4.妖と人間
どうして怪しまれたのだろう。どうして確信に至ったのだろう。
何か致命的なミスをしていたのだろう。ソメイさんが鋭かったのだろう。
人間?そう、湊は人間だ。妖という人外ばかりの世界に迷い込んだ、知る限り唯一の人間。
どうしてここにいる?そんなこと聞かれても困る。きっと湊が言い付けを破る悪い子で、予定を反故にして眠ってしまう間抜けな子だからだ。それ以外の、所謂合理的な理由なんて知るはずがない。
「――何を言ってるの?」
動揺した時点で手遅れだ。けれどそれしか妥当な返し方が思い付かなかった。声は、手は震えていないだろうか。できるだけ平静を装って。目を合わせることができない。
「状況、言葉選び、仕草。どれを取っても、ミナトくんは正直すぎるんだよ。自分の種族すら言えないだろう?人間だから。手っ取り早く顔を見てやろうか?そうすればわかる」
長い手がテーブルを越えて迫ってくる。
「僕は――」
「じーが意地悪してる」
すんでのところでハルさんが戻って来て、ソメイさんは焦ったように急いで手を引っ込めた。
「意地悪なんて――」
「意地悪はされてる方が意地悪だと思ったら意地悪なの」
あれは意地悪だったのだろうか。きっと違う。少なくとも湊は違うと思う。
意地悪とはもっと個人的な感情から行われるものだ。ならばあれは、言うなれば告発。人間のいないはずの世界に、いてはならないはずの人間に、妖たちの総意を代弁して行われた告発だ。
「すまない。熱くなりすぎていたようだ」
「うんうん、皆仲良くしないとだめなの。それでねそれでね、じー、これ食べていいんだよね」
ソメイさんは勢いを削がれて謝って、ハルさんは持ってきたショートケーキを差して微笑む。
どーぞ、と差し出されたケーキにフォークを差し込めば、柔らかく、甘く、溶けていく。うやむやになっていく。
「本当にすまない。――ミナトくん、別の話をしよう。私の仕事のことについて聞いて欲しい」
ソメイさんはあからさまに話題を変える。ハルさんの目が興味津々に輝く。うやむやになっていく。
「私は学者をやっていて、その研究対象というのが、あまり一般的ではないんだけれど――」
うやむやに、なっていく。
多分、このまま流すべきなのだろう。この場で顔を確認されることはなくなる。安全に代筆屋さんのもとへ帰れる。――流したくない。
湊は子供だ。言動に責任なんて持てない。必要がない。そういうのは全部大人に任せておけば良いのだ。――責任を持ちたい。
「僕は――」
「ミナトくん?」
お母さんの言い付けを破ったのは自分の決断。友達を待つことにしたのも自分。代筆屋へ帰らずに話を聞くことを選んだのも。全部誰かのせいじゃない。誰かのせいにしたくない。
だから湊は、間違いだとしても。大丈夫。いざというときは助けてくれる。
「待ちなさい、何を――っ」
「僕は人間だよ。だから何、ってことかもしれないけど」
人を見た目で判断しちゃだめなのなら、それが人でなくたって同じこと。
湊はハットと手袋を外して机の上に置いた。
「にん、げん?」
「うん。僕は人間だよ。騙しててごめんね」
「人間?人間!人間だってさ、人間!」
「ハル――」
人間であることを隠さなければならないのだから、そこには相応の理由があるはずだ。差別でもされるのかと心の準備をしていたら、全くそうではなかった。
想定外に、ソメイさんからは困惑や焦燥が大きく、明かしたことにより強い反応を示したのはハルさんだった。恐ろしいと思うほどに、人間人間と繰り返す。
脳裏をよぎるのは初日に湊が追いかけられた妖のこと。それに近い狂気と執着心。
至近距離まで近付いてくるハルさんから逃れるために後ずさる。
「人間、人間だよ人間!じーも見たよね聞いたよね!」
「ハルっ!」
突然ソメイさんが怒号を上げた。驚いた湊は肩を跳ね上がらせて、ハルさんも正気に戻ったようだった。
「ハル。部屋に戻っていなさい」
「でも」
「部屋に戻りなさい。そしてミナトくんが帰ったら書斎に来なさい。――説明する」
それは有無を言わせなかった。納得はしていない様子でもハルさんは部屋を出て、ここは二人だけになった。
「すまない、ミナトくん。書斎に来て欲しい。見せたいものがある」
