狩る者達
森林を駆け抜ける二つの影があった。それに続くように、複数の影が追いかける。
「ちょっと、追いつかれるわよ!!」
「分かってる!! 喋ってる暇あったら走れ!!」
武器を背負った男女が激しい言葉を交わしながら、鬱蒼とした森を駆け抜けてゆく。やがて前方に終わりが見え、まばゆい光が差し込んだ。
森を抜けた二人は安堵の表情を見せる。しかしそれも束の間、あっという間に周囲を取り囲まれてしまう。二人の周りには狼型のモンスターが集まり、蟻一匹這い出せないほどの強固な包囲網が敷かれた。
「ちっ……。しかたねぇ……」
男はそう呟くと腰から信号銃を取り出し、手慣れた手つきで装填して空へ打ち上げる。小気味よい発射音の後、遥か上空へオレンジ色の煙が立ち昇った。
「ついでに赤も撃っとく? すぐに駆け付けてくれるかもよ?」
「んなわけにいくか……! 恥の上塗りにしかならねぇ……!」
「下級で恥なんて気にしてもしょうが無いでしょ!!」
女の反論に、男は「ぐっ……。それは……」と言葉を詰まらせる。
それを肯定と受け取った女は、自身の信号銃に弾を装填し、オレンジに続いて赤の発煙弾を打ち上げた。
「さて、あとは待つだけ……。そう言いたいけど、無理そうね……」
「みたいだな」
二人の眼前には、ヨダレを垂らしながら今にも飛びかからんとするモンスターの姿があった。そのさらに奥には、一目でリーダー格と分かる巨大な個体が控えている。
そんな絶望的な光景を前に、二人は背中の武器を構えながら互いに愚痴をこぼし合う。
「あんたのせいよ。群れ同士の争いに『一石二鳥だ』とか言って突っ込んで……。結局、返り討ちじゃない……!」
「仕方ないだろ! 片方のボスを倒せば、もう一方は離散すると思ったんだよ! 残った方のボスが《《群れの残りをまとめるなんて》》、俺だって予想できるかよ!」
「はぁ……、まったく……。そんなんだから、貴方はいつまで経っても中級に上がれないのよ」
「おい! 今その話は関係無いだろ!!」
男が声を張り上げた瞬間、それを隙と見た一体のモンスターが襲いかかる。しかし、男はそれを一蹴するように一閃を放ち、一撃のもとに切り裂いた。
「っち……。言い合いする暇すら無いか……」
「流石にね……」
女が同意し、二人は示し合わせたように互いの背中を合わせる。
「《《もしもの時は》》、俺が活路を開く。その隙に……」
「馬鹿ね。最後まで戦うわよ、《《一緒にね》》。アンタが背中、守ってくれるんでしょ?」
女の言葉にハッとした男は、一度目を閉じ、決意を秘めた眼差しで再び前を向いた。
戦う覚悟を決めた二人のハンターが、牙を剥く群れに立ち向かおうとしたその瞬間――彼らとモンスターの頭上を、いくつかの影が猛スピードで通り過ぎた。
「な……」
男が素っ頓狂な声を上げると同時に、包囲の一角で轟音と共に土煙が舞い上がる。凄まじい衝撃の中にモンスターの悲鳴が混じり、煙の中には霧散していく光の粒子が舞っていた。
「な、何なのよ……。新手……?」
女が動揺の声を漏らす中、二人は警戒を強めながら土煙の奥へと目を凝らす。やがて視界が晴れると、そこには一人の男と二つの小さな影が佇んでいた。
「あ、あんたは……」
男の視線の先には、霧散するモンスターの粒子を纏うように立つ、大剣を背負った褐色肌の青年がいた。
そのすぐ側には、亜人の一種である獣人のコボルト。そして、ガルダンと呼ばれる騎乗獣の姿がある。
「無音の……、アベル……!」
女がその名を呟いた。
「なんというか……。助けを求めといて言えることじゃないが……。早すぎるし、想像以上だ……」
男が呆然と口にすると、アベルと呼ばれた青年は不思議そうに首を傾げた。
呆気にとられていたのは人間側だけでなく、モンスターたちも同様だった。アベルの突然の登場は完全に想定外だったようで、群れの動きがぴたりと固まっている。
「グウォン!!」
静寂を破るように、リーダー格のモンスターが低い唸り声を上げる。二人のハンターは視線をボスへと戻した。
それと同時に、モンスターたちも包囲の穴を埋めるように動き出す。その時、二人の間に素早くコボルトが入り込んだ。
「ご主人のお言葉だ。活路はコチラで切り開く。《《ボスだけを狙え》》」
二人のハンターは一瞬呆気に取られたものの、すぐに顔を見合わせると、男が力強く答えた。
「これ程の援軍は無い! なら脱出は無しだ! いいな!」
