08
――私は、『見殺し』を選んだ人間なんだ。
彼女の言葉に、僕は眉をひそめた。つまり、彼女は。
「……私は、人殺しなんだ」
彼女の言葉を、僕はうまく飲み込めない。いや、分かってる。彼女は人を殺して、その事実を『病死』にする道を選んだ。けれど、
「どうして……」
僕の言葉を聞いて、彼女は空を仰ぐ。最初に出会った、あの日みたいに。
話すと長くなるんだけど、と雪さんは笑った。
「――私にはね、二歳年下の妹がいたんだ。私は妹のことが大好きだったし、妹も私のことを慕ってくれていた。仲のいい姉妹ねって、近所でも評判だった。……うちは父子家庭でね。父親に言いづらいこと、――恋愛関係の話は、姉妹同士で話し合ってたの。……あれはいつだったかな。妹が、『従兄と付き合うことになったんだ』って、私に報告してきたの。嬉しそうにね」
彼女の吐く息はどこまでも白い。彼女の顔の輪郭すら、分からなくなるくらいに。
「その従兄は私と同い年なんだけれど、――なんていうか、子供の頃から乱暴な奴でね。付き合うって聞いた時はかなり心配したし、実際止めたわ。あの男はやめといた方がいいんじゃないかって。けれど妹は、『いい人だよ』って信じて疑わないの。恋は盲目ってやつ? 私はそうなったことがないから、分からないんだけど」
雪さんは自嘲気味に笑うと、僕の方を見た。
「そんなある日、妹は泣きながら帰ってきた。どうしたのって訊いても、首を振るばかりで。それでも問い詰めたら、ようやく教えてくれた。『彼との子を妊娠した。それを報告しに行ったら、子供は堕ろせと言われた。お前とは遊びだったんだよって、笑われた』。……出来の悪いドラマみたいでしょう」
笑わない僕に、雪さんが笑いかける。それでも僕は、笑えなかった。
「妹は塞ぎこんで、部屋から出てこなくなった。――見かねた私は一人で、従兄の家に向かったわ。従弟はその時一人暮らしをしてたんだけど、妹と二人でその家に遊びに行ったことがあったから、そこに行くのは難しくなかった。……今思えば、私はあの男と何を話す気だったんでしょうね。あんな奴と何を話しても、どうせ無駄なのに」
冷たい風が吹き抜けて、彼女の髪と、足もとの草を揺らした。彼女は少しだけ身体を震わせてから、自分の膝をぎゅっと抱え込んだ。
「一人であいつの家に行った私も私よね。でもまさか、――押し倒されるとは思ってなかった」
驚愕する僕に、彼女は苦笑する。「馬鹿でしょう、本当に」と、誰に宛てた言葉なのか分からないセリフを呟いた。
「押し倒されて、乱暴されそうになって。――……近くに転がっていた灰皿で、従兄の頭を思いっきり殴った。そいつが動かなくなるまで、声が聞こえなくなるまで、何度も何度も。『妹を傷つけたんだ、これぐらい当然だ。こんな男、死んで当然だ』……なんて、ただの正当化よ。――我に返った時にはもう、従兄の頭はぐちゃぐちゃだった。私の頭の中も、ね。……そんな時、声が聞こえてきたの」
『その男を、生き返らせてやろうか』
僕は目を見開いた。死んだ人間を生き返らせることができる人なんて、僕は雪さんしか知らない。それなのに。
「……あなた以外にも、その『蘇生』を使える人がいたんですか?」
僕の問いかけに、雪さんは小さく首を振った。
「いいえ。その時その部屋にいたのは私と、頭がぐちゃぐちゃに潰れた従兄の死体だけ。誰の声なのかは分からない。けれど、その声は私に問いかけた。『蘇生か、病死か、どちらか選べ』……ってね」
――あれは、悪魔の声だったのかもしれない。彼女は付け足すように、呟いた。
「……迷ったわ。このまま『見殺し』にするのか、それでも私は人間なのかって。けれど私が殺人未遂犯になったら? その原因は自分だと、妹は思うに違いない。そうなったら、妹は? ただでさえ、従兄のことで塞ぎこんでる妹は? ……なーんて、ね。こんなのは綺麗な言い訳。本当は、怖かった。自分の犯した罪が、世間に広まるのが怖かったのよ。――そして私は、隠蔽することを、……『見殺し』を選択した。その結果、」
彼女は僕の顔を見つめる。まるで、目に焼き付けるかのように。
「――見殺しを選んだ結果、私は、『私の存在』を消されてしまった」
目に焼き付けて、僕の存在を、忘れないために。




