3.おつかい
時刻、おそらく正午。満月が空に昇っている。
湊がこの世界に迷い込んだあの日から続く祭りは、もはや日常の風景となっていた。喋る提灯も普通、大小様々な妖が街を闊歩しているのも普通。
一人で外出するのを代筆屋さんは許可してくれなくて、初日以来の街だったけれど、窓から見ていた普通はそれほど緊張するものでもなかった。
賑わいを見せている街からしばし離れた丘の上は住宅街になっていて、それこそ大小様々な妖がいることを実感させられた。家の大きさが全く違ったのだ。湊とほとんど変わらない背丈の種も珍しくないらしい。
そんな住宅街に、中でも一際大きくて目立つ一軒家があった。見上げるだけで首が痛くなるようなドア、瓦がやけに小さく見える。それが湊に課されたお手伝いのターゲット、つまりは手紙配達の目的地である。
湊は手にある地図を再確認する。ここ!と赤丸を書かれたところと周囲の風景は、多分一致している。手紙の宛先の文字は日本語と違っていて読めないけれど、表札との一致は確認した。ソメイと読むらしい。
――よし。ここで間違いはない。
一、二、三、深呼吸する。湊は代筆屋さんに借りた服を整え、ハットを深く被る。
『人間だとバレないようにね、少年。何かあったらすぐに戻って来て大丈夫だから』
「ヘマはしないように、僕」
信じて送り出してもらえたのだから。
見上げるだけで首が痛くなるようなドアの、傍にあるインターホンの内一番低いものを押す。
「――誰?いまお取込み中」
しばらく待っていると、インターホンからノイズ混じりの声が聞こえた。長い腕の巨体の妖さんと聞いていたのだけれど、声は幼い少女のようだ。
「僕は湊、――じゃなくて。えーと、お姉さんのお手伝いで手紙を届けに来ました。――開けてくれる?」
「じー!お手紙!」
あれ、代筆屋さんのことも言わなきゃだめなんだっけ?まあいいや。
少女の声が遠ざかっていき、プツンと通話は途切れた。それから三十秒ほど待っただろうか。もしや忘れられたのではと心配し始めた頃に、大きなドアは音もなく開かれた。
「すまない。今は仕事が――っと、小さな郵便屋さんだ」
やはり、少女の声と聞いていたソメイさんは別だった。低く優しい声色をしたソメイさんは湊を見下ろしていて、足の間から覗くようにフードを被った小さな妖さんがいた。
大きな家の内部は家具までも大きいのだが、机や椅子の近くには箱馬が置かれてあって、小さい妖さんへの配慮も見て取れる。
「こんばんは!でも僕は郵便屋さんじゃなくて代筆屋さんのお手伝いだよ」
「――こんにちは。代筆屋さんが私に何の用事かな?」
「うん、手紙が届いたんだって。あげる!」
湊はポケットの中に入れておいた手紙を差し出す。慣れない手袋では掴むのが難しくて手間取ってしまった。
「――ありがとう。小さなお手伝いさん」
「どういたしまして!」
そう感謝されると心がポカポカと温かくなった
帰ったら、代筆屋さんに別の手伝えることはないか尋ねてみよう。うん。その方がいい。インターホンを押す直前までの緊張だったりがすっかり軽くなっている。
湊はペコリとお辞儀をして踵を返す。スキップが出そうになるのをせめて角を曲がるまではと我慢する。
「ミナトくん、で良いのかな。代筆屋のところの子だよね」
すんでのところで呼び止められて、湊は振り返った。
「うん。そうだけど、どうしたの?」
「――聞いて欲しい話があるんだ。家に入らないかい?」
代筆屋さんは言っていた。用事が終わったらすぐに戻っておいでって。当然だ。あんまり長時間話していたら、湊は嘘を吐くのが得意じゃないし、ボロが出るかもしれない。この服だって疑われないこと前提に作られているみたいだから覗き込まれたら人間だってわかる。
それに、お母さんの言い付けを破ったからこんなことになっているのであって、あの日家を出なければ。
湊は逡巡した。ソメイさんも心苦しそうに、そうであった。迷いが見て取れた。
「わかった。その話を僕に聞かせて」
だから、湊は頷いた。
そうしたらソメイさんが余計心苦しそうだったのは、何故かわからない。
パタン、と湊の背後で大きなドアが閉じる。僅かな風圧を感じて湊は咄嗟にハットを押さえた。
「靴は脱いで、ソファの好きなところに腰掛けて。ハル、ジュースの準備してくれる?」
「あいあいさー」
小さい妖さんはハルというらしい。ハルさんがどこかの部屋へ走って行くのを見届けてから湊はソファに座った。
以前友達の家に招待されたときも同じだったけれど、おもてなしを受ける立場というのは歯の奥が痒い。リラックスができなくて背筋をピンと伸ばすと、真正面に座ったソメイさんと目が合った。
「持ってきた。お菓子も出していいー?」
「ありがとう。お菓子は最近買ったのがあっただろう?」
「いいの?あれだけは食べちゃだめってじーが」
「良いよ」
「やったっ」
机に瓶のジュースとコップを三個置いてハルさんは再び走って消えた。嵐のような子だ。
落ち着かずにいるとソメイさんはコップにジュースを注いでくれた。こぽこぽ子気味いい音が鳴って湊はそれに口を付ける。甘いりんごがいっぱいに広がる。
「ミナトくんは代筆屋のところで長いのかい?」
『少年自身のことはなるべく隠す。いい?』
「うーん、忘れたっ!」
「そうか。良い服だね。よく似合ってる」
「うん、僕もそう思うよ。今朝にお姉さんがね――、じゃなくて、ねえ、これ何の話?」
「すまない、私は昔から本題に入るのが苦手で――、ハルが戻るまえにひとつだけ聞かせて欲しい」
どたどた、廊下を走る足音がする。空気がピリついて息が止まる。
『何かあったらすぐに戻って来て大丈夫だから』
それはお手伝いをこなせなくても良いという許可であり、同時に義務であった。事を起こしてまた代筆屋さんに迷惑をかけないための義務。
「ミナトくん。どうして人間がここにいるのかな?」
湊は嘘を吐くのが苦手だ。矛盾のないようにするのは難しいし、相手を騙しているという事実が胸を締め付けて痛む。
ガシャン――。
ジュースの入ったコップが手から滑り落ちた。