「ええ!」
女も呼応し、アベルに背後を預ける形でボスを鋭く見据える。そんな二人の姿を見て、アベルは小さく微笑んだ。
しばらくして、呼吸を整えた二人のハンターは、互いに頷き合うと同時に地を蹴った。その動きに反応し、周囲のモンスターも追走を開始する。
やがて、進路を塞ぐように数体のモンスターが立ちはだかった。しかし、そのわずかな隙間にアベルが割り込む。
アベルの神速の動きに驚きつつも、二人は全幅の信頼を寄せて足を緩めない。
その期待に応えるように、大剣を構えたアベルが横薙ぎの一閃を放つ。たった一度の薙ぎ払い。それだけで、ボスを残した前方のモンスターが一瞬で一掃された。
「すげぇ……、これが特級……」
「感心してる場合……!?」
男が声を上げた瞬間、視界の端から別のモンスターが迫る。
対処すべきか逡巡した刹那、その個体は横から飛び込んだコボルトによって瞬時に仕留められた。
「ボスに集中しろと言った。二度は言わない」
その言葉にハッとした男が反対側に目を向けると、隣を走る女を守るように並走する騎乗獣の姿があった。
「あ、ああ、分かった」
改めて覚悟を決めた二人のハンターは、ただ正面のボスだけを見据えて走り続ける。
ボスを守ろうと周囲を固めるモンスターたちを、コボルトと騎乗獣が次々と蹴散らしていく。やがてボスを射程内に捉えた二人は、合図もなく、まるで息をするかのように自然な連撃をすれ違いざまに放った。
「グオォォォ!!」
一瞬の断末魔を残し、ボスモンスターは地に倒れ伏す。その巨体は瞬く間に粒子となり、空気中へと霧散していった。
「な、なんとか……、なったのか……?」
「そう……、みたいね……」
結末を見届けた二人は、大きな息を吐き出すと同時にその場へへたり込んだ。そこへ、コボルトが静かに近づいてくる。
「今回は偶然、ご主人がいたから助かった。次も同じ事が起きるとは思わないことだ」
冷徹にそう言い残すと、コボルトは騎乗獣を連れてアベルの元へと戻っていった。二体の後ろ姿を視線で追うと、ぽつんと立つアベルの姿が映る。
彼の周囲にはモンスターの影すらなく、微かに漂う光の粒子だけが、そこに敵がいたことを示していた。
「一体も残さず全部……。これが特級……」
「私たちと比べるまでもなく、次元が違うわね……」
二人が漏らした驚嘆の声を知ってか知らずか、大剣を背に収めたアベルは振り返り、爽やかな笑みを浮かべてサムズアップしてみせた。
それからしばらくして、二人のハンターと別れたアベルは、コボルトのロコ、騎乗獣のオボロを連れて仲間の元へと合流していた。
「おっ、戻ってきたか。アベル」
巨大なガントレットを背負った、髭を蓄えた大男――グンナルが手を挙げ、申し訳なさそうなアベルを出迎える。
「まったく、いきなり飛び出したかと思えば……。少しは、置いていかれた側の気持ちも考えてくださいな、アベル」
二本の双刃剣を背負った女性――セレスが、美しい金髪をなびかせながら丁寧な口調で苦言を呈した。
「別に、アベルならいつものことでしょ。それより早く帰りたい」
腰の後ろに双剣を差した赤毛の少女――エイラが、退屈そうにあくびを噛み殺しながら言い放つ。
彼らと合流したアベルは、それぞれが従えるガルダンと共に、拠点への帰路についた。
アベル一行が開けた草原を進んでいくと、山を切り裂いたような巨大な峡谷が見え始める。
やがて峡谷の入り口へとたどり着いた一行の前に、古びた防壁が姿を現した。崩れかけた石造りの壁を、半ば無理やり木材で補強したような心許ない作りをしている。
一行がその防壁を潜り、内側へと足を踏み入れた時、声をかけられた。
「お~い。帰還したならここに記入してくれ」
衛兵の一人が書類を掲げると、アベル以外の面々が一瞬、露骨に嫌そうな顔をする。
「そんな顔されても決まりだからな。頼むよ」
「仕方ねぇ……。アベル、頼むわ」
グンナルがそう言ってアベルの背中を押すと、アベルは抗議を込めた視線を返した。
「なんだよ、その目は。リーダーなんだから、それくらいやってくれよ」
「アベルってリーダーでしたっけ?」
セレスが隣のエイラに問いかけると、「さぁ?」と、あくび混じりの適当な返事が返ってくる。
そんなやり取りを余所に、アベルは渋々といった様子で衛兵の差し出した書類にペンを走らせる。その光景を遠巻きに眺めながら、グンナルはある疑問を口にした。
