6.最終演目
湊がこの世界にやってきてからずっと続いていたこの祭りは、最終日らしく賑わいを盛り返して、最終日らしく沈んでいった。
徐々に減っていく妖の影。徐々に減っていく妖の声。空に浮かんでいる満月よりもずっと眩しかった街は、冷ややかな風と混じり合って温度の余韻を残すばかりとなった。
楽しかった。寂しい。
つい先程まで祭りの雰囲気に飲まれていた妖たちが、せっせと日常に戻る支度を進めている。終わらなければいいとさえ感じていたのにこうもあっけなく終わりを実感させられる。
「少年?」
そんな湊を不思議に思ったらしい代筆屋さんが首を傾げた。なんでもないよ、と首を左右に振れば代筆屋さんは一瞬思い悩む素振りをして言った。
「――もうちょっと歩こうよ。寄りたいところがあるの」
きっと元からそのつもりだったのだろうと思う。根拠は今日までの代筆屋さん。
祭りの会場は広範囲に及んでいたが、その中心とでも言うべき場所が、湊がこの世界を初めて目にした場所のすぐ近くにあった。
住宅街の一角にある、豊かな自然が守られたエリア。一歩足を踏み入れれば外界と完全に遮断され木々のざわめきだけが話しかけてくる。照明の一切を月明りに依存している一帯は、斜陽によってぼんやりと黄味がかり、神秘さに意識を奪われそうになる。初対面のとき代筆屋さんに感じたそれと似ている。
「ここは?」
「神社。一方的な知人がいてね」
代筆屋さんは風景なんて全く気にも留めず進む。惜しみながら足早に続いた。
少し先には真っ黒い鳥居と十数段の石階段があって、それを昇ると本殿が見えて来る。辺りの荘厳さと比べて随分と小さく寂れた本殿だった。付近にこれといった装飾もなく生命力に溢れた自然の中でぽつりと浮かんでいる。
「お姉さん、近くに誰もいないけど――」
偶然不在にしているのだろうか。それらしい影は無く物音も聞こえない。
代筆屋さんはしばしの間立ち止まって、おもむろに本殿の濡れ縁に座った。
「おいで」
代筆屋さんは自身の隣を何度か叩いて湊に促した。
躊躇しながらも腰掛けて、二人の隙間にできた風の通り道をそっと埋める。
「いいの?勝手に座っても」
「大丈夫。誰もこんなところに来ないから」
「でも友達に会いに来たんでしょ?」
「あとでわかるよ」
また、隠し事。けれど今回ばかりは違って聞こえた。今の代筆屋さんは心ここにあらずだ。
代筆屋さんがどんな言葉から始めるべきか決めかねているとき、それに気付かないくらい湊は景色に見惚れていた。数分の間があって代筆屋さんが口を開くまで、湊はこの瞬間を意識しないでいた。
「少年」
踏ん切りが付かなくて一度言葉を飲み込む。
「少年。もう何年前のことかわからないけれど、それまでは、人間と妖は同じ世界にいてね。それが嫌だった一人の人間と妖が世界をふたつに分断したの」
代筆屋さんが自らその話をしてくれるとは思っていなかった。まるで懐かしむように語り出して、湊は現実へと引き戻される。
「うん、ちょっとだけソメイさんに聞いたんだけど、そんなこと本当にできるの?」
「やり方はわからないけど、彼女らは特別みたい」
特別だと言いながら完全な賞賛ではなかった。
「分断のすぐあとに代筆屋はできた。代筆屋には主な仕事がふたつあって、そのひとつが手紙を届けること。分断されるまで人間と妖は仲が良かったからね」
「じゃあ、昨日僕が届けた手紙も?」
「人間の世界からの手紙。昨日代筆屋に来てた彼も手紙を出しに来てたんだよ」
「良かった、じゃあふたつの世界は行き来できるんだね」
湊は胸を撫で下ろした。
悩みの種のひとつだったからだ。ずっとこの世界に居座って戻らない訳にはいかない。お母さんに会いたいお父さんに会いたい。友達にも先生にも会って、この変わった体験と新しくできた友達を紹介したかった。
しかし、幻想はすぐに砕かれた。
「――ごめんなさい。それはできないの。世界を繋ぐのにはルールがあるから」
「そう、なんだ――」
落胆は隠すよう努めたけれどため息として出てしまった。
「えっとね、違うくって、大丈夫だよこの生活も楽しいから――」
「少年は家に帰りたい?」
即答は、できなかった。
この生活が楽しいというのは本当のことだ。けれど帰りたくないとは強がろうとしても言えなくて、湊は口籠る。どちらか片方だけというのはあまりにも酷で難しい選択だ。
「うん、わかってるよ。みんなそう言うから」
「どういうこと?」
「何でもない」
諦めたような哀しい声色が、湊の心をずきりと痛ませる。もっと強がるべきだったのだろうか。
「代筆屋のもうひとつの仕事はね、たまにいるの。少年みたいに間違えて人間の世界から迷い込んだり、分断された当時なら妖の世界に人間が取り残されてたり」
「お姉さん?」
「手紙書くよ。いつ届くかはわからないけど、必ず」
嫌な予感がしていた。聞きたくなかった。選択権はこちらになかった。
ソメイさんの言っていた通りだった。代筆屋さんは人間の世界に戻る方法を知っていた。それを意図的に隠して、湊を送り返そうと考えていたのだ。
いつも通り、勝手に、湊には相談もしないで。
そんなの、許せるはずがない。
「待ってお姉さん、何するつもり――」
「少年」
その声色は強く、有無を言わせなかった。
代筆屋さんは立ち上がって本殿の扉を開けると、湊をその中へ押し込んだ。
「少年は家に帰るべきなんだよ」
湊は家に帰るべき。そうなのだろう。それが正解なのだろう。
だったら。
「だったらお姉さんは、お姉さんは家に帰らなくていいの――!」
口から出たでまかせのようなものだった。けれど言ってみれば確信していたのだと思う。
そのとき突風が吹いて湊のハットを飛ばしてしまう。慌てて手を伸ばすけれど届かなくて、そのとき、見えた。ふわりと揺れた代筆屋さんの顔を隠す布の、その先にある人間の肌。見間違えはしない。
「――いつから、気付いてたの?」
「そんなの関係ない」
そうだ、関係ない。今はただ両手を伸ばして、どうかこの手を掴んで欲しい。
「お姉さん、一緒に帰ろう。人間の世界に」
代筆屋さんの手がピクリと動く。ゆっくりと上げられる。どうかそのまま、僕は――。
しかし、手が捕まれることはなかった。代筆屋さんは胸の前で手を振るだけだった。
「――私には代筆屋という仕事があるから。それにその誘いは、ずっと昔に断ったよ」
言葉は決定事項だと言っているのに、それに含まれた感情が揺れていた。哀しくて寂しくて後悔してそれを押し殺して、湊は降られた。手放してはならなかった声色が零れ落ちた。
「さようなら。――少年」
最後まで名前を呼んでくれることはなくて、最後まで代筆屋さんの名前を知ることはないまま。
本殿の扉は閉じられた。




