勇者は魔王に殺されたい
心中要素があります。
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横たわる彼女の頬に、彼の涙が一筋落ちた。
それを合図にまた涙が一粒、二粒と落ちていく。
まるで彼女が泣いているようだった。
その涙を拭うかのように彼女の右手が彼の左頬に触れる。
彼女の右手を労わるように、彼の左手が彼女の右手を包んだ。
そうして彼女はそっと、微笑んだ。
それは泣き笑いのような表情で、彼女は接近する彼の顔を見て、瞼を閉じた。
*
「だから言ったのに。どうせ無駄だってさ。」
彼はそう言って、嘲けるように口の端を吊り上げる。
「知ってるよ。無駄なことくらい。わかっててやってるんだから。」
狙い通りの光景に、思わず顔が恍惚に緩む。
彼は怪訝そうな表情であたしを見て、暫く考え込む。
その間も状況は変わらず、あたしが不利のまま。
「……っ!まさか!?」
何かに気が付いた様子で、彼は驚愕に見開かれた目をあたしに向ける。
その視線は見えない鋭利な刃物と化し、強くあたしを刺してくる。
「なあに?」
小さく首を傾いで、あたしは白々しいほどの笑顔と共に彼を見る。
目の前に迫った“それ”を、あたしはどれほどの時間、待ち続けただろう。
「死にに来たとでも言うつもりか!」
あたしを睨む。睨む、その視線。
刺すような視線が心地良い。
視線に込められたその重さ。
でももう覆りはしない。
あたしの“死”は確定している。
この場に一人で来たあの瞬間から、もうあたしに他の道はない。
あたしが心の底から望んで、望んだ道しか、残ってはいないの!
「さあ…どうだろう?」
言いながら、あたしの顔は緩んでいた。
そのにやけた表情が、どこまでも彼の言葉を肯定し続けている。
「馬鹿な!お前が死ねば誰も救われないんだぞ!」
心の底から信じられないと、彼の目が雄弁に語っていた。
逆に彼奴らを救いたいと思っていると、そう思われていたことに驚いた。
「ああ…そうだっけねえ…。」
緩んでいたあたしの顔から、一気に表情が抜け落ちた。
つまらないとでも言いたげな顔をして、あたしは興味なさげにそう言い放った。
「お前は勇者だろう!?」
彼は縋るような目をしてそう言う。
「魔王に諭されるなんて、世の中不思議なこともあるものねえ。」
あたしは感慨深げに頷いた。
「俺は好きで魔王になんかなったわけじゃないっ!」
悲痛な叫びが響いた。
「だったら私だって、好きで勇者になんかなったわけじゃないのにね。」
勇者になったからって、彼奴らを救いたいと、世界を救いたいと思ったことは一瞬たりともないというのに。
「あんただってそうでしょ?」
彼は、あたしと真逆だ。
「魔王になったからって、世界を壊したいなんて思ったことはないでしょ?」
彼の顔を見ながら、あたしはそう吐き捨てた。
二の句の継げない様子の彼が、悲しげに微笑んだあたしの顔を見ることはなかった。
「でもやらなきゃいけない。だって、やらなきゃ――殺される。」
右手を頬に当てて、あたしは恍惚に微笑んだ。
「だからやった。たくさんの人を殺した。違う?」
ああ、ようやく。
「もうあんたは戻れない。あまりにもたくさんの人を殺しすぎた。」
彼は何かを呟いた。
「………れ…。」
あたしは構わず続ける。
「だから。」
彼の言葉が少しずつ大きくなる。
「…めてくれ…。」
でも構わない。
あたしはあたしが何よりも強く望んでいる、それを口にした。
「あたしも、殺して?」
「っ!?」
彼は立ち尽くしたまま、あたしに力ない言葉を放つ。
「な……に、を。」
右手を頬に当てて、恍惚に微笑んだまま、あたしは更に言葉を続ける。
「あたしやあんたを苦しめ続けた彼奴らに殺されるなんて、我慢ならないのよ。」
ようやく叶うね。
「それに、約束したでしょう?」
その言葉を聞いた彼の肩が、微かに動いた気がした。
「もしも死ぬときが来たら、互いの手で殺し合おう。って。」
「でも気付いたの。あたしを殺せば、あんたは強大な力を手に入れる。そしたらもう、誰にも負けないでしょう?。あたしとあんたを苦しめた彼奴らに復讐もできる。あんたに人を殺させる奴らも、殺せる。」
目を見開いたまま固まっていた彼が、手に持っていた水晶を落とした。
――パリンッ、と、甲高い音が、響いた。
「落としちゃ駄目じゃない。大事な大事な、武器でしょう?」
