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不規則な点

 ある点が不規則に動いていた。その点の軌道の後には線が引かれていた。子供の時にテストの空き時間の暇つぶしで問題用紙の余白の上で鉛筆を不規則に動かして描いたようなものが眼前に広がっていた。その子供の暇つぶしのような点の運動を老人は見ていた。

 その老人は頭も白く、腰も曲がっている。しかし、目だけは若者のように見えた。老人はあの意味の分からない絵を注視していた。私は「あの点の運動に何か見る価値があるのだろうか」と思ってその老人を傍から見ていた。

 ただ私は老人を見ていると疑問が湯水のように湧き出て遂に老人に面と向かって言ったのだ。

「あの点の軌道の跡に何か価値でもあるのですか」と

 すると老人は奇妙なことを言い出した。「あれはこの世界の過去、現代、未来の全ての出来事が描かれている。あの絵にはアジアの出来事であろうと、ヨーロッパの出来事であろうと、アメリカの出来事であろうと、南極の出来事であろうと全ての出来事があの軌道によって描かれるのだよ。あるユダヤ人はナチスによるホロコーストをこれで察知してアメリカに亡命した。旧東ベルリンではある青年がこの空間でベルリンの壁の建設を予見して家財道具をまとめて両親のいる西ベルリンに亡命したのだ。」と。

「なにを言っているんですか。あそこには奇妙で歪な線と不規則な軌道を描く謎の点しかないんですよ。あそこに私たちが見いだせるメッセージ性というのは存在し得るんですか。」老人の言動が妄言にしか聞こえずついつい本音を言ってしまった。しかし、確かにそこには不規則に伸びる線しか存在しないのだ。

「それは君がその線から意味を見出そうとしないからだ。あそこに目を凝らせ。そうすれば何かが見えてくるはずだ。なにせ不規則に動くのだから最終的に何かしらの事物をこの線は描くのだよ。」

「まるで『バベルの図書館』みたいだ」私は独り言のようにつぶやく。すると老人は

「それとは似て非なるもの。『バベルの図書館』はランダムな文字列が何億分の一、何兆分の一以下の確率で例外的に意味が通じるかもしれない本ができるだけだ。しかし、このランダムに動く点は全く同じようなものが描かれなくても私たちがそれを解釈することで意味のある絵に様変わりをする。例えばあそこの三角形を未来の出来事に解釈することも出来るかもしれない。また、あそこの梯子から今回の総選挙の帰結を表していると解釈できるかもしれない。だが、それは人に解釈されるまではただの軌道であり、謎の点の動いた跡に過ぎないのだ。少年もその絵をしっかりと見よ。そこに何かが書かれているはずだ。何らかの絵が描かれているはずだ。その予言を。自分の中でそこに介在する意味と思ったものを見出すことこそがこの絵の存在意義なのだ。」と絵のように軌道を描く点を見て言った。

 私はこの絵のようなものに意味を見出そうとした。見出そうとしても見つからなかった。見つからずに朝になり、その奇妙な空間から抜け出した。妻は「おはよう」と言った。そして、妻は「今日は遅くなるから」と言い私の好きなフレンチトーストを作った。私はそれとオレンジジュースを飲みながら新聞を読み職場に出かける。

 職場に着いてパソコンに向かいながらプレゼン資料を作成していた。今日は重要なプレゼンがあるからだ。しかし、資料を作成している間はあの奇妙な点と軌道のことばかりを気にした。プレゼン大会の間に至っては奇妙な点と軌道に気を取られてまともな発表ができなかった。

 家に帰り、この疑念を晴らすためにもあの不規則な点とその軌道を見に行った。点の移動は相変わらず予測不能である程度直線に走るかと思えばそのまま楕円状に曲がり、今度は直角に曲がるというような軌道だった。老人はこの荒れ狂う点を見て

「珍しいなぁ。ここまで点の軌道が乱雑になることも珍しい。これは近いうちに何か大きなことでも起きるのかも知らんな。それも人生に関わるほどの。」

 そのような誰に言っているのかもわからないことを呟いていた。まさか私に言っている訳ではなかろうがまるで私に問いかけているようにも思える。この誰に問いかけているのかが分からないことをぼやいた後に老人は明確に私に言った。

