第6話
アレクシスは妻からの手紙を読んで頭を抱えた。
『アレクシス様
私のお願いです。
アレクシス様の名を持って領主令を出していただきたいのです。
十二歳以下の子どもはキャラバンに属してはならない。
そのような子どもは全て領主直轄の孤児院にて収容する。
親方自ら子どもを差し出せば、ひとりにつき一万ジェニーを授ける。
隠し立てして子どもを使い続けるなら、親方を処罰しキャラバンは解体させる。
どうか叶えていただけないでしょうか セシリア』
かわいらしいきれいな文字で、とんでもないことが書かれていた。
初めて「欲しいものがある」と手紙に書いてきたから、舞い上がるように喜んで、なんでも言いなさいと返事をした結果がこれだ。
彼女の好きな色も香りも何も知らないから、年頃の娘が好みそうなものを選んで送るたび、「ネックレスはもうたくさん持っていますから不要です」「お菓子は食べませんから不要です」と素気無い返事ばかりで、落胆していたのだから、舞い上がるのも仕方がないことと言えた。
彼女に領主代理の権限を与えたのは、「愛は不要ですから、信頼をください」と言ってきた彼女へその信頼を示すためだった。子どもを救いたいと言う彼女が、権力を私的に濫用するとは思えなかった。
その判断は誤りではなかったが。が、政務長官をやりこめたと、オスカーから報告を受けて肝を冷やした。予算を用立てても構わないから、敵を作るような真似はするなと、手紙で忠告した矢先にまたこれだ。
アレクシスは、執務室の席に掛けると、手紙を書き始めた。
『セシリア
こちらは庭に薔薇が咲いたよ。
君と一緒に見たかった。
まだ宮廷の仕事が片付かない。
なるべく早く休暇をとって、君に会いに行くよ。
領主令のことは会って話そう。 アレクシス』
ドアのノックの音。返事をすると、ルシアンが入ってきた。伯爵家の次男で、アレクシスと同い年、同じく宮廷仕えをしている。同僚というより友である。
「おはようアレクシス。あ、手紙来た? 若奥様から」
にやにやと笑われて、アレクシスはため息をつく。ルシアンは長い黒髪を首の後ろでくくっている。それを跳ねさせるようにアレクシスの前に歩いてくる。
「欲しいもの、なんだったわけ?」
ぐぬぬ、と唸ってから、この友人に嘘をついても仕方ないと白状する。
「……領主令だそうだ」
ルシアンの爆笑。もとより柔和な容貌がさらに崩れる。
「ほんっと奥さん変わってるよね! アクセサリーやドレスでもねだるのかと思ったら!」
腹を抱えて笑われて、アレクシスは憮然とした表情を作る。つられて笑ってしまいたくはなかった。きっと彼女は本気なのだから。
「旦那様、あの、奥様がお戻りになりました」
手紙を送った三日後。宮廷での仕事を終えて帰宅した途端、玄関で執事にそう言われ、アレクシスは驚く。
慌てて部屋に入ると、そこには焦がれた姿があった。
「旦那様、おかえりなさいませ」
赤い髪をきっちりと結い上げている。春らしい淡い若草色のドレスは、以前アレクシスが贈ったものだ。
「セシリア! 出迎えてくれるなんて嬉しいよ」
にっこりと笑いかけると、白い頬がほんのりと染まったような気がした。気のせいかもしれないが。
「急に戻るなんて。手紙で知らせてくれたらよかったのに」
「ごめんなさい。早くお会いしたくて」
自然と笑みがこぼれる。素直にうれしいと思った。
「僕も会いたかったよ」
今度こそ、はっきりと彼女の頬が赤くなった。唖然とした表情。なんなら耳まで赤くなってきた。
「…………りょ、りょ、りょ領主令のことですわ」
動揺した様子で、それでも強がるようにセシリアが言う。
「……やっぱりその件で、戻ってきたんだね」
それでも、会えてうれしいと態度が十分に示していたから、落胆は少なかった。
「夕食はまだだよね? 話はそれからにしよう」
食後酒を飲みながら、アレクシスははっきりと領主令には賛同できないと告げた。
「なぜです?」
かみつくように言われる。その姿が、十八歳とは思えぬほど幼く見えた。
「君の身の安全が心配なんだ」
苦々しくアレクシスは思う。正しいことを正しく行うのは本当に難しいことなのだと、宮廷での仕事を通じて知っていた。
「君は、政務長官のレオノールをやりこめたそうじゃないか。彼はまだいい。権力者だが、彼には守るべきものがあるから。そうでない者は、自分が害されたと思ったらどんな反撃をしてくるかわからないんだ」
諭すように、セシリアに優しく言う。
「せめてもう少し待つことはできないか」
あまりに性急すぎる。改革を行うには事前の準備や根回しが必要だ。
セシリアはゆっくりと大きな目を瞬いた。硬い表情のまま言った。
「旦那様にとっては、大勢の子どものうちの一人でしょう。でもその一人にとってはそのひとつしか命がないのです」
小さな唇が引き結ばれて、一瞬震えた。泣きそうに見えて、アレクシスは静かに動揺した。
「そしてその命の灯は、今日か明日かに消えてしまいそうな子もいるのです。私は放ってはおけません」
「僕にとっても君は一人しかいない、大切な人だよ。考え直してくれ」
「……では、私は、私のできることをやります」
それ以上セシリアは話すこともなく、当然寝室をともにすることなどなかった。セシリアは朝食の席で別れの挨拶をすると、急ぎまた領地へと発った。
翌月、アレクシスは、オスカーからの報告書を読んで、また頭を抱えた。
セシリアは、私財ーーといってもレオノールが肥やした私腹から支出させているーーを投じて、キャラバンから子どもを買い集め始めたというのだ。
そしてアレクシスの懸念は現実となる……