柔く微笑んで、あたしは喉元まで出てきた言葉を飲み込んだ。
『そしたらあんたは、幸せになれるでしょう?』
遠い昔の幼い頃に、二人で耐え続けた地獄の日々が脳裏を過る。
死ぬときは互いの手で死にたいと話した。
そして約束した。
でも、あたしが死ぬだけで彼が幸せになれる道を見つけた。
「ほら、殺してよ。」
だったら、迷いは、ない。
もしかしたら、彼と共に生きる道もあったのかもしれないけれど。
でも、これが、確実な道だから。
「どうして…。」
ポツリ。彼が呟いた。
意味が理解できず、あたしは小さく首を傾いで、左手に持った聖剣を右手に持ち替えた。
水晶が壊れて暴走した一部の魔を、聖剣を一閃して殺す。
「なあに?」
いつもは威力が強すぎて利き手に持たない聖剣を、今だけは右手に持ち替えて戦う。
暴走した魔に、加減は無用だ。
「どうして、殺される道を選ぶ。どうして、一緒に歩む道を選んでくれなかった。」
感情が抜け落ちてしまったような声で、彼はあたしに問う。
心を読まれたかのようなそのタイミングに、一瞬、あたしの心臓が強く脈打った。
あたしは彼から目を離し、何度も何度も聖剣を振って、魔を殺した。
魔の残骸が散らばる。
そうして生きている生物があたしと彼だけになったとき、あたしは少しだけ彼に近くなった場所で、彼を正面に見据えた。
「…今更。」
聖剣を左手で持って、右手を腰に当てる。
「あたしが勇者に選ばれて。」
あたしの顔が、無表情から笑顔に変わった。
「あんたが魔王に選ばれて。」
疲れきったようなあたしの笑みを、彼は目を見開いて、かと思えば悲しげに眉を寄せながら見つめていた。
「今更、共に歩む道を、選べるはずがないでしょう。」
二人の間を、沈黙が流れる。
あたしはそれを笑って壊す。
「それに、あたしはあんたを崇めてるの。」
怪訝そうに首を傾いで、彼は眉を寄せたままあたしを見る。
あたしは彼のその姿に、小さな子供を重ねて見た。
そう、勇者と魔王に選定されたあの頃から、いろいろあって、苦しくて…そうしてこの道を決めた。
それから、もう随分と長く、彼に殺されることだけを願ってきた。
「あたしを救ってくれる、優しい魔王様。」
あたしは今日この瞬間まで、誰の手も借りずに生きてきた。
勝手に着いてきて、勝手に仲間を自称する奴らを助けることはあっても、助けられるようなことはあるまいと生きてきた。
魔は勿論、人間からも、彼以外の奴らに殺されるようなこともないように生きてきた。
「あんただけよ。」
たくさんの人間を殺しておいて、優しい魔王様なんてふざけてると、そう言いたげに顔を歪める彼に、尚もあたしは言い募る。
だって、彼以外の救いの手なんていらない。
どんなに苦しくなっても、彼に殺されることだけを救いに生きてきた。
だから。
「――あんた以外に、あたしは救えない。」
彼は何も言えないようだったから、またあたしが言葉を発した。
「そういえば、最初に言ってたっけ。」
頼りなさげに立っている彼は、何を思ってか額に右手を当てていた。
「仲間を連れず、一人で来るなんて嘗められたものだなって。一人で来てもどうせ無駄なのにって。あれ、一部訂正しておくわ。嘗めてなんていないからね。信頼して来たのよ。」
続く言葉は飲み込んだけれど、彼には聞こえたようだ。
『殺されに。』
彼の手が強く握りしめられる。
あたしはそれに気付かないまま、最後の言葉を告げようとしていた。
「それと。」
左手で自身の髪の毛を握りしめた彼は、覇気のない声で言う。
「…まだあるのか。」
あたしは軽く頷いた。
彼自身の右手が顔を覆っていて、彼には見えていないだろうけれど。
「まあまあ聞いてよ。」
だから、言葉を吐き出す。
彼の耳に、あたしの言葉が届くように。
「あたしが言わなくてもわかると思うけどさ。」
あたしの願いを叶えるために。
「魔がどれだけいようと、あたしは殺せないわよ?だから。」
彼に、逃げ道はない。
「勇者を殺すには、魔王が出てこなくちゃいけない。」
ああ…ようやく叶うんだね。
今日この瞬間を迎えるために、どれだけ頑張ったと思う?
ああ…!長かった…!
だから、お願い。
今までの頑張りを認めて。
あたしを、殺して。
「………ろ…。」
彼の言葉を聞き取れなくて、催促するように首を傾いだ。
彼は、叫んだ。
「殺せるわけねーだろ!」
あたしは目を見開いて、苦しそうに顔を歪めながら胸を手で押さえる彼を見つめた。
だって、ねえ…今、なんて、言った?
