7話 決壊
ニニカの発言により、一行の意識が集中しているニコラスが口を開く。
「…いったい何を根拠にそんなことを…。」
「あんた、暇があるとその右手の指輪を大事そうに摩ってるが、それは貰いもんだな?」
ニニカの指摘を受けると、ニコラスは無意識の内に摩っていた右手の指輪から左手を離す。
「それに、クローディアと目が合うとすぐに視線を逸らすのは、知り合いか身内に似てる人がいんだろ?それも、あんたにとって特に大切な人だ。その指輪も、その人からの贈り物だろ。」
ニニカは、クローディアに大切な人の面影を見ているから、ニコラスはクローディアを直視できないんだと推察していた。
「えっ…?わたくし…全然気が付きませんでした…。」
クローディアは、ニコラスが自身に対してそのような素振りをしていたことに気付いていなかったため驚いていた。
「……全部お前の勝手な妄想だ。」
ニコラスは、ニニカの推測を妄想だと断じて否定する。
「まだあるぞ。あんたはアンドリューも知ってるくらいこっちの方じゃ名の通った傭兵なんだろ?ならそれだけ稼げてるはずだ。傭兵なんて体が資本で装備は命に関わるはず、なのにグローブもブーツもくたびれてやがるし、防具も傷だらけだ。それに、スケルトンに使ってたその鞘に入れっぱなしの両手剣、折れてんだろ。だから鞘付きで打撃用にしてんだな?」
ニニカは、エレメインでも名が通るほどの傭兵でありながら、自身の装備も整備できていないのは不自然だと指摘する。
「そういえば、妙な音がしてるなって思ってたけど…鞘の中に大きく空洞があったってことか…。」
フリオは、スケルトンとの戦いでニコラスの両手剣が命中していた時、その衝突音に若干の違和感があったのを思い出していた。
「……。」
ニコラスは明らかに動揺しており、何も言い返せずに黙っている。
「自分の命や稼ぎに関わる装備に金を使わねえなら、いったい何に使ってんだ?"誰かのため"に使ってんじゃねえのか?その指輪をあんたに贈った大切な人のために。」
「もういい!黙れ!くだらない妄想を垂れ流すのをやめろ!」
ニコラスは、ニニカの言葉に感情を抑えられず激昂する。
「いいや、まだ終われない。あんた、病に罹ってるだろ。『結晶性魔堰症』だな。その眼帯は右目に症状が強く出てるのを隠すためだ。あたいはこれでも治療が専門だぞ。あたいを誤魔化せると思うな。」
ニニカは、ニコラスが結晶性魔堰症を患っており、右目の眼帯はその症状を隠すためだろうと指摘する。
「結晶性…魔堰症…?」
「生物の体内には、その程度の差はあれど魔力が堆積するの。通常であれば、しばらくするとその魔力は体外の魔力と入れ替わりで排出されていくんだけど、稀に体内に滞留して変質、その変質した魔力が一箇所に集まることで結晶化することがあるのよ。そして、その結晶が身体機能に影響してしまうこともあるわ。それが、結晶性魔堰症よ。」
「わたくし…全然知りませんでした…。」
「珍しいことだし仕方ないわ、これから知っていけばいいの。それに、私だって見たことは無いのよ。」
クローディアは、エルザリエットに説明されて自身の無知を恥じるが、エルザリエットが励ます。
「結晶性魔堰症は罹りやすい体質がある。しかもかなり遺伝的だ。率直に言うぞ、ニコラス。あんたのその大切な人は家族で、結晶性魔堰症に罹ってるな?だから、その治療に金が必要なんだろ?治療には時間が掛かるし、症例も多くねえから対応できる医者もまだ少ねえ。その上、中にはヤブ医者もいるし、そういう奴に限ってふっかけてきやがるから金も馬鹿みてえにかかる。それで、多額の報酬目当てで自分のことも顧みずに調査団へ参加してんだろ?これのどこが利己主義なんだよ。」
「……。」
畳み掛けるようなニニカの推測に、ニコラスはもう反論できずにおり、その態度がニニカの推測は正しいと証明していた。
「ただ、運が良かったな、ニコラス。実はあたいは結晶性魔堰症も扱える医者の1人だ。完治させた実績もある。だから、あんたのことm…」「本当か!?なら頼む!妹を治してやってくれ!俺にできることなら何だってする!これまでの無礼も全部謝る!だから頼む!」
ニニカが結晶性魔堰症の患者を完治させた実績がある医者だと明かすと、ニコラスは、ニニカの言葉を遮って必死の形相になりながら妹を治療してほしいと頼み込む。
アンドリューは、ニコラスが興奮状態で声量が大きくなっているが、ニニカの時のように宥められそうにないと判断し、部屋の外の警戒に当たる。それを見たフリオもアンドリューと一緒に警戒を行う。
「あいつは!『クラリス』は!もっと幸せな人生を送れたはずなんだ!俺が…俺が何も知らなかったから!何も知らずにあいつの体にできた結晶を綺麗だなんて言ったから!だから痛かったのも我慢して、重症化するまで黙ってたんだ!あいつが苦しい思いをする必要なんてない!苦しむべきなのは俺だけなんだよ!俺のことなんかいいから、クラリスだけは治してやってくれ!お願いだ!」
ニコラスは、これまで繕っていた人格が剥がれ落ちているのも構わず、ニニカに妹の治療を願う。
「…っ!…それでさっき、私に反論してきたのね…。過去の…無知な自分が許せなくて…。いや、許したくない…かしら…?」
エルザリエットは、ニコラスがクラリスへの罪悪感から、過去の無知な自分に対して強い怒りを抱いていると知り、それが先刻の口論に繋がっていたのだと小声で独り言を呟く。
「いいぞ。但し、条件がある。さっきまでの話、ちゃんと覚えてるか?」
「ああ…覚えてる。」
「あんたも約束しろ。自分が死ぬのを前提にすんのは無しだ。それと、これから休息後にはあたいの所に来い。あたいはあんたも治療するからな。わかったか?」
ニニカは、ニコラスの願いを聴き入れる条件として2つ提示する。
「わかった…。正直なことを言えば、今すぐにでもクラリスの治療に向かってほしいが…。」
「それについては後で詳しく話そう。あたいもクラリスの容態を知りたいからな。」
その時、モンスターの接近を察知したフリオがアンドリューに手振りで警告を出す。
「皆、部屋の入り口を前方として陣形を組め。前衛が俺、その後ろにニコラス、ニニカとクローディアは最後衛だ。フリオとエルザリエットは後衛の前で左右に展開してくれ。」
警告を受け取ったアンドリューは、今のニコラスは前衛に置かない方が良いと判断し、前衛を自分だけにした陣形を素早く仲間たちに提案する。
すると、ニコラスが提案を無視してアンドリューの横に立つ。
「俺も前衛だ。無駄に陣形が伸びて空間が狭くなる。」
「…わかった。だが、無理はするな。」
アンドリューは、ニコラスの意見を受け入れるが、今は結晶性魔堰症を患っていると知っているので、無理はしないようニコラスに注意を促す。
そして、陣形を整えた一行がいる部屋に、モンスターの足音が段々と近づいて来るのだった。