04
いつもよりも大分早く、母が仕事から帰ってきた。早くといっても、夜の九時過ぎだけれど。
「守! ニュース見て……。あんたは大丈夫なの!?」
開口一番、これだ。僕はめまいを感じながら頷いた。母は乱れた髪を整えようともせずに、僕のもとへと近寄ってくる。僕の手を握る母の手はあかぎれが酷く、そして冷たかった。
「小村君って、守のクラスメイトじゃないの。それが、その、殺されたって聞いて……。お母さん、びっくりして」
「大丈夫だから」
僕が力なく笑うと、母は涙目でため息をついた。
「……ねえ、守。しばらく、学校を休んでもいいんだよ? 外に出るの、怖いでしょう。犯人はまだ捕まってないっていうし、どこにいるかも分からないんだから……」
心底心配している母の顔を直視できず、僕は母の手を見ながら笑う。
「――大丈夫だよ。どうせもうすぐ春休みになるし。犯人も、……犯人も、きっとすぐに捕まるって」
まさか僕が。
まさか僕が犯人だなんて、言えるはずが、なかった。
このまま小村を『見殺し』にすることを選んだなら、僕はこれからもずっと、この罪悪感を背負って生きていくことになる。たとえ、世間がその『殺人事件』の存在を忘れてしまったとしても。
僕が殺人犯だという事実は、変わらない。
エゴだ、と思う。周囲の人から殺人犯扱いされることなく生きていけるくせに、殺人犯だという事実が『自分の中から消えない』ことを嘆くなんて。
本当に生き返らせることができるのなら、そうするべきなんじゃないのか。たとえ殺人未遂の罪に問われ、周囲から白い目で見られるとしても。誰も殺さずに済むのなら、そちらの道を選んだほうが、まだ。……人間と、して。
「守はね」
母の声に、僕は現実に引き戻される。母は泣きながら、僕の手をさすっていた。
「守はね、お母さんにとって大切な子なんだ。だからどうか、どうかこのまま……」
――だめだ。もしも僕が殺人未遂犯になったのなら、このままじゃいられなくなる。僕だけでなく母だって、皆から冷たい目で見られるに違いない。だとしたら、小村のことは『病死』にしてしまった方が……。
「――ごめん母さん。今日は疲れちゃったから、もう寝るよ」
僕は早口でそれだけ言うと、母の顔も見ずに自室へと駆け込んだ。
このまま。
このままでいる道を選ぶのなら、『病死』にするべきだ。
そうすれば、母を悲しませずに済む。
僕が人を殺したと、傷つけたと知ったら、母はどれだけ悲しむだろうか。
そうだ。僕が小村を殺したという事実は、僕の中にだけ留めておけばいい。
僕一人で償えばいい。そうすれば、全てが丸く収まるんじゃないか。
――ゴトンと音を立てて、本棚からアルバムが落下した。小学校の、卒業アルバムだ。個人写真のページが開かれた状態で、床に落ちている。僕は棚に戻そうと手を伸ばして、……小村の写真に目がいった。機嫌の悪そうな表情。こちらを睨みつけているように見える写真。その写真が、
『今ならまだ、俺を殺さずに済むのに』
小村の写真が、喋ったように見えた。小村の写真は無表情のまま、口を開く。僕は、目が離せない。
『今ならまだ、蘇生させることができるのに。見殺しかよ。――この、ヒトゴロシ』
「うっ……」
僕は口元に手を当てて、小さく呻いた。小村の写真の上に、僕の涙が零れおちる。
――そうだ。雪さんの話が本当なら、今ならまだ、小村を助けることができる。それを僕は、見殺しにするのか? 僕は。……僕は。
殺意がなかったわけじゃない。けれど、殺すつもりは、なかったんだ。
生き返ったら、小村は僕に復讐しようとするだろうか。僕は、殺されるだろうか。
『ヒトゴロシ』
小村の写真がもう一度、僕に向かって吐き捨てた。僕は慌ててペン立てから黒の油性マジックを取り出すと、小村の写真を塗りつぶそうとして、――手を止めた。
写真を塗りつぶす。存在を消す。……小村を殺す。
僕、が?
『ヒトゴロシ、ヒトゴロシ、ヒトゴロシ……』
僕は勢いよくアルバムを閉じると、小村の血がこびりついていた自分の左手を黒く塗りつぶしながら、咽び泣いた。