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第8話

「なぁ、なんか最近の奥様の面白い話ないの?」

「ない」

 アレクシスは宮廷の自分の執務室で書類を捌いていた。ルシアンは応接ソファに腰かけ、勝手に入れさせたお茶を飲んでいた。自分の仕事はさっさと部下に振って、暇にしているという。

「俺の奥さんが、会いたがってるんだよ、今度の舞踏会に連れてきてよ」

「そういうのは嫌いなようだよ」

「嫌いだからっていつまでも顔を出さないわけにはいかないでしょ」

 そう、本来公爵夫人としてはありえないことなのだ。社交も貴族の大切な仕事だ。

「そのうち、な」

 ひとまずは、社交界に顔を出さない理由として生まれつき病弱だからと押し通すつもりだ。

 か弱そうな外見とは裏腹に、かなり強情なことを、アレクシスはもう理解していたし、そんなところも好ましいとさえ思っていた。従順なだけの女性ならいままでいくらでも周りにいたのだ。そうではない意思の強さに惹かれていた。

 召使が部屋をノックする。

「アレクシス様、領地の執事頭オスカーから、早文です」

 アレクシスはその手紙を読み、青ざめる。

「馬を持て!」

 アレクシスは叫んだ。

「どうしたんだ?」

 アレクシスの尋常ではない様子に、ルシアンが驚く。

「セシリアが、攫われた……!!」

「なんだって?! ……僕も行こう」


 早馬で夜通し走り、領地に着いたのは明け方だった。

 げっそりとした表情のオスカーに出迎えられたが、アレクシスにも気遣う余裕はない。

「旦那様、申し訳ありません……」

「セシリアはどこだ! なにも手掛かりはないのか? 犯人から何か要求はないのか?」

 矢継ぎ早にまくしたてる。

「アレクシス、落ち着け」

 ルシアンが諫める。

 オスカーはおずおずと手紙をアレクシスに手渡す。

「奥様の文字で。昨日こんな手紙が……」


『セシリア・ド・ヴァレンティア様

 明日、正午に中央広場にてお会いしましょう。

 あなたの好きな林檎を持って行くわ。

 林檎の実が西陽にきらめくまで、ゆっくり話しましょうね。

 そういえば、あなたは陽のあたらない場所に実るものが一番甘いと言っていたわね。

 風に揺れる布がきっと日陰を作ってくれるわ。 ミリアンヌ』


 見慣れたセシリアの美しい文字だ。セシリア宛の。つまり何かここにセシリアが手掛かりを残しているはず。

 ルシアンが手紙を覗き込む。

「中央広場に見張りは送ったか?」

「は、はい。昨日から、夜も張り込ませています」

 オスカーが答える。

 アレクシスは手紙を何度も読み直す。

「林檎? 林檎が好きなんて聞いたことがない……おい、林檎畑はあるか。中央広場から、西の方角だ! 調べさせろ!」

 アレクシスが叫ぶと、召使たちが返事をして駆け出す。

「風に揺れる布……おそらくテントだ。キャラバンの者に浚われたなら、テントに隠されているはず」

「僕も行く」

「お前はここにいろ。指示を出すものがいなくなるぞ」

「じっとしていられるか!」

 激高したアレクシスに一瞬気圧されて、ルシアンは肩を叩く。

「わかった。私がここに残る。行ってこい」

 アレクシスは馬を変えると、すぐに西へと向かった。


 西の森には、林檎畑があった。そのほど近くには開けた場所があった。やはりそこにはキャラバンの一団がテントを張っていた。

 アレクシスは遠巻きにそのテントを見つめる。

「どれだ……」

 見る限り、テントは五つ。どこにセシリアがいるのか。いたずらに突入しても、そこにいなければ彼女に危害を加えられる可能性がある。

 ふとテントの上部にそれぞれ違う色のついた小さな旗が揺れているのに気づく。

「そうだ、藍色……」

 セシリアの手紙の文面を思い出し、それを見つけるとアレクシスは馬を降りた。

 迷わずそのテントに駆け寄る。

「だれだっ……」

 木陰から突然現れたアレクシスに驚き、男が声を上げる。

「どけっ!」

 見張りのように、テントの入り口に立つ男を殴り飛ばした。布の裂け目に踏み込む。

 赤い髪の色が目に飛び込んできた。男がその体に手をかけているところだった。

「その手を離せ!」

 テントの中のふたりの男はアレクシスの勢いに呑まれ固まる。アレクシスは剣を抜くとその胴を薙ぎ払った。

「ぐわっ!」

「やめ、がっ!」

 男が倒れた、その奥に彼女がいた。

 土の地面に膝を折って座り込んでいた。編んでいた髪がほつれ、頬が土に汚れていた。

「セシリア!」

 大丈夫かと声をかける前に、掠れたか細い声で彼女は言った。

「ごめんなさい」

 テントの外では、アレクシスの配下の者が、他の男たちと争う声や物音が聞こえている。

 このキャラバン全員を捕らえ、処分することになるだろう。領主夫人の誘拐ともなれば、全員処刑でもおかしくはない。

 アレクシスは急ぎ、セシリアの手足を縛っていた荒縄を外した。細く白い手足は擦り剝け赤く血がにじんでいた。

「もう大丈夫だ」

 大切な人を傷つけられたそのことに怒り狂いそうになるのを堪える。できるだけ優しく、声をかけた。

「ごめんなさい」

 セシリアは唇を引き結んで、涙をこらえるように言う。長いまつ毛に小さな雫が乗り、震えている。

「いいんだよ」

 セシリアの手を取る。氷のように冷たかった。自分の上着を脱ぐと、その肩を包む。そして抱き上げた。軽いだろうとは思っていたがその通りの軽さ。

「ひゃ!」

 驚いたセシリアの小さな悲鳴は聞かなかったことにして、アレクシスはその体を強く抱きかかえた。

 淡く花の香りがした。

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