入国手続
陸軍という肩書で入国した桐井は、陸軍の手続きの遅さに苛立っていた。
これほど大掛かりな入国となれば、手続きにもそれなりに時間はかかる。各国を飛び回ってきた桐井だったが、普段は旅行者という肩書で手続きしていたため、予想できていなかった。
そんな自分の手落ちを、陸軍にぶつけていた。
「遅いっ!」
ロビーにある椅子に腰をかけ、腕を組んで貧乏ゆすりをする。明らかに苛立っているというサインを、見た人間全てに送っているかのようだった。
「まあまあ、仕方が無いですよ」
吉岡が苦笑しながらなだめる。
「どれだけ待たせるんだよ。あいつら馬鹿なのか?」
「馬鹿じゃないとは思いますよ、もう少し我慢しましょうよ」
「我慢というのは限界があるんだよ。そう、コップに水を注いで限界を超えれば溢れるイメージだろ?」
「はい、もちろんですそうです」
「くそっ!小便行ってくる。わたしが戻るまでに手続き終わってなかったら、勝手に出て行くからな」
「はいはい、桐井さんのご自由に」
愚痴をこぼしながら立ち上がり、トイレへと消えていく桐井。
その背中が見えなくなるのを確認してから、吉岡は小さくため息をついた。
「……桐井さん、相当イラついてるな」
そんな吉岡と桐井のやり取りを隣で見ていたリーリア呆れていた。
「あんたら何回おなじ会話してれば気が済むの?よく飽きないわね~」
「そんなに言うならお前が代われ、ああやって相手してないと、あの人本当に勝手に出て行くぞ」
「それは大変そうね、後始末は御免だわ」
「そういえば、他の連中はどうした?」
そうリーリアに問いかけると、吉岡は辺りを見回した。
しかし隊員たちの姿は見当たらない。
「湯浜は電話とか言ってた、フロッピーはどっかの隅で機械でもいじってるんじゃないの?」
「そうか……神木はどこに行った?」
「遙なら元隊員たちとおしゃべりしてるわよ」
その一言で、吉岡の眉がぴくりと動いた。
「……なんだと?」
立ち上がろうとする吉岡の服を、リーリアが素早く引っ張る。
「たまの再会を邪魔するんじゃないの。あんたいい加減“子離れ”しなさいよ」
「べ、別にそういうことじゃない。俺は今のチームの結束を――」
「まったく、遙の入隊から色々教えてきたのは分かるけど、あの子も子供じゃないんだから」
リーリアにたしなめられて吉岡は腕を組むと、首を横に振る。
「……あいつはまだ半人前だ。実戦を経験するまでは、教え子を見守る義務というものが――」
「あんたのそれは教え子超えちゃって、娘同然になっちゃてるのよ」
リーリアはあきれたように肩を落としたが、その視線の端に何かを捉えた。
「あ、ちょっと!あのおっさん、出口に向かってるじゃない!」
「なにぃ!?」
吉岡は立ち上がり、リーリアの視線の先を追う。確かに桐井が堂々と出入口に向かって歩いている。
「くそ、桐井さん何考えてるんだ!」
「いいから、追うわよ!」
二人は慌てて桐井のもとへ駆け寄った。
「ちょっと、なにしてるのよ!」
「桐井さん、一旦落ち着こう?落ち着いて話そう?」
怖い顔をした二人を見て、桐井は逆に面食らう。
「なんなんだお前ら……お前らこそ落ち着け!」
「なーに言ってんのよ、勝手に出て行こうとして!」
「そうですよ、ダメですってば!」
吉岡とリーリアは両脇から桐井の腕を掴んだ。
「何言ってるんだ、お前等勘違いしてるぞ」
「何がよ、ここ出口じゃない」
「”ご自由に”っていうのは本気で言ったわけじゃないんですよ!」
言い争いは完全に平行線。桐井はついに二人の腕を振り払った。
「だから違うと言ってるだろ、俺は呼ばれたから出口に来たんだよ」