「必要なのか? あれ……」
心底興味のなさそうな声色で、「さぁ?」とエイラが応じる。
二人の呆れるようなやり取りに、ため息をついたセレスが口を開こうとした瞬間、背後から硬質な声が響いた。
「必要な事だ。お前たちの無事を確認する為にな」
「おっ、防衛隊長じゃん」
防衛隊長と呼ばれた中年の男が、防壁の詰所から姿を現す。
「珍しいな、試作兵装班が揃い踏みなんて」
「アベルの手伝いをな。あの馬鹿、特級依頼を一人でやろうとしてたからな」
「はは、アイツらしいな」
防衛隊長と親しげに言葉を交わしながら、グンナルは先ほどの疑問を重ねた。
「それで……。記入するのが、そんなに重要なのか?」
「まあな。お前たちクラスになれば、一日くらい行方不明でも心配無用だが……。中級や下級ともなると、流石に捜索隊を出さなきゃならんからな」
「そんなもんか?」
グンナルの適当な返しに、「呆れますわね……」とセレスが声を漏らす。
「どうやら終わったみたいだな」
防衛隊長が視線を向けた先には、小走りで駆け寄ってくるアベルの姿があった。
「アベルも戻ってきたし、一杯やりてぇし、さっさと帰ろうぜ」
「貴方は口を開けばいつもそれですわね」
「いいだろ別に、俺の生きがいなんだから」
「どうでもいいけど。さっさと帰りたいのは同意」
三人がそんな会話を交わしているところへ、小柄な女性が慌てた様子で防衛隊長の元へと駆け込んできた。
「ちょうどよかった……。防衛隊長、聞きたいことが……」
白衣を纏った女性は、激しく息を切らしながら声を絞り出す。
「研究局の小さいのじゃん」
「失礼ですわよ、エイラ。それに『大きいほう』など居ないでしょうに……」
エイラの不躾な言動にセレスが呆れていると、女性はアベルたちに気づいて声を張り上げた。
「試験班! ちょうど良かった。うちの連中を見てないか!?」
「研究局の方々を……、ですか……?」
「ええ、以前、貴方方も捕獲に協力したドラゴン。それを解放する為に、ここで一度合流する手筈なのに……。こうなるなら、私が責任者として立ち会っておけば……!」
頭を抱える女性に、部下との確認を終えた防衛隊長が「落ち着くがいい、ステラ女史」と静かに声をかけた。
「コチラでも確認は取れていないが、何事もうまく運ぶわけでもない。最悪の事態を想定して然るべきだが、常に気を張っていては身が持たん。今一度、落ち着くといい」
防衛隊長の諭すような言葉に、ステラと呼ばれた女性は大きく息を吸い込み、「すみません……」とだけ呟いて呼吸を整えた。
「そうだぞ、落ち着かねえと」
隣で我が意を得たりと頷くグンナルに、「アンタは誰目線よ……」とセレスが心底呆れ果てる。
その時、遥か遠方の空から、不穏な黒色の発煙弾が上がるのが見えた。
その光景を目にした防衛隊長は、思わず苦い表情を浮かべると呟く。
「あー……。さっき言った事は忘れた方が良さそうだ」
「黒ってどういう意味だっけ? あんまつかわんから忘れた」
グンナルの疑問に、セレスが厳しい表情で答えた。
「黒はただひたすらに、緊急事態って意味よ。それに、他と違って装填しただけじゃ撃てない仕組みだから、誤射の可能性は低そうね」
その言葉を裏付けるように、峡谷全体を揺るがすほどの凄まじい咆哮が、辺りの岩壁に木霊した。
明らかな非常事態に、防衛隊長をはじめとした面々が慌ただしく動き出す。そんな中、グンナルが冷静な調子でアベルに尋ねた。
「さて、我らがリーダー様はどうされますかな?」
しかし、すでにそこにアベルの姿はなかった。そんな状況にも関わらず、グンナルは慣れた様子でぼやく。
「相変わらず、早いこった。で……、俺らはどうするよ?」
「面倒だから、いや」
エイラが即答する。
「アベル一人で事足りるでしょうが……。上級が揃いも揃って動かなかった、なんて事態は避けたいですわね」
セレスの言葉に、グンナルが「それだよなぁ……」と同意し、三人は一瞬考え込む。その時、背後の詰所から緊迫した会話が聞こえてきた。
「た、大変です! 防衛隊長! 今この時間、タリア教官が見習い達を連れて訓練中とのことです!」
その報告を聞いた瞬間、試作兵装班の目付きが変わった。互いに言葉を交わすまでもなく、三人は地を蹴って走り出す。
日の沈み始めた夕空には、事態の深刻さを物語るように、赤の発煙弾が次々と打ち上がっていた。
