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第7話

「あかのおじょうさま!」

「今日もきてくれたの?」

「だっこして!」

「あたしが先よ」

 子どもたちに囲まれ、セシリアの笑みが零れる。政務長官のレオノールの名前を冠した孤児院が完成してすぐに、セシリアは行動を起こした。孤児や奴隷の子どもを集めてはじめ、その数は、今では三十人にもなった。

 セシリアは身分を隠して頻繁に孤児院に通い、世話人たちの運営がうまくいっているかを確かめるようになっていた。

 レオノールが私邸を構えようとした立地だ。街の騒がしさのない郊外の閑静なよい場所である。とはいえ建物は、質素ではあった。セシリアが完成を急いだせいもあるし、ごてごてと派手なものを嫌うせいでもあった。

「絵本を読んであげましょうね」

 セシリアが椅子に腰かけると、子どもたちはセシリアを取り囲んで座った。

 その顔を見て、心の中の八番が満足そうに言う。

『よかった。こんなにたくさん、助けられて』

 朗読しながらも、セシリアの脳裏に八番としての日々がよみがえる。

 ーー空腹、重たい水瓶、冷たい土埃の寝床、親方の鞭、痛む背中の傷、腐った食事、きつい労働、空腹、空腹ーー

 ここにいる子どもたちもきっと同じような目にあってきた。それを救い出せた。ようやく自分の生きる意味が分かったような気がした。ただ、一方で無性にさみしいような気がした。

 自分のような子どもを救えば、埋まると思っていた心の穴は、まだぽっかりと開いたままだ。


「あんたが、孤児を買ってるってお嬢さんか」

 大柄の男に声を掛けられて、セシリアは立ち止る。

 男は、茶髪を後ろでくくっている。服は派手ではないが、胸元が広く開いて荒々しい。

「……どなた?」

 孤児院に子どもを集めてはいるが、自分自身で「買い」に行ったことはない。その作業はオスカーとオスカーが雇った人間にやらせていた。万が一にも、自分を知っているものに鉢合わせることは避けたかった。

 なぜ自分のことが分かったのか……と疑問に思ったその瞬間。

「悪いなっ!」

 男は、セシリアの胴を担ぐように引き寄せた。

「きゃっ」

「待てっ」

 護衛のものが気付き動いたが遅すぎた。というよりその男が早すぎた。

 狙いすましたかのように、荷馬車が早いスピードで駆けてくる、男はセシリアを担いだまま飛び乗った。

 セシリアは激しく荷台にたたきつけられた。

「ぐっ……」

 衝撃に呻く。

 側頭部に衝撃があった。意識が途切れそうになるのをこらえる。荷馬車は跳ねながら走る。速すぎて飛び降りることは難しそうだ。衝撃のせいで手足もうまく動かない。

 呻いているうち、男に手足を荒縄で縛られてしまった。朦朧としながらも、セシリアは馬車の走る方角を確認した。


 荷馬車を乱暴に下ろされ、引きずられるように押し込められたのは、粗末なテントだった。周りにいくつもテントが張られていて「流浪の民」たちの一団であることはすぐに分かった。

 セシリアの桃色の服が泥で汚れている。アレクシスから贈られたものなのに、と少し悲しくなる。

 アレクシスのことが頭をよぎる。身の安全が心配だ、と言われたとおりになってしまった。護衛をちゃんとつけるようにとも忠告されていたのに、身分を隠すことを優先して二人しかつけていなかった。

 叱られるだろうか。嫌われるだろうか。なんと弁明したらよいだろう。

 先ほどの大柄の男が、こちらに近づく。

「私を浚ってどうするつもり?」

 アレクシスへの想いを振り払い、毅然とした声でセシリアは言った。

「お前こそどういうつもりだ。お前があの孤児院に毎日出入りしているのはわかっている」

 どうやら、このセシリアが公爵夫人だということはわかってないようだ。なんと浅はかな。しかしこれなら交渉しようがある。

「あの孤児院に子どもらを集めているのは知っている。集めてどうする? こっちは困ってるんだ」

 キャラバンの運営に幼い奴隷の労働力は不可欠。その子どもが手に入りにくくなり、そしてこの孤児院の存在に気付いた、というところだろう。

 顔を掴まれ、男の顔が近づく。迫力がある、と他人事のようにセシリアは思った。

「どうだ、お嬢様。泣いて許しを請うか」

 冷たい土の地面に突き飛ばされ、頭を打つ。懐かしい感触だ、と心の中で八番が言う。

 平然としているセシリアに、男は気色の悪そうな顔をした。このくらいの暴力は八番には慣れたものだった。

「私を脅しても無駄よ」

 体を起こすと、背筋を伸ばして男に向き合う。

「私は、商家令嬢のミリアンヌよ」

 堂々と偽名を伝える。あなたは?と問うと、男は相当逡巡してから、答えた。

「…………バジル」

 セシリア頷く。

「バジル、あの孤児院の名前を知っている?」

 男は不思議そうな顔をした。

「あの孤児院はレオノール孤児院。政務長官様の孤児院なのよ。私は奉仕活動としてあの孤児院の手伝いをしているだけよ」

 話の途中で、壮年の男が小屋に入ってきた。

「親方……」

 バジルが親方と呼んだのは、上半身の恰幅がよい壮年男性だった。派手な柄の入った青い服を着ている。短い髪がぼさぼさと逆立っている。

「私なんかを誘拐したって、殺したって、領主令は止められないわ」

「領主令ってなんだ」

 親方がどすのきいた低い声で言った。

「キャラバンで子どもを使うのを禁じる領主令よ。近々発表されるわ」

「くそっ」

 男二人は顔を見合わせ、どうする、と唸る。子どもを集めている者を誘拐して脅し、あるいは殺し、それをやめさせればいいとだけ思っていたのだろう。

「領主様が最近結婚されたのは知ってる? 止めたければ、領主夫人を誘拐して交渉なさい。私をおとりに、領主夫人をおびき寄せるのよ」

 親方は、セシリアに黙ってろ、と怒鳴りつけた。しかしセシリアはひるまない。

「誘い出す方法を教えましょうか」

「その手には乗らねえ。お前、助けでも呼ぶつもりだろう」

「いいえ……どうしたら信用してもらえるかしら。ああ、こういうのはどうかしら」

 もう会話はセシリアのペースだった。

「公爵夫人を、あなた方の都合のいい場所に呼び出す手紙を書いてあげるわ。公爵夫人が来ればよし、来なければ私を殺せばいいわ」

 さらりと殺せばいいと言うセシリアに、男たちは顔を見合わせた。

「さあ、ペンと紙を持ってきなさい」


 領主館では、護衛のものたちが青ざめて執事オスカーに公爵夫人が誘拐されたことを報告していた。

「す、すみません! どうしたら……」

「なんてことだ……」

 そこへ事態を知らぬ女中がやってきてオスカーに言う。

「執事様、奥様にお手紙です」

「あとにしなさい!」

「で、でも配達人がお急ぎだって……」

 オスカーはその封筒に書かれた文字を見て、叫んだ。

「奥様の字だ!」

『セシリア・ド・ヴァレンティア様

 明日、正午に中央広場にてお会いしましょう。

 あなたの好きな林檎を持って行くわ。

 林檎の実が西陽にきらめくまで、ゆっくり話しましょうね。

 そういえば、あなたは陽のあたらない場所に実るものが一番甘いと言っていたわね。

 風に揺れる布がきっと日陰を作ってくれるわ。 ミリアンヌ』

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