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第2話


「奥様、連れて参りました」

 執事とメアリに部屋に通され、八番は内心で驚く。夜になってもこんなに部屋が明るいとは。ランプの明かりに照らされて光る、見たこともない調度品の数々。

 奥様と呼ばれた夫人は豪奢なソファに腰かけていた。その髪は、ランプの黄色みを帯びた明かりに照らされていても分かる赤い色をしていた。ちょうど八番と似たような色だ。

「名前は?」

 目を見つめられて問われた。これは返事をしてもよいだろう。

「キャラバンでは、八番と呼ばれていました」

「キャラバンでは何をしていたの」

「荷運びや水汲み、煮炊きの下働き、馬の世話、汚物の片づけ……なんでも」

 奥様の表情が明らかに曇る。

「ヘルマン、やっぱり私、気が進まないわ……こんな、卑しい娘を……」

「奥様、今更何を。ご納得のはずでしょう」

 執事が慌てた声を上げる。

「そうだったけど……こんな、こんな娘を……」

「奥様、そう仰いますが、本当にお嬢様によく似ていますよ!」

 メアリは明かりのそばへと、八番の背中を押した。

「私のセシリアがもう死ぬみたいに言わないで! 備えることなんてしたくないのよ」

 突然に奥様がヒステリックな声を上げる。

「認めたくないお気持ちはわかりますが、でももう長くないとお医者様が……」

「ご当主が亡くなって、その血を引くお嬢様もが亡くなれば……どうなるとお思いですか!この家も無くなります、全て失ってもよろしいのですか!」

 八番は三人の会話を黙って聞いていた。奴隷の子どもには何を聞かれても分からないと思っているのだろう。でもすべてわかってしまった。

「発言をお許しくださいますか」

 静かな声で言うと、奥様ははっとした表情で八番を見た。

「言ってみなさい」

 八番はなるべく静かな落ち着いた声で言った。

「お嬢様に会わせてください」

 唐突な物言いに、三人は虚を突かれた様子だ。

「おおよそのことは分かりました。私を誰かの……あなたの娘の身代わりにしたいのでしょう」

 三人から応えはない。

「ここまで知ってしまったのです」

 貴族が身代わりを案じたことを漏らされれば、死刑になりかねない。リスクを負ってまで八番を生かしておく理由はない、八番は口封じのために殺される。

 ここで身代わり計画を諦めさせてはいけない。絶対に。

「会わせてください。きっとお嬢様にそっくりに話したり歩いたり、できます。私は八番でした。私という人はいないのです。だから何にだって、なれます」

 八番と執事とメアリの視線が、奥様に集まる。

「それとも、殺しますか。全部知ってしまった私を」

 ささやくように言うと、奥様は覚悟を決めたように立ち上がった。


 お嬢様は天蓋のついたベッドに横たわっていた。はぁはぁと荒い息を吐いている。

 ベッドのそばに近寄ると、お嬢様はゆっくりと目を開いた。緑色の瞳だ。

 八番と同じような赤い髪の毛をきれいに編んで、肩のよこに流している。

「あなた……誰?」

 ぜえぜえと苦しそうに息をつきながら、とぎれとぎれに話す。

「天使のお迎えかと思ったわ」

 お嬢様は細い息で笑った。その笑顔は儚げで、それこそ天使のようだった。

「私は、あなたです」

 八番がそういうと、お嬢様は泣き笑いのような表情を作った。

「もうすぐ、私は死ぬのね」

 八番は小さく頷く。ベッドのそばに膝をつく。

「それまでずっとそばにいます。そして、私があなたになります」

 お嬢様が手を差し伸べてきたので、握る。なんと熱いのだろう。

「本当の私になんて、なれっこない。……こんな苦しみ、あなたは知らない。……でもね、本当の私にはなれないでしょうけど、セシリアになら、なってもいいわ」

 八番には彼女の病苦はわからない、しかし、彼女にも八番がいままで味わってきた奴隷の暮らしのひもじさや辛さなどわからない。自分の苦しみは自分だけのものだ。冷たい気持ちで八番は頷く。

「わかりました。あなたには、ならない。セシリアに、なります」

 八番は、セシリアの熱に浮かされたような声色を真似て、そう言った。


 ほどなくして、本物のセシリアは亡くなった。

「お亡くなりです」

 薄暗い部屋に医師が小さな声が響く。エリセアが声を殺して泣き出す。

「ああ、セシリア! セシリア!」

「奥様、夜のうちに……」

 ヘルマンがエリセアにおずおずと声をかけた。カーテンの隙間から、ほのかに日の光が差し込んでいる。もうじきに夜が明けそうだ。ヘルマンとメアリが、遺体を布で覆い、部屋から運び出す。エリセアは気が抜けたように床に座り込んで空を見つめている。

 秘密裡にその遺体は葬られ、その朝からベッドには新しいセシリアが眠った。

 この身代わりを知っているのは、執事のヘルマン、女中頭のメアリ、医師レノルド、そして母親であるエリセア・ド・マルシェロだけであった。八番の擬態は、屋敷の中のほかのすべての召使いをも欺き、入れ替わりに気付いたものはいなかった。


 つたないピアノの音が部屋に響いている。

「もうおしまいにしましょう」

 セシリアのピアノ練習に突き合わされ続けたエリセアが、疲れたように言う。

「あなた、ピアノもダンスも勉強も、そんなにしなくてもいいわ」

 エリセアはセシリアに貴族教育を請われて教えていた。貪欲すぎる彼女に辟易していた。

「セシリアは幼いころからずっと病弱だったの。何もできなくても誰も疑わないわ」

 エリセアは、新しいセシリアのことを断固としてセシリアとは呼ばなかった。「あなた」と呼んだ。対してセシリアは母のことはお母様、執事や女中は呼び捨て、常に本物のお嬢様として話すようになっていた。

「いいえ、お母様。ピアノもダンスも勉強もすべて必要ですわ。できるものをできないふりは可能ですが、その逆は不可能ですもの。さぁ、次は文字をお教えくださいませ」

 貴族教育には家庭教師をつけるのが一般的であったが、そうすれば入れ替わりに気付かれる可能性も出てくる。エリセアが教えるしかなかった。

 セシリアは、マルシェロ家の先代当主であるセシリアの父が収集し遺した医学書や歴史書を特に好んで読んでいた。本物のセシリアも読書好きではあったから、周囲の者に違和感を持たれることはなかったが、しかし貴族のお嬢様らしくはなかった。


 そんなセシリアにとんでもない縁談が持ち込まれたのは、本物のセシリア十八歳のことだった。八番の本当の年齢はおおよそ十六歳ほどのことである。

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