前部防壁を抜けた先にある峡谷道。そこからは道が二手に枝分かれしている。
一方は第五調査団の本拠地へと繋がる道。もう一方は、かつての闘技場だったとされる、光が差し込む開けた洞窟。そして、その先には海岸に面する訓練場があった。
緊急事態が起こる少し前――その峡谷道を、ドラゴンを乗せた牛車と共に進む者たちがいた。
「随分と遅れちまったな。局長、怒るだろうな……」
「そう思うなら、牛車を押すくらいはしろよ」
二人の研究員がそんな会話を交わしていると、片方が「へいへい」と不貞腐れながらドラゴンの頭の近くへと歩み寄る。
「よく寝てやがる……。しかし、せっかく捕まえたのにわざわざ解放するなんてな……。トドメを刺して、素材にしちゃえばいいのに。うちの局長ときたら……」
「そう言うな。モンスターと違って、《《一応は》》この星の固有種だからな。保護対象なのは間違いないだろうし……」
「それで食われちゃ元も子もないだろ……」
「確かにその通りだが、愚痴っても何も始まらないだろ?」
「へいへい、分かったよ」
研究員は不真面目そうに応じ、再び峡谷道を進み始めた。
それからしばらくして、巨体を横目で見ていた真面目な方の研究員が、ある異変に気づく。
「なんかコイツ、鼻息が荒くないか? 麻酔はちゃんと効いているのか?」
「ああ。それなら丁度、三時間前に一本打っておいたぞ」
不真面目な研究員が平然と口にすると、もう一人の顔が瞬時に青ざめた。
「お前、それ……! 一時間に一本打つヤツだぞ……!」
「はっ……?」
その言葉を証明するように、檻の中でドラゴンの巨大な瞳が見開かれた。
時を同じくして、ハンター見習いを引き連れたタリア教官は、海岸の訓練場にて指導を行っていた。
「一にも二にも、まずは体力。それが無きゃ話にもならない。さぁ、どんどん走れ!」
アスレチックとして整備された訓練場を、見習いの少年少女たちが息を切らせて駆け回る。その一角に、休憩を許可された数人の姿があった。
「はぁ……。キツイわね……、訓練」
「こんなんでヘコタレてたら、初級にすらなれねえぞ、マリエル!」
少女の呟きに、少年が腕を組みながら得意げに応じる。
「みんな、アンタほど単純じゃないのよ、ジョス」
マリエルと呼ばれた少女は、ジョスという名の少年にジト目を向けた。
ジョスが反論しようとした直後、二人の側に「もう無理……」と力尽きた声を漏らしながら、眼鏡の少年が倒れ込んでくる。
「ルノー。お前は相変わらず弱っちいなぁ」
「ぼ、僕も含め、必ずしも全員がハンターを目指しているわけではないのです……!」
「そうは言うが……。お前の場合、人並み以下だぞ。少しは鍛えようぜ?」
ジョスの言葉に反論できないのか、ルノーと呼ばれた少年は無言で地面にへたり込んだ。そんな三人に、タリア教官が歩み寄りながら声をかける。
「私から見れば、全員等しく未熟に思えるがな」
「き、教官……!」
タリアの気配にジョスが声を漏らすと、倒れ伏していたルノーも慌てて立ち上がり、三人は素早く整列した。
「素早い動きで結構。これからもそれを発揮するといい」
「はい! 精進します、タリア教官!」
三人は声を揃えて平伏するように答えた。その初々しい姿に、タリアは満足気に微笑む。
しかしその直後、凄まじい咆哮が峡谷道を伝って訓練場へと響き渡った。
「ひいっ……!!」
「な、なんだ!!」
「一体何が……」
見習いたちがそれぞれの反応を見せる中、訓練場の全員が咆哮の聞こえた峡谷道へと視線を向ける。
彼らの視界の先で、黒色の発煙弾が打ち上がり、続いて赤の発煙弾も次々と夜空へ昇っていった。
誰もが事態を飲み込めずに立ち尽くす中、ただ一人、タリアだけが冷静に声を張り上げた。
「全員集合!!」
その鋭い一喝に全員が身体を震わせ、ハッとした表情を見せた見習いたちがタリアの前に整列し始める。
「全員居るな!」
「問題ありません!」
先頭に立つジョスが代表して大声で答えた。
「よろしい! 緊急事態発生につき、速やかにこの場を離脱する。私語は厳禁! ただ私の後ろに付いてくるように!」
「はい! 教官!」
勢いよく答えた見習いたちは、胸の内の不安を隠しつつ、タリアの背を追った。
やがて訓練場の端にある崖下へと辿り着くと、そこには崖の上へと続く昇降用リフトがあった。タリアが手早くそれを手動で作動させる。