彼は、今――あたしを、殺せないと、言ったのか?
その瞬間、胸を埋め尽くす、“絶望”。
「そん…な…」
勇者と魔王は殺し合う関係だ。
何故?
ここまで来れば、殺してくれるはずでしょう?
どうして殺してくれないの?
あたしが今まで頑張ってきた意味は?
殺されるために生きてきたのに。
彼に、殺されるためだけに生きてきたのに!
無意味だったの?
あたしがここまで来る意味なんて、なかったの?
――否。
「俺は!今までずっと、お前に殺されるために生きてきたんだ!」
意味は、あった。
「お前が俺を殺せば、お前は強大な力を手に入れる。そしたら、お前は自由に生きられる。――幸せに、なれるだろ?」
最後の一言を告げる声は、頼りなく震えていた。
頭を殴られたような衝撃が、あたしの心を震わせていた。
「俺が魔王に選ばれて。」
胸が苦しくなって、思わず右手で胸を押さえた。
「お前が勇者に選ばれて。」
わけもわからず、顔が歪む。
「随分と…経ったよな。」
全身から力が抜けそうになった。
「ずっと…お前を待ってたよ。お前に殺されたくて。お前以外に殺されないために、生きてきたんだ。」
聖剣が、床に落ちた。
「大事な武器を、落としちゃ駄目だろ?」
そんな顔で、あたしを見ないで。
「その武器で、俺の心臓を刺してくれなきゃ困るんだ。」
そんな声で、あたしに。
「お前に殺されるために、名前も知らない人間を殺してきたんだ。たくさん、たくさん。ただ、お前に殺されるためだけに」
――無理なことを、言わないで。
「そん、なの…無理に決まってる…!」
震えた声で、吐き捨てるように呟いた。
「殺されるために生きてきたのに、殺せるわけないじゃない!」
悲痛の叫びが、二人しかいない部屋に響く。
「同じだよ。」
静かな声と共に、魔の残骸が潰される音が聞こえて、俯いていた顔を上げる。
彼は、あたしに近付いてくる。
「お前に殺されるために生きてきたのに、どうしてお前を殺せるって言うんだ。」
目の前で泣きそうに顔を歪める彼。
あたしはふと、こうして彼と向き合って話すのはいつぶりだろうと考えた。
そもそも今日は彼と百年以上ぶりの再会なのに。
勇者と魔王という立場故か、挨拶すらしていなかった。
あたしと彼は、幼馴染なのに。
「…久しぶり、かな。」
気を抜けば視界が歪みそうになる。
一度深呼吸をして、あたしはそう呟いた。
「久しぶり、だな。」
彼が少し潤んだ瞳をあたしに向ける。
あたし達はぎこちなく微笑い合った。
もう百年以上は、こんなに穏やかな感情を抱いたことがなかった。
ただ彼に殺されたいと、生きて。
彼も、同じだろうか。
「いつも、お前のことを考えていたよ。」
彼がまっすぐにあたしを見てそう言うから、胸に何かが込み上げてきて、なんだか泣きそうになる。
「あたしも、同じ。いつも、あんたのことを考えていた。」
殺されるとか、そういうこと抜きで、ただ。
「あの頃の思い出がさ。日に日に薄れていくのが、無性に悲しくて。」
右手を握りしめた。
「今はもう断片的にしか思い出せないけど、あの頃の思い出は、今までの百年よりも大切な思い出で…。」
続けようとした言葉が、彼に遮られる。
「いつだってお前のことを想って、お前との思い出を振り返って、日々を過ごしていたよ。」
抱き寄せられる。
あの頃よりも大きくなった体が、あたしの体を包み込む。
「――愛しているんだ」
絞り出すような切ない声が、あたしの鼓膜を揺らす。
そしてあたしは、彼を突き飛ばした。
「っ……ぇ?」
形容しがたい音が響く。
「――くぁっ!」
突き飛ばされて尻餅を突いた態勢のままで、彼は呆然とあたしを見る。
否、正確には、“光線で撃ち抜かれた”あたしの脇腹を。
あたしは聖剣を握った。
「っはあ!」
姿勢を低くして、地面を蹴る。
そうして“敵”の元へ跳び、聖剣を一閃する。
お返しとばかりに脇腹を斬りつけ、敵の苦悶の声を聞きながら、その心臓を一突きした。
手足が痙攣している敵の身体を蹴りつけて、あたしは自身の聖剣を引き抜く。
右手に持った聖剣を一度振り払い、血を落とした。
「…っは!」
詰めていた息を吐き出し、空気を吸い込む。
あたしは聖剣を杖にして身体を支えると、左手で痛む右脇腹を抱えるように庇った。