「誰に?」
「警察」
「……は?」
二人同時に固まる。
桐井は面倒くさそうに頭を掻きながら言葉を続けた。
「なんだか知らんが、地元の警察に名指しで呼ばれたんだよ」
「どういうことよ、それ……」
「わからん。とにかく話を聞いてくる。お前らはそこでおとなしく待ってろ」
そういい残すと、桐井は大隊と隊員たちを残して一足早く空軍基地を後にした。
制服を着た警察官から簡単な説明を受けると、桐井は警察車両に乗り込んだ。行き先は警察署。
――それだけならば珍しいことではない。だが、その警察官が「相沢開里」という名前を出した瞬間、桐井に“行かない”という選択肢は無くなった。
相沢とは一番付き合いが長く、もはや家族のような存在だった。
その相沢が、自分を名指しで呼んでいる。――ただ事ではない。桐井はそう直感した。
空軍基地を出てからおよそ三十分。
警察署は古ぼけた外観で、無骨なコンクリートの壁に時代の傷跡が刻まれていた。どこか、戦後に建てられた軍施設の名残を感じさせる。
人の出入りも少なく、静まり返ったロビーを抜けると、そのまま取調室へと案内された。
「……あいつは、なぜ取調室に?」
桐井はここまで案内してきた警部に問いかけた。
「事件関係者だからです」
短く、事務的な返答だった。
潜入中の隊員が現地でトラブルに巻き込まれ、警察の事情聴取を受ける――よくある話だ。
だが、桐井にはどうにも引っかかるものがあった。相沢がそんな状況で“呼び出す”ような真似をするとは思えない。
「そんな人間の言葉を信じて、私をここまで連れてきたのか?」
「ええ。大きな作戦が進行中だと署長から聞いています。それに関係しているなら、あなたをお連れしろという命令です」
「……なるほどな」
桐井は軽く頷いた。
――地元警察にまで指示が通っているということは、国を挙げた作戦。
つまり、国連の圧力も思った以上にガザブ将軍に効いているということだ。
「中へどうぞ」
警部が取調室の扉を開ける。
その奥、薄暗い蛍光灯の下――机に向かって座る男が一人。
顔を伏せ、動かない。だが、その輪郭を見た瞬間、桐井の胸が強く締め付けられた。
「……相沢」
そこに居たのは、まぎれもなく相沢開里だった。
「すまないが、警部。二人きりにしてくれないか」
「ええ、もちろん」
警部は軽く頭を下げ、静かに扉を閉めて退室した。
その音が遠ざかるのを確認すると、桐井は相沢の正面に腰を下ろした。蛍光灯の白い光が、机の上の手錠の影を長く伸ばしている。
「よう、疲れてるみたいだな」
いつものように冗談めかして声をかけるが、相沢は微動だにしない。
顔を伏せたまま、まるでその言葉が耳に届いていないかのようだった。
「済まなかったな、こんな暑苦しい国に何ヶ月も。……でもな、今回の作戦が終わったら国に帰れるぞ」
桐井は机の上で両手を組み、微笑む。
「そしたら、お前の好きな鰻でも食いに行くか」
それでも反応はない。
沈黙が、部屋の空気を冷たく締めつける。
「そういえば、新しい奴が隊に入ったんだ。なかなかの美人でな。……お前の好み、ド直球だ」
わざと軽口を叩く。しかし返事はない。
「……そうか。後で会えるから、わたしからうまく話を振っておいてやるよ」
返ってくるのは沈黙だけだった。
桐井はふっと息を吐き、ゆっくりと立ち上がる。
歩み寄って、相沢の隣に立つと、そっと肩に手を置いた。
「……相沢。何があった」
その声には、上官としての威圧も、指揮官としての命令も無い。
そこにあったのは――家族のように寄り添ってきた“桐井”という一人の人間の、静かな優しさだけだった。