丁度その時、峡谷道の奥から二つの影がこちらへ走ってきた。
「タリア教官、ご無事でしたか……!」
声をかけてきたのは、中年の男性ハンターだった。その背後には、息を切らしながらしきりに後ろを警戒している若い男の姿もある。
「ブライト、グレン、丁度いい時に来た。私と一緒に背後の守りを頼みたい」
「そう言うと思っていましたよ。お任せあれ」
ブライトと呼ばれた男は、頼もしげに自身の胸を叩いた。
「き、教官はどうされるのですか……?」
一人の見習いが、不安げな表情で恐る恐る尋ねる。
「お前たちの背後を守る。リフトで上まで行ったら、そのまま拠点に戻れ」
タリアの断固とした言葉に、「で、でも……」と見習いの一人が声を漏らした。
そんな子供たちの様子を見たタリアは、ふっと表情を和らげて腰を落とし、目線を合わせて一人の頭を優しく撫でた。
「心配するな、これでもちゃんと鍛えている」
タリアがそう声をかけた直後、遠方から激しい轟音と土煙が巻き起こる。その音に、その場の全員が息を呑んで視線を向けた。
やがて土煙を切り裂き、防壁の一部と思われる破片を撒き散らしながら飛び出してきたのは、頭部に一本の禍々しい角を生やしたドラゴンだった。
それは地竜と呼ばれるドラゴンの一種であり、その特異な風貌から【一角竜】と呼称される危険な存在だった。
「くそ……。よりにもよって、こっちに来たか……。前部防壁に向かってくれりゃあよかったが……」
「ど、どうしますか……先輩……。自分、まだ下級っすよ……。ドラゴン相手なんて……」
「怖気づくな、グレン! やることは一つだ!」
弱音を吐くグレンに対し、ブライトが一喝して見習いたちを守るように立ち塞がる。
その後ろでは、不安の色を隠せない子供たちの様子を見つつ、タリアが歯噛みした。
「くっ……! リフトは……まだ来ないか……!」
そう呟いたタリアは、一度目を閉じると、覚悟を決めた様子で再び目を開いた。そして、リフトの脇に置かれていた訓練用の武器を手に取る。
「教官……」
タリアのその姿に、見習いの一人が声を漏らす。そんな声を背に受けながら、タリアは言い放った。
「大丈夫。先輩ハンターを信じろ」
タリアはブライトたちと並んで前線に立ち、その頼もしい背中を子供たちに示した。
ブライトの横に並び立ったタリアが、小声で囁く。
「悪い、ブライト。あまり戦力になりそうに無い」
「ええ、問題ありません。前衛は、私とグレンが受け持ちます」
ブライトの言葉に、グレンが思わず「ちょ……先輩……」と口にし掛けたが、その唇をブライトが素早く摘んで制した。
「そこまでだ。覚悟を決めろ、後輩」
完全に進退窮まった様子のグレンは大きく息を吐き出すと、複雑な表情のまま大剣を構えた。
その姿に満足したブライトは「よろしい」と頷き、続けて言葉を紡ぐ。
「時間稼ぎが出来ればいい。いずれ上級なり、特級なりが駆けつける」
「だと、いいんですが……」
そんな不安を漏らすグレンの視界の先で、何かを探すように首を振るドラゴンの巨体があった。
やがて何かを見つけた様子のドラゴンがピタリと動きを止め、怒りに満ちた瞳をある方向へと向ける。その獰猛な視線は、並び立つ三人のハンターと、怯える見習いの子供たちを完全に捉えていた。
「グオォォォ!!!」
天に向かって咆哮したドラゴンは、その一点を目掛けて猛然と駆け出す。
まだ麻酔の影響が残っているのか、その足取りは時折ふらつき、崖の壁面を激しく擦りながらも、鋭い角をタリアたちへと向けて突進してくる。
突進の勢いが増していく中、崖の上方に、ドラゴンと並走する一つの影が現れた。
「あれは……。アベル……!」
アベルの姿を見つけたタリアが、思わず声を漏らす。
直後、アベルはオボロに騎乗したまま崖の縁から躊躇なく飛び出した。
ドラゴンの直上に達した瞬間、オボロの背から跳躍。落下の凄まじい勢いを利用しながら、ドラゴンの脳天目掛けて大剣を突き立てた。
凄まじい轟音と衝撃波と共に、アベルはドラゴンの頭部を地面へと叩きつける。その圧倒的な光景を前に、タリアたちは呆気に取られた。
しかしアベルは攻撃の手を緩めず、大剣を突き立てたままの状態でグリップを力強く捻る。
「っ……!!」
大剣に備え付けられた砲身から至近距離で爆炎が放たれ、アベルもろともドラゴンの頭部を激しく包み込んだ。
「い、一体何が……」
