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科学は魔術に嫉妬する  作者: 大山ヒカル


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2/7

兵士


 帝国陸軍には、干支にちなんで名付けられた十二の師団が存在する。

 子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥――。

 そして、それぞれの師団には「ゼロ」と呼ばれる精鋭分隊が置かれていた。


 零に選ばれることは、陸軍兵にとって最高の名誉である。

 その称号を手にするために、すべての兵士が己を鍛え続けていた。


 中でも突出した戦績を誇ったのが、卯師団の零部隊――卯零隊だった。

 そして、その隊を率いていたのが神木遙(かみき はるか)である。


 彼女は、陸軍史上初の女性零隊長として異例の抜擢を受けた。

 任命にあたっては、軍上層部の間で賛否両論が巻き起こったという。

 だが「性別を理由に有能な兵を埋もれさせるのは軍の損失だ」という意見が勝り、時代の潮流も追い風となって、神木遙は正式に卯零隊の隊長に任命された。


 真面目で誠実、誰よりも責任感が強い。

 そして、仲間から絶対の信頼を寄せられる人物――。

 その名は軍内に広まり、遥の知名度は上がっていった。


 国を守るという使命に、誇りと覚悟を抱いていた彼女にとって、

 卯零隊は単なる部隊ではなかった。

 そこは、自らの存在意義であり、心から誇れる“居場所”だった。

 