次の瞬間、相沢の身体が小さく震えた。
強く歯を食いしばり、瞳を閉じる。
そして――両手で頭を抱え、押し殺したような呻き声を漏らした。
「……っ……!」
桐井は、その姿を見て、胸の奥がざらつくように痛んだ。
日が昇ると、ロームの空気全体が熱を帯びていくのが分かった。
うだるような暑さが、地面から立ちのぼる陽炎とともに隊員たちの身体を包み込む。
「暑っついな~……」
湯浜は手のひらで太陽を遮り、眩しそうに目を細めた。
入国手続きを終える頃にはすでに太陽は頭上にあり、陸軍駐屯地に到着するころには、隊員全員が無言のまま汗を拭っていた。
国土の三分の二を荒野が占めるローム。その首都をぐるりと囲うように乾いた大地が広がっている。
駐屯地は首都北東の外れ、赤茶けた砂が風に舞う場所に設営された。
陸軍はそこに大隊本部を築き、六課の隊員たちはその一角に小さな作戦テントを組み立てていた。
湯浜は出来上がりかけのテントの陰に逃げ込み、ミネラルウォーターを一気にあおる。
そして今日何度目か分からない愚痴をこぼした。
「この国の太陽はどうかしてるんじゃないのか? 俺を焼き殺す気か」
それを聞いたリーリアが、ため息をつきながら手を止める。
「愚痴ばっか言ってないで、さっさと終わらせなさいよ」
「へいへい。……相沢はいいよな、どうせクーラーの効いた部屋でカクテルでも飲んでるんだろうな」
「あんたと開里を一緒にしないで。これが終わったら陸軍とはお別れよ。さっさと空調の効いた部屋でカクテル飲むわ」
「結局、お前も同じじゃねぇか」
湯浜が苦笑し、リーリアが冷たい視線を向ける。
「ま、形だけのアリバイ拠点だ。テント立てたら、作戦本部で涼めるかもな」
その言葉に、リーリアはほんの少しだけ笑みをこぼした。
彼らの軽口が、灼けるような日差しの下で唯一の救いのように響いていた。
地元に、六課の作戦本部として一棟の建物を借り上げていた。
隊員たちは次々と機材を運び込み、設営に追われている。
テントとは違い空調も完備され、外の灼けるような熱気が嘘のように涼しかった。
その建物の一室で、桐井と相沢が向かい合って座っていた。
まるで取調室のように、机を挟んで二人が対峙している。
ただひとつ違うのは、机の上に置かれたのが茶ではなく、インスタントコーヒーだった。
桐井はそのコーヒーを一口飲むと、静かに口を開いた。
「……お前、バリーの敵討ちでもするつもりじゃないだろうな」
「……関係ない」
短い返事。その声音に確信を得た桐井は、表情を引き締めた。
「お前は今回の任務から外す」
「なっ――!」
「わたしの部隊に、人殺しは要らん」
その一言に、相沢の感情が爆ぜた。
椅子を蹴るように立ち上がり、机を挟んで怒鳴る。
「桐井さん、あんた……いつから偽善者になったんだ!」
「ん?」
「人殺しなんてふざけたことを!」
対照的に、桐井は足を組み直し、冷静な目で相沢を見つめた。
「俺たちは“正義”の名の下に戦っている。お前のはただの私怨だ」
「何が違うって言うんだ!結果は同じだろうが!あんたの言ってることは偽善だって自分でも分ってるだろ」
桐井の瞳がわずかに細まる。
「……少しは大人になったかと思ったが、バリーから何も学んでいなかったようだな」
その名前を聞いた瞬間、相沢の拳が震えた。
「……ふざけるなッ!」
机を蹴り飛ばし、コーヒーが床に飛び散る。
「魔術師を殲滅すればそれでいいんだ!俺の気持ちなんて関係ないだろ!」
荒い呼吸を吐く相沢を見て、桐井は無言で立ち上がった。
「――お前は外す」
短く言い残し、静かに部屋を出ていった。
「くそったれ……!」