グレンがそう口にする中、やがて黒煙が晴れ、激しく煙を上げるドラゴンの頭上に毅然と立つアベルの姿が現れた。
「誰でもいいから来てくれ……そう思ったが、想定以上だな、これは……」
ブライトは若干困惑しつつも、感心したように頭をかく。
「た、助かった……?」
グレンがそう呟き、手にした武器を下ろそうとした瞬間、ブライトが鋭く忠告した。
「油断するなよ、新入り」
ドラゴンから軽やかに飛び退いたアベルが、三人の前に背を見せるようにして立つ。その張り詰めた空気にハッとしたグレンは、慌てて武器を構え直した。
「それでいい。ドラゴンが《《あの程度で》》死ぬなどと思うな。首を落とされても、なお噛み付こうとする奴らだ」
ブライトの言葉にグレンは思わず息を呑み、倒れ伏したドラゴンへと視線を集中させる。
アベルもまた、大剣を構え直すように鋭く振り下ろした。カランと小気味よい音を立てて薬莢が排出され、彼の足元へと転がる。
その直後、閉じていたドラゴンの瞳が開き、その巨体をゆっくりと起こし始めた。
「今ので、完全に目が覚めたようだな……」
「みたいです……」
ブライトとグレンがそんな会話を交わした直後、背後でリフトが静かに地上へと到達した。
それを確認したタリアは「みんな乗れ!」と叫び、見習いたちを素早くリフトの中へと誘導する。
「教官も……!」
見習いの悲痛な言葉に、タリアは頼もしい笑みを浮かべて答えた。
「大丈夫だ。お前たちなら、無事に拠点へ戻れる」
タリアはその言葉を最後にリフトの鉄扉を閉めると、起動レバーを力強く引いた。ゆっくりと上へと昇っていく見習いたちを、彼女は静かに見送る。
一方、ドラゴンと対峙していたアベルは、ロコとオボロを引き連れて一気に攻勢へと転じていた。
ドラゴンの角による容赦のない突き上げ、そして巨体から繰り出される鋭い爪の猛撃。それらを紙一重で難無く躱しながら、アベルは的確かつ致命的な一撃を放ち続ける。
「し、信じられない……。ドラゴン相手に、あんな戦い方をするなんて……」
「参考にはならないだろうが、ちゃんと見ておけ。《《あれが特級の戦いだ》》」
グレンの視界には、ドラゴンという超常的な存在に対し、完全に圧倒する立ち回りを見せるアベルの姿が焼き付いていた。
それだけでなく、彼の供をするロコとオボロもまた、ドラゴンを激しく翻弄するように立ち回り、圧倒的な経験の差を見せつけている。
「ただのお供ですらあんなに……」
そう口にして肩を落とすグレンの肩に、ブライトがそっと手を置いた。
そんな二人を背景に、アベルは一度大きく距離を取ると、深く息を吸い込んで大剣を構え直す。
明らかに周囲の空気が変わった。そのプレッシャーに、ブライトとグレンの間にも張り詰めた緊張が走る。
「よく見ておけ。【特級】の地位を冠し、そして【無音】の異名を持つ男の実力を……」
ブライトの言葉を聞き、その瞬間を見届けようと集中したグレンの呼吸が、自然と浅く、小さくなっていく。
ドラゴンもまた、アベルが纏う雰囲気の異変を本能で察したのか、後ろ足を深く下げて角を突き出し、全力を賭した突撃の構えを見せた。
合図もないまま、アベルとドラゴンは同時に地を蹴った。
そして、すれ違いざまに放たれたアベルの神速の横薙ぎは、ドラゴンの角を正確無比に捉える。
「ボキッ」という鈍い音と共に、一角竜の象徴たる一本の角が、根元から綺麗に折れ飛んだ。
その美しい断面は、アベルの一撃がいかに正確であったかを雄弁に物語っている。
「ギャアォォォ!!」
自慢の角を失った一角竜から、悲鳴にも近い凄まじい咆哮が発せられた。鼓膜を劈くような異質な叫びに、その場の誰もが思わず耳を塞ぐ。
しかし、ただ一人アベルだけは平然とした様子で、怒り狂うドラゴンを正面に見据えたまま大剣を構え直していた。
咆哮を終えたドラゴンの瞳が、再びアベルの姿を捉える。
折れるはずのない自身の角を容易くへし折った目の前の存在に対し、ドラゴンの瞳に明らかな動揺の色が走った。
やがて、威圧するように短い咆哮をアベルに浴びせると、ドラゴンは突如として峡谷道の奥へと体の向きを変え、猛スピードで走り去っていった。
「ド、ドラゴンが逃げた……!?」
あまりにも衝撃的な光景に、グレンが驚愕の声を漏らす。しかしアベルは冷静さを欠くことなく、すぐさまオボロの背へと飛び乗った。
背中にアベルとロコを乗せたオボロは、逃げるドラゴンを猛然と追跡する。