「未来というのは予測不能だがこの線の軌道は何があっても読解はできる。ただ、その読解は人それぞれだが。」

 私は老人のこの話を聞いてもう一度だけ真剣にこの点と軌道の跡を見ようとした。軌道の跡はやはり乱雑で何を描いているのかということについては難解であった。しかし、私はあきらめずそこに解釈を授けようとした。すると、そこに女の姿を見た。その女は妻の姿に見えた。それは裸になって喘いでいるように見えた。そして、その裸の妻の後ろには私ではない男の姿が顕現していた。

 誰だろうか、あの男は。同僚の川津か。部下の草津か。それとも、隣の大津さんか。誰なのだろうか。いや、違う。あの男はわが友の恭祐だった。そうか、恭祐だったか。あいつは昔からいい奴だと思っていたのに。反吐が出る。あの男は私を騙して我が妻を寝取ったのだ。このことを確固たる事実のように思えたことが災厄の始まりであったのだ。

 私は久しぶりに恭祐と会った。私は彼を飲みに誘った。そうして、大量にお酒を飲ましてから裏路地に誘い込み隠し持っていた包丁で一刺しに殺した。家に帰ってあの空間へと潜った。あの軌道を見るために。

 老人はいつものようにそこに座っていた。老人は恐ろしい顔をしてこちらを覗いていた。

「どうしました」と私は満面の笑みで老人に話す。老人は「ついにあの絵の結末を見たのだな」と言った。その瞬間、老人は恐ろしい笑い声をあげた。

「君はこの夢の使い方を完全に間違えたのだ。君の考えた解釈は外れていた。いや、そもそもこの絵には結局意味なんてない。確かに意味はあるのだがそれは受け手の世界にのみしか存在しないのだ。すなわちその絵の解釈が100%正しいわけではない。結局のところこの絵に意味は無くて私たちがあれを解釈した時にだけそこ意味が現れるのだ。」

「つまり、どういうことですか。」と一言私は言った。老人は呆れたように私に言った。

「つまりだ。本来、読解というのは『書いている情報を抜き取ること』と『解釈を与える』という二つの行為によって成り立っている。前者の内容を基に後者の行為を行うことが一般的だ。しかし、後者の行為が先行することだってある。それはある文章や物語、或いは絵画などにおいてそう書いていて欲しいと欲しいと思えるものがあり、その内容であるように有益な事実だけをピックアップする手法のことだ。そして、この点と軌道の解釈も同じ手法を用いることだ。」

「なにが言いたい。」私は痺れを切らして冗長な説明をする老人に対して最後通牒を送るように言った。何か気に入らないことを言えばとびかかるつもりだった。

「つまりだ。君は何も意味を持たない絵に『妻の不倫』というそうであって欲しい事実が描かれてあると妄信したんだ。そして、君は無意識に自分で作った物語を論理の枢軸として君の友人を殺した。君の友人に対しても何らかの恨みがあったのではないかね?」

 付け足すように老人は私を煽った。確かに私は彼を憎んでいた。しかし、それは遥か昔の話だ。確かに彼は一度、私の初恋の相手を奪った男だが。

「君は結局のところ初恋の女の未練を未だに引きずっていたわけだ。これは傑作だ。」

 老人は私を嘲笑った。その甲高い笑い声に業を煮やしていた私は遠くに老人がナイフで私を殺すのをあの点の軌道が描いているのを見た。私は怒りと怖れでついに老人に殴りかかった。一発目は鳩尾に直撃した。よろけた老人をそのまま馬乗りにした。そして、彼の顔面に数えられないほど殴った。一分ほど老人を殴っていたようだ。一夜ほど時間が過ぎたように思ったがまだ一分程しか経っていなかったようだ。老人はついに死んでいた。

 私は老人の冷たい屍を見つめながら自身が行ってきたことを内省した。結局のところ私は無意味なものに意味があると妄信して、自身の現実がこうであってほしいというような願望を基に自身の中の真実というものを構築して、その世界に基づいて友人を殺し、そこに横たわる老人を殺した。そう言えばあの老人は何かを言いたそうな目をしていた。何を言おうとしていたのだろうか。そんなことよりも先に老人の死体をどうするかを考えよう。この屍の横で酒を飲んでから考えよう。

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