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蘇生屋  作者: うわの空
1/10

01

 人を殺した。――ひとを、ころした。



 ナイフを抜かなければ、助かったんだろうか。

 奴の傷口からあふれ出る血を見ながら、僕の手の中にある真っ赤なナイフを見ながら、そんなことを思った。

 ピクリとも動かない奴の身体を、つま先で蹴ってみる。けれどやっぱり反応がない。恐る恐る、奴の首に手を当てて、脈拍を確認した。――いや、確認できなかった。


「……死んで、る」


 耐えきれなくなった僕は物陰に移動し、激しく嘔吐した。



 ――どうして。どうして、こんなことになったんだろう。



「大丈夫?」


 背後から急に声をかけられて、僕はとび跳ねんばかりに驚いた。口元を拭いながら、ゆっくりと振り返る。――そこには、見知らぬ女性が立っていた。二十五、六歳だろうか。長い黒髪が、風のリズムに合わせて揺れている。

 彼女はうっすらと笑みを浮かべ、こちらを見ていた。……まるで、幽霊みたいに。

 僕は死体の方に目を向けないよう注意しながら、頷いた。


「……だ、大丈夫、ですから」


「見てたよ、全部」


 僕は目を見開く。……見てたって、それは、僕が、


「人を殺したでしょう。ナイフで」


 そう言われて、僕はもう一度、胃の中のものを吐きだした。





「よお、森野。またちょっと金貸してくれよ。二万でいいからさあ」


 放課後、捕まらないようさっさと帰ろうとしていた僕の前に、小村が立ちはだかった。学年で一番背の低い僕にとって、小村は巨漢だ。一歩後ろへ下がる僕を見て、小村は笑った。


「いいよなあ?」


 小村の家は、お金に困っているわけではない。むしろ困窮しているのは、僕の家の方だ。父は身体が弱く、今は入院している。母は毎日、朝から晩まで休みなく働いて、それでも苦しいくらいなのに。

 貯金していたお年玉は、すべて小村に吸収された。中学生の小遣いなんて、高が知れている。二万円なんて、用意できない。母の財布からお金を抜くなんて、そんなことは……。


「――もう無理だよ」


「ああ!?」


 小村に胸ぐらを掴まれて、一瞬息ができなくなる。「ぐっ」と声を漏らす僕を見て、小村は声をあげて楽しそうに笑った。僕の胸ぐらを力任せに引っ張り、顔を近づけると


「二万だぞ。いつもの場所に持ってこい。夜の九時だ。遅れたら殺すからな」


 そう言い放ち、僕の鳩尾みぞおちに蹴りを食らわせた。



 小村を殺す。そんなことを考えていたのは確かだ。

 だからこそ僕は、約束の場所――人気ひとけのない河原――にお金は持っていかず、代わりに果物ナイフを持っていった。


 ――違う。本当はただ、ナイフで脅すつもりだったんだ。

「これ以上金を要求してくるな」って、そう言えたらよかった。





「なのに小村君が突っ込んできて、揉み合ってるうちに刺しちゃったわけだ」


 胃液まで吐きつくした僕を見て、見知らぬ女性は腕を組んだ。口元は笑っていて、けれど楽しそうではなかった。苦しむ子供を見守る保護者のような、目。

 僕は女性の姿をもう一度確認する。嫌な言い方になるが、ぱっとしないグラビアアイドルのような顔だ。丈の長い茶色のコートに、黒のブーツ。……身長は、百六十センチほどだろうか。それでも、チビの僕からすれば大きく見える。


「……あなた、なんなんですか」


 四つん這いになっていた僕はのろのろと立ち上がりながら、女性を見上げた。


「私?」


 彼女は腕を組んだ体勢のままでしばらく考えた後、


「――蘇生屋そせいや、とでもいっておこうか」


「……そ?」


 聞きなれない単語に、僕は首をかしげた。彼女は、ここからは見えない小村の死体の方を見ながら、白い息を吐く。それから僕の方に視線を戻し、微笑みかけた。菩薩のようで、けれど背筋が寒くなる、微笑。

 ゆっくりと。けれど間違いなく、彼女はこう言った。



「――彼、……小村君だっけ? 生き返らせてあげようか」



「え……」


「生き返らせてあげる。あなたが望むのなら、ね」


「……あなた、お医者さんなんですか」


 僕の質問がよほど間抜けだったのだろう。彼女は声を押し殺してくすくすと笑った。


「私が医者? まさか。彼はもう死んでるわ。普通の医者なら、生き返らせることはできない」


「それじゃ、あなたは……」


「蘇生屋」


 先ほど言っていた聞きなれない単語を、彼女はもう一度口にした。


「私はね、死者をよみがえらせることができるの。ただ」


「……ただ?」


「恐らく、あなたが思っているような蘇生ものとは違う。……甦らせるって、あなたの中ではどういうイメージ?」


 訊かれて、僕は黙り込んだ。いきなりそんな非現実な話を、しかもこんな混乱している時に問われても、答えられるはずがない。

 そのことに気付いたのか、それとも僕の想像力のなさにあきれたのか、彼女は続きを話し始めた。


「時間を巻き戻したみたいに小村君がすんなり生き返って、いつも通りの平和な日常が戻る。そう考えるかもしれない。――けれど、私の力で小村君を生き返らせても、そうはならない。『あなたが小村君を刺した』という事実は消えないし、『小村君が死んだ』という事実は『小村君は死にかけた』という事実に変わるだけ。――つまり、小村君を生き返らせたとしても、あなたの罪が消えるわけじゃない。……そうね。小村君を蘇生させたなら、あなたの罪状は殺人未遂かな? ああ、あと、銃刀法違反?」


 それから、と付け加えるように彼女。


「小村君を生き返らせた場合、当然だけど小村君には『あなたに刺された』記憶が残っている。……報復とか復讐とか、あるかもね」


 僕の顔から、さあっと血の気が引いた。小村を生き返らせたら、僕が小村に殺されるかもしれない。

 僕の反応を見ていた彼女はやがて、挑発的な笑みを浮かべた。


「――もうひとつ、あなたには選択肢がある。『小村君をこのまま蘇生させない』こと」


「……それだと、僕は殺人未遂じゃなくて殺人者だ」


 だったら蘇生させたほうが、まだマシじゃ――


「いいえ」


 僕の言葉をさらりと否定した彼女は、目を細めた。


「私、物事を隠蔽いんぺいしたり改竄かいざんしたりするのも得意なのよ」


「それって、どういう……」


「あなたが『このまま小村君を殺す』、つまり蘇生しない方を選択した場合は、『あなた以外の全ての人』の記憶を操作してあげる。そうね……。小村君は『殺人』ではなく『病死』だったことにしましょうか。そうすれば誰も被害者にはならないし、加害者にもならない。あなたも、世間から殺人者として見られることはない。……『小村君が殺された』という真実を知っているのは、あなただけになるわ」


 言葉を失う僕に、彼女は笑いかける。


「――小村君を生き返らせるのか。このまま殺すのか」


 菩薩のようで、般若のような、笑顔。


「世間から殺人未遂犯として見られるか。自分の中でだけ、殺人の罪を背負うか」


 彼女はその笑顔を、僕に向けた。それは救いなのか、それとも


「選んで」


 ――罠、なのか。



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