「追われる」という生まれて初めての恐怖、そして自分を執拗に追いかける存在に対し、ドラゴンの瞳孔は収縮と拡大を激しく繰り返していた。
そんなドラゴンの瞳に、アベルとは異なる複数の人影が飛び込んでくる。恐怖のあまり失念していた、アベル以外の《《ハンターと呼ばれる者たちの存在を》》。
「ぶっ飛べや!!」
荒々しい叫びと共に、グンナルの巨大なガントレットによる渾身の一撃が炸裂した。頭部の側面を捉えた強烈な打撃は、その勢いのままにドラゴンを崖の壁面へと叩きつける。
悲鳴を上げる間もなく岩壁へと押し付けられたドラゴンは、そのまま地面へ沈黙した。
「ちっ、この程度かよ……。全然手応えがねぇ……。やっぱ寝起きはダメだな。そう思うだろ? アベル」
グンナルはアベルの前に立つと、にやりと笑って問いかけた。
そんなグンナルの姿を見たアベルは、「自分一人で十分だった」と言わんばかりに、抗議の視線を向ける。
「おいおい、怒んなよ。手柄は譲ってやるさ。だから、面倒な書類のアレコレは任せるわ」
適当な物言いをするグンナルにアベルが呆れた表情を見せた瞬間、伏していたドラゴンが再び身悶えしながら動き出した。
その姿に目を合わせたアベルとグンナルは、ヤレヤレと言わんばかりに肩をすくめると、再び武器を構える。丁度その時、崖上から新たに二つの影が舞い降りた。
「エイラ、貴方が合わせなさいな」
「面倒、そっちが合わせて」
そんな気の抜けた会話と共にセレスとエイラが現れ、ドラゴンの頭上へと飛び込む。
落下しながら武器を抜いた二人は、空中で互いに目配せを交わすと、同時に言葉を放った。
「では適当に」
「じゃあ適当で」
刹那、二人はドラゴン目掛けて無数の鮮烈な斬撃を浴びせた。
「ギャアォォ!!」
ドラゴンの悲鳴を背に受けながら、二人はアベルとグンナルの前に軽々と着地する。
二人の姿を見たアベルは「余計なお世話だ」と言わんばかりに、プンプンと怒りを露わにした。
「そう怒らないで、アベル。華は持たせてあげますから」
「わたしは別に、どうでもいいけど」
エイラの物言いに、「なら、何で来たんだよ……」とグンナルが呆れ声を出す。
超常的な存在であるはずのドラゴンを前に、あまりにも気の抜けたやり取りを繰り広げる四人を見て、グレンは完全に言葉を失っていた。
「し、信じられない……。夢だったりしません……?」
「そう思うのも無理はない。奴らの前では、大抵のモンスターは弱く見えるものだ」
タリアのその言葉に、グレンは「あの人達って……」と素朴な疑問を口にする。
「やつらは試作兵装運用班。その名の通り、最新鋭の試作兵装を取り扱う者たちだ。試作兵装の仕様上、ずば抜けた戦闘センスが求められる。だが、そんな期待に『応えて当たり前』。それを地でゆく連中だ」
「世界は……、広いですね……」
ぽつりと呟き、完全に自信をなくして肩を落とすグレンの肩に、ブライトがそっと手を添えた。
「上を見始めたらキリがない。だからあんまり憧れたりするなよ、グレン」
「はい……」
そんなやり取りを余所に、アベルを含む試作兵装班は、目の前のドラゴンを無視して平然と会話を続けていた。
「それで、どう倒しましょうか?」
「グンナルのパイルバンカーでいいんじゃない?」
セレスの提案に、エイラが適当に答える。
「おいおい、適当な事言うなよ。あれを撃つ度に、肩を痛めるんだぜ?」
「四十肩ってだけでしょ?」
エイラの無慈悲な言葉に、「俺はまだ三十代だ!!」とグンナルが声を張り上げた。
そんな時、手を挙げたアベルが、身振り手振りで新たな作戦を提案する。アベルの意図を察した面々は一度互いに目配せを交わすと、それぞれ言葉を口にした。
「俺はいいぜ。手柄は全部アベルに譲るって言ったしな」
「わたくしも異存はありませんわ。アベルには華を持たせる、そう約束しましたしね」
「アタシはどうでもいいけど、右に同じく」
エイラの返しに、グンナルが「誰も右に居ねえだろ……」と呆れながらツッコミを入れたその直後、ガレキの山に沈んでいたドラゴンが再び激しく身を起こし始めた。
その光景を確認した四人は一瞬だけ顔を見合わせ、直後、アベルがその場から素早い身のこなしで離脱した。
「さて、ちょいと時間稼ぎか」
グンナルがそう口にして肩を回すと、セレス、エイラと共に並び立つ。
それからしばらくの間、三人だけでドラゴンの猛攻をいなし、完璧な時間稼ぎを演じてみせた。やがて、崖の上にアベルの姿が現れる。