血が流れていく。
彼の元へ戻ろうとして、一瞬クラッとした。
聖剣を支えにしたまま、右膝を床につく。
右足に重心をかけ、あたしはつい先ほど殺した敵を鋭く睨む。
「無事かっ!」
声を掛けられ、彼の無事に薄く微笑む。
「此奴、あんたを狙ってたわ。」
慣れない痛みに額に脂汗を浮かべながら、あたしは敵を睨んだままそう言った。
「っ!」
彼は息を呑んだようだった。
「知ってる奴?」
見えないけれど、彼が頷いた気がした。
「魔王を殺せば魔王になれると勘違いしてる奴らの一人だ。」
彼は苦々しくそう口にする。
「ああ、成る程。あたしのとこにもそういうのが来たことあるよ。勇者を殺せば勇者になれると思ってる馬鹿。返り討ちにしたけど。」
勇者と魔王なんて存在ができたのは、あたし達が初めて。
だから、そういう馬鹿はそこらにたくさんいる。
全く…勇者と魔王なんて、替われるなら替わってほしいくらいなのに。
「そんなことはどうだっていい!傷は大丈っ…!?」
彼の言葉を聞きながら、あたしは遂に耐えられなくなって倒れた。
手から離れた聖剣が音を立てると同時に、彼の温もりを感じた。
抱き起こされているようだ。
「どうして庇ったっ!」
今にも泣いてしまいそうな彼を見ながら、あたしはうわ言のように呟いた。
「だって、愛しているから。」
そうして、あたしは意識を逸らしていた脇腹に目を向ける。
途端、痛みが鋭さを増した気がした。
「ねえ、殺して。あたし、痛みに耐性ないから、ちょっと、キツイ。それに、どの道この傷じゃあ、助からないもの。」
目を閉じてそう言えば、途中から頬に何かが落ちてくるのを感じた。
目を開ければ、彼が泣いていた。
次から次へと落ちてくる涙に、あたしが泣きたくなる。
でも、これが、最後なら、耐えてみせようか。
「…お前も俺を殺してくれ。俺がお前を殺すから。」
彼はあたしの身体をそっと横たえて、あたしの頭を優しく撫でた。
そして、震えた泣き声が、確かに、そう言った。
あたしは右手を彼の頬に伸ばして、そっと触れる。
彼の左手があたしの右手を包んで、それに、胸が熱くなって。
あたしは、無邪気に笑った。
「愛してる…。」
そう言った彼の顔が近付く。
あたしは彼の顔を目に焼き付けて、瞼を下ろした。
そうしてあたしの唇に、彼の唇がそっと、触れて。
何度も離れては触れる。
啄むように触れては、名残惜しげに離れる。
そして、あたしは気が付いた。
あたしは、彼に殺されるのを待っていたんじゃない、と。
「愛し、てる…。」
泣きそうになりながら、その言葉を紡いだ。
あたしは、この瞬間を、遠い昔からずっと、待ち続けていたんだ。
果たされた想いに、胸が、震える…。
「…これでお別れじゃないよな。」
護身用と思われるショートソードを手に持って、彼はそう言った。
「死んだ先で、また逢おう。見つけ出すよ。」
あたしは笑ってそう言う。
「ばーか。それは俺の台詞だよ。」
彼は無邪気に笑いながらそう呟いた。
その目に、涙はなかった。
「あんたは大人しく待ってなさいよ。魔王は勇者が迎えに行くんだから。」
挑むようにそう言えば、彼は参ったなと言いたげに右手で頬を掻く。
「じゃあ…また、な。」
あたしは笑顔で「うん」と頷いて、聖剣を構えた。
*
「あたしがゆうしゃで、まーくんがまおうね!」
子供特有の高い声が響く。
「えー!?ぼくがゆうしゃやりたい!」
不満げな声の子供に、無邪気な声の子供が笑って言う。
「でも、あたしがゆうかでまーくんがまおでしょー?まーくんがゆうしゃじゃーおかしいよ!」
自信満々な裕香を見て、不思議そうに真央は首を傾いだ。
「おかしいの?」
裕香は頷いて、同じことを自信満々に告げる。
「おかしいよ!」
真央は裕香に言いくるめられ、渋々といった様子で魔王役を頷いた。
END
勇者と魔王が殺し合う…じゃなくて、殺され合う…というか殺され合いたい。という謎の小説です。自分でもなんでできたのかわかりません←
いつか設定や展開はそのままに書き直したいなと思っています…拙作を最後まで読んでいただいたことに、心より感謝の言葉を。
(いろんな裏話、隠し設定が活動報告にございます。)
読了、感謝感謝でございます(-人-)