 突然の呼び出しだった。

 おそらく新たな作戦の通達だろう――遙はそう考えながら、上官の執務室へと足を運んだ。

 だが、扉を開けて聞かされた言葉は、想像していたものとはまるで違っていた。


「神木少佐、君に会いたいという者がいる。警察庁の人間だ」

「警察庁……ですか?」

「そうだ。我々、帝国国防省とは畑の違う連中だ」

「それが、私に……?」


 思わず問い返した声に、上官は小さくため息をついた。

「これは上からの命令でね。私にも、そして神木少佐にも“断る”という選択肢は無い」


 遙は短く息を吸い込み、姿勢を正す。

「――はっ」


 凛とした声とともに敬礼を終えると、上官に一礼し部屋を後にした。

 廊下に出た瞬間、遙の頭の中にはいくつもの疑問が浮かんでいた。

 警察庁が陸軍の人間に接触してくる――。

 一体、何が始まるのか。

 足音だけが無機質な廊下に響いていた。





 帝国陸軍応接室――そう案内された部屋を見て、桐井(きりい)は小さくため息をついた。

 そこはまるで古びた小学校の教室のような木造の広い部屋だった。中央には折りたたみの机が一つ、その両側に簡素な椅子が二脚、まるで尋問でも始まりそうな配置だった。


「……これは嫌がらせか?」


 桐井は眼鏡を指先で押し上げ、長く束ねた髪を軽く払うと椅子に腰を下ろした。

 机の上には、これから会う人物――神木遙の資料が置かれている。

 数ページをめくり、書かれた経歴を一瞥したところで、扉がノックされた。


「帝国陸軍三等陸佐、神木遙であります!」

「入りたまえ」

「はっ、失礼します!」


 引き戸が開き、遙が姿を現す。

 制服の皺一つない姿勢、無駄のない敬礼――まさに軍人そのものだった。


 桐井はその様子を観察しながら、右手を軽く上げて向かいの椅子を示す。

「掛けたまえ」

「はっ」


 遙は静かに腰を下ろした。部屋の中には時計の針の音だけが響く。

 桐井は資料に視線を戻し、ページをめくりながらしばし沈黙する。

 遙はその沈黙の意味を測りかねて、呼吸を整えた。


 数秒ののち、桐井が口を開く。

「神木遙少佐。君の資料を拝見した」


 視線を資料から外し、まっすぐに遙を見据える。

 その眼差しは、まるで人の奥底を覗き込むようだった。


「……優秀すぎるな」

「恐縮です」


 遙は背筋をさらに正し、短く答えた。


「私は、世辞や交渉、嘘や人を欺くようなことがあまり得意ではなくてね。率直に言おう。――君をスカウトしに来た」


「……私を、ですか?」


 想定外の言葉に、遙は思わず聞き返した。

 自分の分隊が特殊任務に駆り出されるのだとばかり思っていた。

 机の上の資料も、そのための人選だと――そう考えていたのだ。


「君にはテストを受けてもらう」


「スカウトではあるが、テスト次第では不合格も有り得るということでしょうか?」


「その通りだ」


 淡々と答える桐井の声には、わずかな笑みすら感じられない。

 遙にとっての居場所は陸軍であり、他の組織に移る気など毛頭なかった。

 一瞬、“わざと手を抜いて落ちてしまえばいい”という考えが脳裏をよぎる。

 だが、それを許さないものが胸の奥にあった――自分自身の誇りだ。


「……分かりました」


 遙が静かに答えると、桐井は頷き、口を開く。


「先程も言ったが、私は交渉が苦手だ。だから、これから君にやってもらうことを最初にすべて話しておく。そのほうが君も心構えができるし、実力を出しやすいだろう」


 桐井は資料を閉じ、真正面から遙を見る。


「つまり、これから行うテストの結果――それが君の“本当の実力”だと私は判断する」


「はっ」


「これから軽い質疑応答を行ったのち、実践を交えた体力テスト・状況判断テスト・危機管理テストなど、32項目を12日間かけて行う。長いと感じるかもしれないが、それだけ我々の機関が特殊であり、重要な使命を帯びているということだ」


