05
「おはよう、森野君。まだ迷ってるみたいだねー」
泣き腫らした僕の目を見て、雪さんは笑った。瞼が酷く腫れているせいで、目をあけることすら困難な僕は、彼女の顔を睨み返すこともできない。睨んだところで、相当間抜けな顔になるだろうとも思う。
雪さんは今日も、茶色のコートに黒のブーツだ。……ファッションには興味のないタイプなのだろうか。僕は家の鍵を閉めると、わざと人通りの少ない道を歩き始めた。当たり前のように隣を歩く彼女に、僕は問いかける。
「……僕みたいな客は久しぶりって言ってましたね。他の客は、迷ったりしないんですか」
「迷うといえば迷うけど、森野君ほど悩まないわ」
彼女は僕の顔を見てもう一度笑うと、
「――本当はもう、あなたの中で答えは出てるはずなんだけどね」
白い息を吐き出しながら、そう言った。僕は眉をひそめる。生き返らせるか、見殺しにするか。僕はまだ決められていない。それなのに。
「僕の中で、答えが出ている……?」
彼女の顔を見上げる。彼女はもう、笑っていなかった。
「ええ。そうやって泣いて迷ってる段階で、答えは出てるの。――今の森野君に必要なのはね、」
――勇気。
授業中にもかかわらず、僕は雪さんの言葉を思い返していた。ノートの端に、『勇気』と書いてみる。……彼女の言う勇気は、一体なにを指しているのだろうか。
人を殺したことを認める勇気。
小村を生き返らせ、殺人未遂犯として生きる勇気。
母も何もかも、捨てる勇気。
――見殺しにする、勇気。
「……どれだ?」
僕がぼそりと呟くと、前に座っていた女子生徒の肩がびくりと震えた。
小村仁志。
近所では有名な『悪ガキ』。不良ともいう。
万引きは当たり前、恐喝も当たり前、いじめは趣味。
ただ、一緒につるんでる『悪ガキ』たちの中では、気さくで面倒見がいい奴だと評判。
補導された仲間を助けるために、警察と喧嘩したこともある。らしい。
僕は、自分が知っている限りの小村の情報を並べてみて、ため息をついた。……ろくな情報がない。評判がいいのも、仲間内だけだ。
……やっぱり、もういいんじゃないのか。
見殺しにしてしまっても。
「おっ。おかえり、森野少年」
いつも通り校門前で僕のことを待ち構えていた雪さんは、右手にあんぱんを、左手には牛乳(しかも瓶入り)を持っていた。開いた口がふさがらないというかなんというか、
「……ずいぶん古典的なことをしてますね」
「そう? この組み合わせは最強だと思うのよ。あ、牛乳いる? 身長伸びるよ」
飲みかけの牛乳を差し出されて、僕は首を振った。あんぱんに噛りついている彼女を置いてけぼりにして、僕はさっさと歩きだす。彼女は慌てて、僕の後ろを追いかけてきた。……あんぱんを、くわえながら。
「……パン食い競争ですか?」
「ちがうちがう。『いっけない! 遅刻しちゃう!』っていうシチュエーション。角を曲がったら、素敵な男性とぶつかるパターンね」
だからどうしてそんなに古典的なんだ。
あんぱんをくわえた雪さんから目を逸らして、僕は歩く。
「……で、どこに行く気?」
自宅とは逆方向に向かっていることに気付いた雪さんが、首をかしげながら尋ねてくる。僕は彼女の顔を一瞬見てから、
「――小村の家に」
我ながら情けないくらい小さな声で、言った。彼女が、先ほどよりも首をかしげる。
「なんでまた、彼の家に?」
「――……なんとなく」
なんとなく、小村の家に行くわけがない。僕が彼の家に行こうとしているのは、――謝るためだ。彼と、彼の家族に。……心の中でだけ、謝るために。
「雪さん。僕は多分、今日中に『答え』を出します。蘇生か、見殺しか」
多分というか、僕の中では既に答えは決まっていた。
僕は、小村を。
「――そう」
彼女はうっすらとほほ笑むと、あんぱんの最後の一口を頬張り、……激しくむせた。