幸福の宝玉
始まりは突然の帝国の王国への侵攻であった。
軍事演習の名目で集められた兵が一気に国境を越え、王国へなだれ込んできたのだ。
突然の事に王国は成す術無く一気に国境付近は占領された。
兵力は帝国が圧倒的。
例え王国が万全の態勢であっても帝国には敵わなかったであろう。
しかし、それでも王国の兵は一矢報いようと戦闘の準備をしていた。
そんな折、帝国から使者が王国へ遣わされる。
『停戦』・・・使者は長い文言の中にその言葉を口にしたのだ。
「お初にお目にかかります。女王陛下。私は帝国軍将軍、ガストと申します。陛下におかれましてはご機嫌麗し・・・」
「よい」
形式だけはちゃんと整えようと、武器をチラつかされていては興がさめるもの。
まして人目を避けての夜陰にまぎれての会談。
女王は帝国軍の将軍に対し、その矜持を保持したまま問う。
「率直に言え。帝国の目的は何だ?」
ガストは深々と礼をした後、佇まいを正す。
「では、率直に申し上げよう。女王。貴国にある幸福をもたらすと言われる『白銀の雫』を所望する」
ガストの言葉に反応したのは女王では無かった。
その側に仕える者。
「そんな馬鹿な。『白銀の雫』は王国に伝わる秘宝。そんなものをそう易々と・・・」
「よかろう」
「女王陛下?!」
「キサン。国とは何だ?この石か?それとも私か?それともこの国に住む民か?このような石ころで多くの命が失われずに済む」
女王は自身がしていた首飾りを取り、キサンにその首飾りについた真紅の石を見せつけ、言い聞かす。
「そうであるな?」
「もちろん。帝国は約条を守る。私の言葉に嘘偽りはない」
女王は将軍のその言葉を聞くと、首飾りから真紅の石を引きちぎり、将軍に投げつける。
将軍はなんなく受け取ると、その石を眺めた。
「これが?」
「その通り。それで軍を引くのだな?」
「ああ、我が名に懸けて」
「真贋は問わぬのか?」
「構わぬ。それらしきものが手に入ればそれでよい。こちらとしてもこのようなくだらぬ戦、望むところではないからな」
その後、将軍の言葉通り、帝国軍は王国からさん奪の魔手を引くこととなる。
こうして幸福をもたらすと言う王国の秘宝『白銀の雫』は帝国の手に落ちた。
しかし、『白銀の雫』は帝国に幸福を運ばなかった。
それどころか凶報ばかりが帝国中を席巻したのだ。
皇帝の崩御、続いて次々と起こる皇族の伝染病による訃報、仕舞いにはまるで初めから決めてあったかのような支配下にあった国々での独立の蜂起。
ついに帝国は滅びを迎えるのであった。
「では、貴国は何も望みはしないと?」
「はい。元より我が国は帝国が憎くて戦ってきたのではありません。我が国の領土を守るため。ならば、その領土さえ保障していただければ他に何を望みましょう?」
それは戦後処理での会合の場。
帝国を討ちて後の世のイニシアチブを取ろうと各国が躍起になっている最中、王国の女王はその身を引いた。
「私達の手はこの両の手しかありません。故にすくえるものもこの両の手の分だけ。多くを望んだところで、この手から溢れるばかりでございます」
「御高説痛みいる。しかし、そんなもので世が治まるのか?そのような戯言、愚民の前だけでしてもらおう」
「誠にお言葉通り。確かに私はこの場にそぐいませぬ。では、私はこれにて」
そう言って、女王は紛糾する会場を後にした。
「女王陛下。ございました。『白銀の雫』です」
足早に会場を後にしようとする女王にキサンは近寄り、手にしていた『白銀の雫』を女王へ手渡す。
伝国の秘宝を手にして、女王は目を細める。
「程よく血を吸ったようだな」
「帝国には悪い事をしました」
「なに、気にするな。『白銀の雫』は人々に幸福を与える秘宝。だが、無尽蔵に幸福を与えるとは誰も言ってはおらぬ。これはただの入れ物にしかすぎぬ」
そう女王に言われてもやはり心が痛むキサン。
「なぁ、キサン。少なくともこれで妾たちの代は幸福でいられるのだ。それでよいではないか?」
女王の魔性の笑みにキサンの心臓は高鳴る。
後ろめたさと熱情の狭間で、キサンの心は揺れ動く。
女王の手の中には白銀に輝く宝玉の姿があった。