怒りを抑えきれず、相沢は机を蹴り上げる。
廊下に出た桐井の前には、六課の面々が集まっていた。
湯浜が不安げに尋ねる。
「桐井さん、相沢のやつ……」
吉岡も心配そうに眉をひそめた。
「あんなに感情むき出しな相沢は、初めて見ました」
桐井は苦笑して吉岡の肩を軽く叩く。
「……相沢なら大丈夫だ」
その横で、遥がドアの覗き窓を覗く。
部屋の隅で膝を抱え、震える相沢の背中が見えた。
そっと肩に手を置いたリーリアが、小さく首を振る。
「遥、今は……」
遥は唇を噛み、静かに頷いた。
「……はい」
相沢が抜け、実行部隊4名、情報官1名、そして指揮官・桐井を合わせた6名がブリーフィング室に集まっていた。
部屋の中央には大きな地図と作戦資料が並び、緊張した空気の中で吉岡が桐井の隣に立っている。
「――相沢の穴は吉岡に任せる」
「はっ」
吉岡は短く返事をすると、中央のモニターの前へ歩み出た。
両手を机に置き、全員を見渡す。
「それでは、今回の作戦概要を再確認すると共に、相沢の離脱に伴う新しい部隊編成を説明する」
吉岡がリモコンを押すと、モニターに衛星地図が映し出された。
赤くマークされた区域にカーソルを合わせ、彼は淡々と続ける。
「明日、現地時間で正午。陸軍ビクロ派合同軍事作戦が開始される。我々も行動を開始する」
資料を眺めていた遥が、無意識に呟いた。
「なるほど1200作戦開始と…」
「なんだ神木、言い方が気に入らないか?」
唐突に名を呼ばれ、遥はびくりと肩を震わせる。
「い、いえ!そんなことは……」
吉岡は軽く咳払いし、再び地図に目を戻した。
「官邸近くの進入地点に到着後、現地服に着替えて潜入を開始する。重要なのは“速さ”だ。――素早く婦人を確保し、素早く離脱すること」
「了解」
各員が短く頷く。
そして、吉岡の視線が遥へと向けられた。
「神木、お前は今回――オブザーバーとして同行してもらう」
「えっ……?」
遥は思わず立ち上がり、声を荒げた。
「ちょっと待ってください、吉岡さん!私はこれでも隊長を務めていました。現場の一員として――」
「お前の経歴は分かっている。だからこそ、今回は“付いてくるだけ”でいい」
「どうしてですか!」
「それは――現場で、自分の目で確かめろ」
遥は言葉を失う。
吉岡の声には、怒りでも嘲りでもない、静かな確信があった。
「現場に立てば分かる。お前なら、その意味を理解できるはずだ」
立ったままショックを受ける遥に歩み寄り、リーリアは優しく肩を抱き、そっと座らせた。
「大丈夫よ、遥。これも経験だから。ね」
「はい……」
吉岡はモニターの映像を切り替えた。
「それから、今回は“四式装備”で行く」
その言葉に湯浜がニヤリと笑う。
「へぇ、やばいってことか?」
「ああ。すでに工作員の一人が被害に遭っている」
「接敵の可能性は?」
壁にもたれていた桐井が、ゆっくりと前へ出た。
「可能性は高い。むしろ“必ず戦闘がある”つもりで行動してくれ」
「了解」
桐井は続けて言う。
「本部ではフロッピーが通信の確保を行う。常時オープン回線で、状況を共有しろ」
フロッピーは眼鏡を押し上げた。
「了解です」
吉岡が一同を見回す。
「質問がなければ、これでブリーフィングを終わる」
誰も声を上げない。
室内には、短い沈黙と空調の音だけが残った。
桐井が腕時計をちらりと見て、短く言い放つ。
「――以上だ。各自、準備に移れ」
その瞬間、重い緊張が空気を満たす。
椅子が動き、ブーツが床を叩く音が重なった。
六課の面々はそれぞれの持ち場へと散っていく。
――そして、ついに作戦が始る。




