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代筆屋と迷子の少年  作者: 朱殷


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5.家に帰る方法


 この世界のこと、妖のこと、世界を行き来する方法。代筆屋さんはどれを知っていてどれを知らなくて、どれだけ隠しているのだろう。


 悶々としながら帰路を辿っていると、代筆屋はすぐそこにまで来ていた。


「ただいま――」


「少年。遅かったね」


 玄関を通ってすぐの場所にある机と椅子、店番をするためのスペースに代筆屋さんは座っていた。それと、湊が来てからは初めてとなる来客も。


 どうやら仕事中のようだ。机の上には紙とペン、それから真剣そうな雰囲気が漂っている。


 代筆屋さんには聞きたいことがあったけれど、邪魔をしたくはなくて、そっと隣を素通りする。


「お姉さん、僕ちょっと休んでくるね。夕飯までには降りて来るから」


 背中を向けたまま言って書斎のロフトへと向かう、そのつもりだった。


「ニンゲン――」


 ドアが閉まる寸前、呟きが聞こえた。


 おおよそ零れ出たような響きは、聞き覚えのあるものと差異はあれど近しい感覚を孕んでいて。


 湊は振り返った。来客は初日に追いかけっこを演じた巨体の妖だった。独り言が届いてしまうとは思っていなかったようで、目を見開いたあと困ったように逸らした。


「妖、さん?」


 思いがけない再会。


 湊は先日の妖に話したいことがいくつもあった。まずは怖がって逃げてごめんなさいして、それから話を聞く。どうしてあんな顔をしていたのか、どれだけ人間のことを知っているのか。

 思えば、不思議な話だ。100年以上も前に人と妖が分断されたのだとしたら、どうしてみんなは一目で湊が人間だと判断できたのだろう。


 好奇の視線ばかりの中、ひとつだけ全く違う意味の視線を投げかけた妖なら知っている気がした。話してくれる気がした。


「すまなかッた、ニンゲン」


 妖は頭を下げた。深々と、深々と。


「俺は君を怖がらせた。それも私情で。あッてはならない」


「あのときは僕が勝手に――」


「俺は身体が大きい。ダから気を付けるようにと言われていた。のに。すまなかッた」


 妖は謝った。おおよそ過剰とも言えるくらいに表情を歪ませて声色を滲ませて。


 多分、赦してほしいのだと思う。彼がどうしてそこまで自責の念に駆られているのか、湊にはわからない。きっと事情があって堪え切れない想いがあって、いいよって言われるまで自分を赦せないのだろう。


「うん、いいよ」


 ――だったら、代わりに全部赦してあげる。


「少年――」


「きっとつらいことがあったんだよね。でも大丈夫。僕はもう平気だからさ。それに怖くなんてないよ。僕はまた会えて嬉しい」


 妖、彼にはひとつ大きな出会いと決断、そして心に傷を残す出来事があった。それが彼の口から語られることは、ましてや代筆屋さんが話してくれることはない。けれど確かに、大切な記憶があった。

 それと湊が彼の中で繋がってしまったのだ。似ても似つかない容姿、正反対の性格。共通点はひとつだけ。


 結果、落涙した。春の雨のように。


 そして、感情の奔流は時に()()()()()まで零してしまう。


「やッぱり俺はニンゲンが好きだ」


「え――」


 やっぱり、そう言った。つまりそれは過去に同じことを思ったことがあるという意味で。


「少年、そろそろ夕飯にするよ」


「でも今」


 それはつまり、この場所には湊以外にもニンゲンがいるということ。それもそう遠くない場所に。


「少年。それは少年が知る必要のないことなの」


 きっぱり言って机の上の紙を封筒に収めると、立ち上がり湊の腕を引いた。そこでまだ彼が泣いているのに、だ。


「お姉さんっ」


 抵抗も無意味だ。湊の力では及ばなくて、彼の姿が見えなくなっていく。ドアが閉じられる。


「――大丈夫。これを渡しておいたから」


 封筒。


「ここは代筆屋。店主が代わりに筆を握る場所」


 湊には代筆屋さんの考えていることがわからなかった。


◇◆◇


 どうして代筆屋さんは湊に隠し事をするのだろう。ただの意地悪ではなくて、そこにはきちんとした理由があるはず。


 それは以前から考えてきたことだ。これまでは単なる疑問として、今や不信感の一歩手前で、考えずにはいられない。


 翌朝。定刻通り目覚めた湊は、届きそうで届かない天井をぼんやりと眺める。木目なんてない真っ白の綺麗な天井。


「――起きないと」


 言い聞かせるように呟く。


 少女趣味全開のロフトを降りると、すぐ下は代筆屋さんの仕事スペースがある。机とキャスター付きの椅子、本と紙とペンの質素な場所。まるで人が変わったみたいだ。


 普段ならそれだけで素通りするのだけれど、昨日の出来事のせいだろうか、やけに興味を引かれた。


 代わりに筆を握るって、何?


 勝手に人のものを見ちゃだめなんて誰だって知っている。だめ、なのだ。


 ――湊は一冊の本を手に取っていた。あとで謝ろう。そう決めて。


 栞が落ちないように本を開く。上装丁の本は少し重かった。


「――読めない」


 当然だ。湊が知っているものとは文字が違うのだから。


 わかる単語を探して辛うじて理解できたのは、これは所謂小説で代筆屋さんの仕事とはあまり関係がなさそうだということ。湊はがっかりして本を元の場所に戻した。


 これ以上書斎から得られる情報はなさそうだ。


 起床した湊がすべきことのひとつに、代筆屋さんを起こすことがある。本人から頼まれたのではないけれど、待っていると一日が二食になってしまうのだ。かと言ってキッチンで火を使うのは許してくれないし、いつしか朝のルーティーンになった。


「お姉さーん」


 湊は寝室に入る。ごちゃごちゃした床で変なものを踏んでしまわないように、ベッドを覗き込む。


「あれ?」


 どうやら、今日も早起きらしい。


 リビングへと向かうと案の定、机には『朝食』のメモ書きがあった。早起きなのはいいことだけれど、それで朝食が一人になるのなら、喜ぶべきなのか微妙なところだ。


「いただきます」


 ラップを剥がして、メモと一緒にゴミ箱へ捨て、両手を合わせる。


 ――日本語?


 それからしばらく。お昼を目前に控えた頃に、代筆屋さんはようやく帰宅した。


「おかえりお姉さん。どこ行ってたの?」


「何でもない、ただの仕事だよ」


 昨日から妙に忙しそうだ。近々何かあるのだろうか。


 そんな湊の疑問に答えるように、代筆屋さんはゆっくりと口を開いた。


「少年――」


「うん?どうしたの?」


 口籠り言いにくそうに、視線を逸らしながら。


「今日は祭りの最終日なの。うるさかった祭りも当分は終わり」


「そうなんだ。長かったね」


「せっかくだから、少し遊んで行かない?本当はこんなことしない方がいいんだけどね」


「お姉さん?」


 変な言い回し。それが小骨のように喉に刺さって離れない。


「それから――」


「それから、何?お姉さんもしかしてまた隠し事?」


 ぽろっと零れ出た言葉は代筆屋さんを傷付けるに十分だった。驚いて固まって、柔らかく首を左右に振って何事もなかったことにする。


「今聞かなくてもすぐにわかるよ」


 やっぱり隠し事をする。

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