「はっ」


「では、質疑応答を始めよう。――そんなに肩に力を入れず、世間話だと思って話してくれ」


「よろしくお願いします」


 桐井はゆっくりと息を吐き、静かに遙を見つめた。

 その瞳は笑っていなかった。


 ――もう、テストは始まっている。


 遙はそう悟り、無意識に背筋を伸ばした。


「今現在、世界情勢は均衡を保っているように見える。だが、それは多くの人々が見る“仮初の平和”に過ぎない」

 桐井の声は低く、しかし明瞭だった。

「我々は常に、見えない危機に晒されている。その危機を阻止するためには――殺人さえも手段として成立する。……もちろん、君ならその意味を理解しているだろう」


「はい。そのために我々は日々、鍛錬を欠かしません」


「だが、わたしの考えている脅威と君の考えている脅威は別物だ」


 桐井はそう言うと、手元の資料から一枚の写真を抜き取った。

「わたしが相手にしているのは、こういった脅威だ」


 手渡された写真には、一人の女が映っていた。

 女は軍人の首を片手で掴み、そのまま軽々と持ち上げている。

 一見すれば、戦場の一瞬を切り取った報道写真のようにも見える。

 だが、ただの戦闘写真とは決定的に異なる“ある一点”があった。


 ――掴まれた軍人の身体が、燃えていたのだ。


 炎に包まれた軍人は、苦痛に歪んだ表情を浮かべている。

 だがその炎はどこか奇妙だった。色は淡く、衣服の輪郭もはっきりと残っている。

 そして、女の手もまた燃えているのに、皮膚は焦げひとつ負っていなかった。


 女は微笑んでいた。

 その笑みは愉悦とも、狂気ともつかない。

 掴み上げた首のあたりが、まばゆい光を放っている――

 まるで、女の手のひらから炎そのものが生まれているかのように。


「こういった――“超人的な脅威”を相手にしながら、我々は日々、平和を保っている」


 写真を見せられ、遙は思わず眉をひそめた。

 沈黙が数秒。やがて、冷えた声が口をついた。


「……私を、からかっているのでしょうか?」


 桐井は目を細める。だが表情は微動だにしない。


「どういう意味だね?」


「このような写真を見せられて、私をからかっているとしか思えません」


「……これが、わたしの作り話だと?」


「初めに桐井さんは、“人を欺くことが得意ではない”と仰いましたね」


「ああ、言った」


「確かに、それは真実のようですね」


 遙は静かに立ち上がった。

 視線を落としながら、言葉を絞り出すように言う。


「申し訳ありませんが、これ以上はお付き合いできません」


 敬礼もせず、踵を返して扉へと歩き出す。

 その背に、桐井の声が落ちた。その背に、桐井の声が落ちた。


「神木遥、君にとっての現実とはなんだ?」


 足が止まる。

 ゆっくりと振り返った遥の瞳には、怒りが宿っていた。

 自分だけではない。共に汗を流し、国を守ってきた仲間たち全員を侮辱されたような気がした。

 与太話と子供騙しの写真を見せられた上で、「現実とは何か」と問われる――これ以上の侮辱はない。


 怒りを押し殺し、冷静に答える。


「現実とは真実です。自分が見聞きした情報を分析して真実と成す。その情報が蓄積されて見える世界が現実です」


「……なるほど、良い答えだ」

 桐井は小さく頷いた。その声音には満足の色が混じっている。

「だからこそ、わたしは君を選んだ」


「お誘いは光栄ですが、私にとっては時間の無駄のようです」

 遙の声には、冷たい決意がこもっていた。


「わたしが話した言葉と、見せた写真――」

 桐井はゆっくりと指を組む。

「そこには、まだ分析する余地があるはずだ。少なくとも、君にとっては」


 遙は静かに向き直り、真っすぐ桐井を見据える。


「それは、話の中に“真実”があればのことです。

 しかし――今の話の中で、私が掴める真実はひとつもありませんでした」


「そう、それはとても恥ずかしいことだ」


 その言葉の奥に、単なる説教ではない確信のようなものを感じた。

 遙は一瞬だけ桐井の表情を見つめ、その目の奥に“虚言ではない何か”を見た。


 深く息を吸い込み、椅子へと戻る。

 そして正面から桐井を見据えた。


「……分かりました。続きを聞きましょう」


 桐井の唇が、満足げにわずかに歪む。


「神木遥。君の反応は正しい――それこそが、“正常”だ」


「正常?」


「そうだ。君のような人間が、写真を見て憤りを覚えるのは自然なことだ。

 世界を守ってきた我々の仕事とは、そういった“正常な価値観”を守ることに他ならない。

 現実ではあり得ないもの、理解できないもの――それらを“闇に葬る”のが、わたしたちの使命だ」


「つまり、私の反応そのものが、あなたたちの仕事の成果だと?」


「その通りだ」


「君は写真を“作り物”と判断した。その分析こそが、わたしたちが作り上げてきた“常識”の結果なんだ」


「……この写真が作り物ではないと?」


「君はなぜ、そう思った?」


「人の手から炎を生み出して相手を殺す――そんなことは現実にあり得ません。

 たとえトリックで再現したとしても、なぜそんな写真を私に見せるのか、意図が分かりません」


 桐井は、ゆっくりと組んだ指をほどいた。

 その目に宿る光が、ほんのわずかに強くなる。


「――この写真は作り物ではない。トリックでもない」


「……?」


「この女は、本当に手から炎を生み出す。

 そして――人を焼き殺すことができる」


 遙の背筋に、冷たいものが走った。

 その瞬間、部屋の空気が一段階、重く沈む。



「信じられないのは当然だ。――そういった能力を持った者たちを、我々はこれまで抹殺し、存在そのものを闇に葬ってきたのだからな」


 遙は机の上の写真を見つめ直した。

 最初に見たときとは違う。今、その瞳には好奇心ではなく、確信を求める真剣さが宿っている。


「これが真実だと言うのですか?」


「君の知らない『真実』は、この世界に無数に存在する。平和を保つためには、そうした真実こそが最大の弊害になる。だからこそ真実は決して公にされてはならず、我々の存在も表に出てはならない。人々に称賛されるどころか、空言(そらごと)と罵られて世間に欺きと断じられることがあっても構わない。平和を守るという信念さえあれば、それで十分なのだ。」

 

 桐井は机の上で指を組み、静かに遙の瞳を覗き込む。

「そんな自分で自分を讃えている寂しい連中の1人として、仲間に加わる気は無いか?」


 その問いに、遙の心はもう揺れていなかった。

 拒絶という選択肢は、すでに消えている。

 真実を知った人間は、知る前の世界には戻れない。

 そして彼女は、その真実の中に“救うべき世界”を見た。


「そのテスト、是非受けさせて頂きます」


「――はい、合格」

「は?」


 桐井の言葉に面食らった遥の表情を見て、桐井は吹き出すのを必死にこらえた。

 しかし、堪えきれず口元がわずかに緩む。


「これからよろしくな」


「い、いや…32項目12日間のテストは…」


「ああ、あれは嘘だ。そんな面倒くさいこと、するはずないだろう」


「え、ええ…」


「そういえば名前がまだだったな。わたしは桐井大地(きりい だいち)だ」

「桐井、さん……」


「それと、“警察庁の人間”と言ったが――あれも嘘だ」


「……」


「政府機関ではあるが、公にされることは無い。世辞や交渉、嘘や他人を欺くといったことが得意だからな。――そうでなければ、この国の平和など守れやしない」


 その笑みは、皮肉にも見え、どこか誇りにも満ちていた。


 桐井大地という男は、決して無闇に真実を語る人間ではない。

 それでも、彼はリスクを承知で遙を迎え入れた。

 彼女が必ずこの誘いに乗ると、最初から知っていたのだ。


 一見、強引な勧誘。

 だがその裏には、遙という人間への“深い期待”が確かにあった。

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