「来たか、やるぞ」
グンナルの言葉に無言で頷いたセレスとエイラは、暴れるドラゴンの攻撃を鮮やかに受け流すと、それぞれがドラゴンを左右から挟み込むような配置についた。
そして、特に合図を交わすまでもなく、二人はほぼ同時にドラゴンの後ろ足目掛けて鋭い一撃を放つ。
「グオォォ!!」
ドラゴンが短い悲鳴を上げ、後ろ足の負傷によって大きく前のめりに倒れ込んだ。
地面に頭を叩きつけられるようにして倒れ伏したドラゴンの眼前に、グンナルが悠然と姿を現す。
「ほら、こいつが返してほしかったんだろ?」
彼の持つガントレットの先端には、先ほどアベルが叩き折った、ドラゴンがかつて持っていたあの角がしっかりと挟み込まれていた。
「なら、返してやるよ!!」
そう言い放ったグンナルは高く飛び上がると、ドラゴンの頭部目掛けてその角の先端を突き下ろす。
グンナルの意図を察したドラゴンの瞳孔が恐怖で全開になるが、後ろ足の損傷により前進も後退も叶わなかった。
「グォォォォ!!」
決死の咆哮で少しでも狙いを逸らそうと試みるが効果はなく、自らの角が頭部へと深く突き刺さる。
突き刺さった角はグンナルの凄まじい怪力と合わさり、ドラゴンの頭蓋骨にまで達していたが、これでもなお絶命には至っていなかった。
「ほら、お膳立てはしてやったぞ! アベル!」
グンナルの咆哮と同時に、アベルが崖から一直線に飛び降り、大剣をドラゴンに突き刺さった角へと叩きつけた。
その光景を見たセレスが「ようやく、帰れますわね」と呟く。その隣では、エイラがすでに退屈そうにあくびをしていた。
直後、ドラゴンに突き刺さる角に、アベルの更なる追撃が加わる。その一撃はドラゴンの頑強な頭蓋骨を完全に突破した。
さらにアベルは、ダメ押しと言わんばかりに大剣のグリップを鋭く捻る。刹那、内部から放たれた強烈な砲撃によって、それは決定的な致命傷へと変化した。
激しい爆炎がアベルの身体を包み込む中、グンナルをはじめとした面々は、いつもの事といった様子で、完全に絶命したドラゴンを前にして呑気に会話を交わしていた。
「眠い……。さっさと帰って寝たい……」
身体を大きく伸ばしながらエイラがそう言うと、「我慢なさいな、エイラ」とセレスが優しく声をかける。
「あ~、ようやく終わったわ。今日のエールは美味そうだぜ」
「どうせ今回の件を貸しにして、研究局の方から奢らせようとでも考えているのでしょう? グンナル」
セレスの鋭い指摘に、グンナルは「ぐっ……」と声を詰まらせた。
「いいじゃねぇか、それくらいよぉ……。わざわざ尻拭いしてやったんだからさ」
「まったく……、勝手にしなさいな。ですが、アベルが第一の功労者である事は忘れないように」
その言葉に、グンナルは「へいへい、わかってるよ」と適当に答え、セレスに再び呆れられていた。
そこへ、少し衣服を黒焦げにしたアベルがドラゴンの亡骸から軽やかに飛び降り、皆の前に立つ。その直後、背後から声が掛かった。
「お疲れ様だ、試験班」
タリアが厳しい声をかけると、先ほどまで不敵に笑っていた四人が、途端に恐怖にも似た面持ちで背筋を緊張させた。
その様子を遠巻きに見ていたグレンが、隣のブライトへ恐る恐る尋ねる。
「あの……。タリア教官って……」
「お前は第五に来て日が浅いから分からないだろうが……。教官のシゴキは、《《死ぬほどキツイ》》。トラウマになるくらいにはな……」
「うっ……。それを聞いたら、なんだか胃が痛くなって来ました……」
そんな会話を背後に置きながら、タリアは試験班の面々へと言葉を続けた。
「お前たちが居なかったら、私どころか見習いたちも危なかったであろう……。だから、まずは礼を述べておきたい。ありがとう」
「教官に面と向かって感謝されますと、なんだか後が怖いですわね……」
「それは、どういう意味だ? セレス?」
満面の笑みを浮かべるタリアに、「い、いえ! なんでもありませんわ!」と、セレスは慌てて弁明する。
「とにかく感謝する。特に、アベルにはな……」
その言葉を受けたアベルは、少し照れくさそうに頭を掻くと、いつものように白い歯を見せてサムズアップした。
そんなアベルの姿を、美しく燃える夕焼けが赤々と照らし出す。遥か上空には、状況終了を意味する緑色の発煙弾が、静かに空へと溶けていくのだった。