しばらくの沈黙の後、ソメイさんはもう何度目になるかわからない謝罪を口にした。謝罪には今起きたことに対するものではない、別の意味も含まれているような気がしてならなかった。
「それから、誰かの前で二度とこんなことはしないように。ミナトくんはそれのリスクを知るべきだ」
「――ごめんなさい」
「謝らなくて良い。むしろ悪いのは私の方なんだから」
また、別の意味を含んで。
◇◆◇
リビングより幾分か小さく、しかし代筆屋の書斎とは比べるまでもなく大きい書斎。椅子はひとつしかなく、二人は向かい合う形で佇む。
「本題に入る前にひとつ聞かせて欲しい。」
聞き覚えのある枕詞に、湊は不穏な気配を読み取って顔が強張った。
「ミナトくんは代筆屋の店主について何を知っている?本名、素顔、年齢、種族、性格、仕事、好き嫌い、交友関係。何を知っている?」
湊は俯く。責められている気がした。
たった数日間、されど数日間一緒に過ごしていた。湊は無知だった。
正確や好き嫌いなら推し量ることができる。代筆屋さんは優しくて落ち着きがあって見栄っ張りで心配性で、一人を好んで苦いものが苦手だ。けれどそういうことを問われているのではない。もっと個人的で、もっとわかりやすいはずのこと。
代筆屋さんは何も教えてくれなかった。名前を聞いたことも顔を見たいと頼んだとこもあった。けれど代筆屋さんは必要ないことだと言った。他についても。それ以上知ろうとしなかった。
「何も知らないだろう」
矛先のわからない怒りが湧いた。
「僕は何も知らない。だけど、そう言うソメイさんだって――」
「ああ、何も知らない。だけどミナトくんよりは知っているつもりだよ」
ソメイさんは穏やかに言うと、所狭しと並べられた書棚の中からひとつ、分厚いファイルを取り出した。パラパラと捲られるぺージには写真やメモ、記事の切り抜きなどが綴じ込まれている。
「私の本業は歴史学者だ。あのときは私情もあったんだが、彼女のことを調べさせて貰ってね」
ソメイさんは湊に見えるようにひとつの記事を差した。
「昔、160年も昔のことだ。私たち妖の寿命は種族によってまちまちだが、ほとんどは人間より短い。規格外に長い種もいるにはいるが、一先ず160年も生きられないと思って欲しい」
それは新聞記事だった。妖の文字で書かれ、色褪せ、一部は朽ちて読めなくなってしまっている。しかし比較的状態の綺麗な写真が中央にあった。
人間の少年と、ガイコツの妖が一緒に写っていた。
「今生きているほとんどの妖は知らないだろうが、160年前は、妖と人間は同じ世界で共存していたんだ。けれどいずれかのタイミングで断たれた。人間は人間の世界に、妖は妖の世界に。行き来はできない。それ以降両者の交流は記録されていない」
「じゃあ、だったら、どうして僕はここにいるの――」
「どこかに、隠された行き来する方法があるからだよミナトくん。そしてその方法を彼女は持っている、あるいは知っていると私は踏んでいる」
あまりにも突飛のない話で、湊には何が何だかわからなかった。
妖の伝承については聞いたことがあったから、昔交流があったことは百歩譲って理解できる。けれどそんな話は大人や先生、代筆屋さんだって教えてくれなかった。
「その根拠のひとつがこれだよ」
ソメイさんはファイルをもう一度捲り、別の記事を見せてくれた。
「140年前の記事だ。その頃には既に代筆屋は存在していた」
うさぎのいる満月のロゴと、代筆屋さんと同じような服を着た誰かの写真。
「ミナトくん。彼女はミナトくんに、家に帰る方法を、もしくはこのことについて話してくれたことはあったかい?」
尋ねるように、詰めるように。ソメイさんは聞いて欲しい話をした。
だからと言って、ソメイさんの言うことを無条件で信じる理由にはならない。これまで出会ってきた大人や先生、両親や代筆屋さんの方が、出会ったばかりのソメイさんよりずっと信用でいる。
だけど無視はできなくて、筋が通っているように思えてしまって。
「ミナトくん、今日はもう戻ると良い。私はこれからハルと話さないといけないからね」
考えてしまう。
「ミナトくんは正直すぎるんだ。大人はミナトくんが思っているよりずっと狡猾だよ」




