07
僕の言葉を聞いても、雪さんの顔は変わらなかった。驚くわけでも、喜ぶわけでもない。
「……小村仁志を蘇生させる。それが、君の出した答え?」
僕は無言で頷く。小村の名前を呼ぶ母親の声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
「蘇生をすると、君は一生、殺人未遂の罪を背負うことになる。世間から冷たい目で見られるようになる。もしかしたら、小村君に復讐されるかもしれない。……それでも?」
「それでも」
僕は、雪さんの顔を見上げる。彼女の視線から、目を逸らさないように。
「それでも僕は、生き返らせる方を選びます。――人を殺しておいて、生き返らせますなんて……都合のいいこと言ってるのは分かってます。自分勝手だってことも。それでも、生き返らせることができるのなら」
できるの、なら。
「……小村仁志を、生き返らせてください。僕は死ぬまで、償い続けます」
「――本当にいいのね? それで」
最後の確認。僕が頷くと、彼女は頬を緩めた。
「契約成立ね」
彼女の言葉と同時に、周りの景色が歪んだ。
歪んだ視界が、輪郭を取り戻す。そこは人気のない夜の河原で、
「う……うぅ……」
腹にナイフが突き刺さった状態で倒れ、呻いている小村が目の前にいた。
「……え?」
僕の手には少しだけ血がついていて、――けれどナイフは握られていない。『僕が知っている話』だと、小村の腹に突き刺さったナイフを抜いた途端に出血量が増えて、手が真っ赤になって、それで……
「小村君のズボンのポケットに、ケータイが入ってる」
背後から、聞き慣れた声が聞こえてきた。僕はゆっくりと振り返る。
「それで救急車を呼んで。大丈夫、モタモタしても十分間に合う。大きな血管を傷つけてるわけじゃないし、傷はそんなに深くない。――まあ、かなり痛いだろうけど」
そこにいたのは雪さんで、……やっぱりいつもの服を着ていた。ただ、左手に握られていた牛乳瓶だけは、なくなっていた。
僕は急いで小村のポケットから携帯を取り出すと、救急車を呼んだ。あれこれ訊かれるものの、上手く答えられない。「とにかく早く来てください」と言い続け、通話を切った。
その様子を後ろで見ていた雪さんは、ふっと息を吐いた。白い息が、空気に混ざる。
「森野君。君なら、『蘇生』を選んでくれると思ってた」
僕はもう一度、雪さんの顔を見る。
彼女は、前に見た時と同じ、保護者のような目をしていた。
「……どうしてそう思ったんですか。僕が蘇生を選ぶって」
「――そう訊いてくる段階で、よ」
彼女はくつくつと笑う。
「思わなかった? 殺人未遂犯として冷たい視線の中を生きるよりも、『病死』として丸く収めた方が、遥かに楽だって」
「…………」
「大体の人はね、そう考える。――……怖いのよ。罪を犯したことで、自分が世間から『はみ出る』のが。だから。……たとえ『殺人者』になっても、その事実を知っているのが自分一人だけになるのなら、殺人者を選んだほうが都合がいいと考える」
「――そんな、だって……」
「そう。なのに君はそうやって、うじうじ悩んでたでしょう? その段階で、『ああ、きっとこの子は蘇生を選ぶだろうなー』って、予想できてた」
何もかも、見透かされていた。
彼女は微笑み、小村の方へ目をやった。――小村の呻き声が聞こえなくなっていることに気付き、僕は焦る。
「大丈夫。ショックで気絶してるだけ。君は蘇生の道を選んだ。だから小村君は死なない」
雪さんはそう言うと、夜露で濡れた草むらに腰を下ろした。服が汚れることなど、気にも留めていないようだった。
彼女は体育座りをして頬杖をつくと、
「契約は完了。ということで、対価の件だけど」
少しだけ首をかしげて笑った。僕の喉が、ごくりと鳴る。
「君が選んだ『蘇生』の対価はね。……君が言ったこと、そのままよ」
「――え?」
「生きて償う。それが、対価。……蘇生させたとはいえ、君は一度人を殺した。その事実は、重い。だから君には死ぬまで、『小村君を殺した罪』を償ってもらう。蘇生の対価はね、『自殺権の放棄』なの」
「……自殺権?」
僕が小首をかしげると、雪さんは目を細めた。
「生きて償う。それはつまり、『寿命まで死なずに』償い続けるということ。――だから君はもう、『自殺する』という権利を失った。君がどんな手段を取ったとしても、その自殺は確実に失敗する。……なんなら、試しに首でも吊ってみたらいいわ。息苦しいだけで、自分の身体がぶらぶらーっと揺れるだけで、全然死ねないから。――……相当惨めな気分を味わえるわよ」
悲しそうに笑う彼女。なのに、何故か嬉しそうにも見えた。
「……もしも」
僕は肩を震わせながら、雪さんに尋ねる。肩が震えるのは、寒いからなのか、それとも。
「もしも、『見殺し』を選んでいたら、――対価はなんだったんですか」
彼女は俯き、目を閉じる。それから大きく息を吐いて、
「――人の命は重い。なのに、簡単に消すことができる。……なんでだろうね」
顔をあげた彼女は、笑っていた。
「森野君。私はね」
彼女は頬杖を突くのを辞めて、両腕で膝を抱えた。まるで、何かを守るみたいに。
「私は、『見殺し』を選んだ人間なんだ」