次の日、俺は寝不足だった。そんなとき、昨日の俺を苦しめた浅賀と相馬がふたりなかよく登校してきたのだ。
「おはよう」
それでも挨拶を返し、自分の席へ着く。出席番号順のためか前の席には、浅賀梢。浅賀の後ろ姿が目に入ってしまうせいか昨日の出来事を思い出してしまって、今日中はまともに見れなくなってしまいそうだった。
そんなことを考えていると浅賀が、顔を覗かせてきた。
「はるの顔、すげー怖いぜ。何考えてんの?」
お前のことだ、と大声で叫びたくなったが我慢する。
「そうか。気をつける」
「ははっ、はるってじいちゃんみたい」
それを言うならお前のあの顔はなんだ、と大声で叫びたくなったがそれも我慢する。
「よく、言われる」
「だよなー、ぽいもん!あ、そういやはる!今日の放課後時間ある?俺、前の古典のテストやばかったから勉強教えてもらいたいんだけど、いい?」
相馬もいるのだからそんなの相馬に教えてもらえばいいじゃないか、と浅賀に言ってしまいたくなった。だが、そんなこと言えるわけがない。
「ああ、今日は何もないが。俺でいいのか?」
「うん!お願いしまっす!場所はここでいい?」
「分かった。俺は構わないが、相馬は」
ふと、浅賀と目が合った。
「さんきゅー!そういや言ってなかったね。放課後は葵良いないって。葵良ってば気になる後輩ちゃんができちゃって、その子と一緒に帰るんだってさー。つまんねーの!」
逸らされた目はきっと相馬を捉えたのだろうと、俺はあたりまえのように思ったのだった。
そんなこんなで放課後になった。
浅賀と向かい合い、約束通り勉強をしていた。はずだった。
「そういや、さ。昨日の放課後、はるって教室にいたよね」
それは、たまたまだ。
「あの、俺いたの知ってる?」
ああ、知ってるとも。そのせいで寝不足なんだ。
「いなかったなら、いいんだ!別にどうでもいいことだし!」
「忘れ物を取りに来た。そしたらお前がいた」
どうでもよくなんて、ないだろう。昨日のお前の表情をこの目ではっきり見たというのに。俺はあんな浅賀の顔を初めて見たのだから。あんなに恋しそうな、切ない表情の浅賀を。
「やっぱり、いたんだ。なんか急にこんなこと聞いてごめん。全部、俺が悪いんだ。俺が、葵良を好きだから」
「謝らなくて、いい」
そんなの、悪いのはお前じゃない。
「…うん。あの、俺の話を聞いてほしい」
「ん、」
それから浅賀は、相馬のことを話始めたのだった。ふたりは中学の同級生であること。浅賀は相馬のことをその頃からずっと好きだということ。そして、相馬には好きな人がいるということ。
全部話し終わった時、目を細めた浅賀の顔がカーテンの隙間からほんの少し光が入って照らされた。俺は、それをきれいだと思った。
「長々とこんな気持ち悪い話してごめん。もう俺のことはほっといていいから。こんな気持ち悪いやつのことなんか…」
なんでそんなことを言うのだろう。俺の心の中を覗くことができるわけでもないのに。俺は、隠れるように俯いて目から涙を溢した浅賀のことをほっとけないと思ったのだ。
「自分の気持ちなのにそんなことを言うな。もっと自分のことを大切にしろ」
そんな浅賀を俺はいとおしいとさえ思うのに。
「…はる。俺は別に受け入れてもらいたいわけじゃないから、そんな優しい言葉を掛けなくたって良いのに、」
なんで。
「顔、上げろ」
「やだよ。きっと酷い顔してる」
浅賀の声は、最初からずっと震えていた。
「いいから、」
浅賀の腕を掴んで、強く抱きしめた。浅賀の背中は薄くて今にも折れてしまいそうだった。
「思いっきり泣け。誰も見ていないうちに」
壊れてしまわないように抱きしめる。浅賀が声を殺して泣いているのが分かった。浅賀の涙が俺の肩を濡らした。俺はそれさえも、いとおしく思った。
「本当はずっと、誰かに話したかったんだ」
しばらくして向き直った浅賀が言った。まだ浅賀の体温が残っていた。浅賀の目は真っ赤に腫れていた。
「聞いてくれて嬉しかった。誰も受け入れてくれないと思ってたから」
「そんなこと、ない」
「はる、本当にありがとう。はるがいてくれて良かった」
あれから完全下校の放送が流れ、俺たちは校舎をあとにしていた。沈黙が続き、俺はなんとなく浅賀のことを見れずにいた。いくらなんでも抱きしめたのはアウトだったと、今になって後悔していた。
「…はる、俺から誘っといて勉強全然進まなくてごめん」
背後から声を掛けられ立ち止まる。ああ、ここは駅と俺の家の分かれ道かと気づく。
「謝るな。テストまでまだあるんだ。勉強なんて、いつでもできる」
「そうだね。ありがとう」
そう言って浅賀は笑った。
「それじゃあ、また。今日は本当にありがとう。はる、また明日!」
「ああ、またな」
高校生にもなって手を振ってきた浅賀に、俺もそれを振り替えしたのだった。
家に帰るまでも帰ったあとも動悸が治まらなかった。夕食と風呂をすませ部屋に入る。ああ、きっと今日も寝不足だろうと思いながら、俺はそっと目を閉じる。目の前に広がった暗闇に、案の定浅賀の顔が浮かんで身体があつくなった。
きっと明日も浅賀と相馬は一緒に学校に来るのだろう。何も知らない相馬は想い人の後輩と一緒に帰るのだろう。そしてまた明日、浅賀と一緒に帰ることができるかもしれない。そんなことを考えると少し明日が来るのが楽しみになる。
俺はこの気持ちがなんなのかもうとっくに分かっている。浅賀に初めて話しかけられた時からずっと俺は、気になっているのだと。
いつかシャボン玉のように割って、浅賀に俺の気持ちを伝えられるといい。その時きみは笑うだろうか。それとも泣くのだろうか。俺が告白するまでどうか誰のものにもならないでくれ、とそんなずるいことを考えながら、こんな気持ちにしたきみはきっと魔法使いなんだと俺は思ったのだった。




